釈放そして祖国への帰還とモハンシン将軍の回想
ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。日本がアジア諸国の白人支配からの独立にいかに大きな役割を果たしたかが詳しく解るでしょう。今回も、その第二部の内容をご紹介して行きます、同じく昭和六十(1985)年初版の本からの最終抜粋です。

引用開始
五月初め、私は、釈放されて娑婆の空を仰いだ。その空気はほんとうに甘かった。五月二十六日、私はチャンギ―下番者二百名の輸送指揮官を承って、帰国の船路についた。全く冥土から、現世に奇跡の「回れ右」をする思いであった。六月二日、又見る日を思いあきらめていた祖国の佐世保に上陸した。リュック一個を背負って。でもその中には、シンガポールのIIL代表ゴーホー氏夫人が贈ってくれた時計とチョコレートと、煙草罐一杯のライターの石が忍ばせてあった。佐世保の街を通して見る祖国は、正視に堪えない惨めな姿ではあったが、矢張り、限りなく懐かしく、いとほしかった。慈母の懐のように。
嗚呼! 私は生きて祖国の大地に両脚を踏まえることができた。しかも、あれ程の工作に部下の一人の戦犯犠牲者も出さずに。思えば、それもこれも、Fメンバー諸君や何十万現住民や俘虜の、INA将兵の功徳のお陰である。私は、生涯これを忘れてはならないのである。凡根を戒めつつ、報恩に心がけねばならぬと思う。
四十年前の私の回想・INA将軍モハンシン
・・・・ 最初に私が彼と会った時、彼の顔面は大きな希望で輝いていた。だが、最後に会った時の彼は、苛酷なまでの幻滅と悲哀、そして落胆にさいなまれた形相で、顔は止めどなくほとばしる涙で覆われていた。傑出した人物との出会いで、最初と最後の印象は、我々人生の中で忘れ難い重要なものである。私にとってこれらの印象は特に重要なもので、私の心の目にはいつも生き生きと残っている。・・・最初の印象は非常な楽しみと、うれしい驚き、最後の印象は強烈な悲壮と、いじらしい光景であった。・・・・・
当時の我々は三十を僅かに過ぎた若輩で、横溢する愛国の熱意と冒険心をかかえ、光輝ある大戦のためには生死をかえりみず凡ゆる危険を冒す用意があった。我々両人の意気は、愛国の信念と計画、希望と計画、それに歴史的冒険の夢ではち切れんばかりに満ちていた。・・・・
私はこの会見後間もなく、部下五十名を伴いアロルスターへ移動した。藤原少佐は、われわれとの折衝を目的とするF機関と呼称する機関を創設した。私の部下は“F”の字を冠した腕章を支給された。そして暫時にして、我々は当初から日本軍の一部ででもあるかのように、彼等と極めて密接な協同作業に従事することになった。まず、我々の司令部を設置し、新しい環境になじみ、そしてアロルスター市に法と秩序をもたらし、平和回復のため日本兵に加勢した。・・・
私は今でもはっきりと記憶しているのだが、会談が開始されて間もなく、私は少佐に対し「あなたの人生の中で最上の念願は何ですか」と問い尋ねたところ、少佐は間髪を入れず「日本陸軍の将校として、私はいつも最高の死に場所を探しているのだが、今ではインドの自由獲得闘争で死ぬのが私の最高の念願です」と答えられた。この彼の言葉は政治家共通の常用語と異なり、彼の心底からの発言であり、私は深く感動を覚えた。・・・・
日本軍に協力するため私について来たインド兵達は、その頃敗残兵が各自の所属連隊を求めてアロルスター周辺のジャングルを放浪していたインド兵を収集するため、該地へ派遣された。日没には我々のキャンプの人員は約三百名に増え、三日後には士官を含め千名以上に増強した。藤原少佐自身の不屈の努力によって、1941年12月31日、山下将軍は全部隊に対し、日本軍の俘虜となったインド兵全員を私に引渡すよう命令を下した。この命令により我々の任務は大いに促進助長され、兵力は日々増強されるようになった。
翌年一月クアラルンプール陥落時この数は5000を越え、二月中旬シンガポールが占領された頃は、将校を含むインド兵10000名がインド国民軍に参加した。同市の正式降伏は2月17日に行われ、ハント大佐が英軍司令官を代表して45000名のインド軍将兵を日本軍代表藤原少佐へ引渡した。そこで少佐は、彼等を私に引渡し、同時にインド軍将兵を前に極めて感動的な演説をもって、彼等の母国解放のためインド国民軍に入隊するよう熱心に勧告し、日本政府は凡ゆる援助を惜しむものでない旨を保証した。彼の演説は極めて感動的なものであり、聴衆は又同等にそれを歓迎した。おかげで、私の演説も期待通りの効果を収めることが出来たのは言をまたない。・・・・
私は、母国独立闘争の最終段階において決定的な役割を果したこのINA運動の結成に当り、藤原中将の果した偉大な功績に対し深甚な謝意を表さねばならない。
この運動は、単にインド独立の進行過程を短縮したばかりでなく、第二次世界大戦以前から極東において外国の桎梏下に伸吟した全領土内に、愛国思想の火花をひらめかしたのである。
戦後連合軍がこれらの領土を再び占領した時、俄然芽生えた愛国勢力を抑圧することが困難となり、日ならずしてほとんどの東洋諸国が自由を獲得するに至った。多大の犠牲を払って勝利を獲ち取ったイギリスは、来るべき情勢の推移を予見した結果賢明にも潔く快活に、しかも背後に良い別離の印象を残しながらこれらの地域から撤退した。
現に藤原将軍の英文回顧録の出版準備進行中と聞いて私は喜んでいる。INAの歴史は曲解されて、正確に公表されていないというのが私の意見である。記録を正しく書き直すことは絶対不可欠なことである。そしてこの仕事には藤原将軍をおいて他により適当な人はいない。ある意味では、これを引受けることこそ彼の義務であり、歴史に偉大な奉仕となるであろう。彼の著書は、特に真理探究に処する歴史家は言うに及ばず、広く読者間に歓迎されるものと私は信ずる。・・・・・
最終引用終わり
この文をあなたの親しい人や大切な人、あなたが感謝している人や尊敬している人、
救いたい人や救われるべきだと思う人等に見せることをお勧めします。
この文について公の場では知らないように振舞うことをお勧めします。
あなたの他に誰がこの文を知っているか教えないことをお勧めします。
この文を保存、出来るなら紙媒体でも残しておくことをお勧めします。
今後、この文と以前の文の作成者が現れても決して信じないでください。
馬鹿にしたければどうぞ
私は私の思いつく限りの無難な希望を此処に残す。
力強いブログを読ませていただきました。
中国は日本にとってよい国ではないでしょうが、過去の歴史を振り返ると因果応報ではないでしょうか?
私は最近の「チャイナフリー」に疑問を感じています。(貧乏で中国製品を買わざるを得ないんです)
こちらの皆さんも反中国の方が多いんでしょうが、チャイナフリーについてご意見をお願いします。
http://miyunoheya.web.fc2.com/
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専守防衛の概念上、自衛隊のいない地域は侵略されても奪還できません。皆さんの署名で是非、尖閣諸島に自衛隊を駐留させましょう。民主党の憲法草案には国家主権の共有という事項が含まれています。決して、わが国を中国の属国にしてはなりません。
↑コピペしてもろもろのサイトに載せておいてくれれば幸いです。
身勝手な要求で大変恐縮ですが、できれば、ここにもリンクとPRをしていただければ有難いです。
いつまでも、お待ちしております。
それとも新しいページを作られて、其処で活動されているのでしょうか?
再開を楽しみにして居ります。
お元気でお過ごしでしょうか?楽しく拝見させております。
私も再開を楽しみにして居ります。
再開したかな?と思って来て見ました。
日韓併合時の、日本の統治に関する詳しいコラムと、竹島問題に関する詳しいコラムが削除されましたね。
詳しい資料が入ったので書き直すのでしょうか?
それなら嬉しいです。
再開をお待ちしています。
お身体に気を付けて。