2006年11月14日

ヴァイニング夫人5

 ヴァイニング夫人は三度訪日していますが、三度目は1959年4月10日の皇太子殿下ご成婚の婚儀に招待されての来日でした。
 この本の最終にあたるところで、彼女は東洋と西洋についての記述をしていますので、その部分を掲載してみます。
エリザベス・G・ヴァイニング著「天皇とわたし」から引用します。

引用開始
※再び日本へ
 わたしはご成婚式に招かれて日本に向っていた。機中のわたしは雄鶏を模したストュベン・グラスの置物を膝の上においていた。それを皇太子殿下のご結婚記念のお祝いに選んだのは殿下が酉年のお生まれだったからであり、殿下との個人授業をもった小金井の教室には現代の大画家、川合玉堂が描いた雄渾な雄鶏の絵が一幅かけられていたからである。
 羽田空港では小泉家、たね、エスター・ローズ、井上さん一家、大ぜいの教え子、それに百人の報道関係者の出迎えを受けた。

※皇太子殿下と美智子様
 滞在中の十五日間に、ご婚儀やその午餐は別にして皇太子殿下には六度、そして美智子妃殿下となられた令嬢には三度お目にかかった。このかけがえのない若いお二人は、ご成婚の日までの息つくまもないお忙しい日々の中でわたしのために時間をおさきになったが、その心の大きさには今もって驚かされ感動させられる。・・・・・
 皇太子殿下は一夕をわたしのためにあけておかれ、わたしたちは二人だけで夕食をいただいた。料理は殿下のシェフがわたしの好物だと覚えておいてくれたものであった。その夜の殿下との談笑はあの連日の至福のときの中でも心底報われる体験として心の中に刻み込まれている。

※ご婚儀
 四月十日、太陽が輝き、桜の花が咲き誇る朝、ご婚儀が皇居の奥深くにある皇室のお社で執り行われた。千人あまりの賓客が参列し、お社の中庭の大きな木の下の椅子に着席していた。一方の側に政府の高官、他の側には皇族の方や花嫁の親族たちが着席していた。礼服に威儀を正した男性の中にあっては女性はほんのわずかであった。夫人たちは含まれていなかった。・・・・
 
 それは美しい簡素な儀式であった。それは花婿と花嫁の着る十一世紀の衣装や侍従や女官がつとめた付き添いの者たちの衣装で絵のように美しいものとされ、皇太子殿下がご自身と伴侶のために告文を読み上げられたときの粛としたご発声と、小鳥のさえずりでのみうちやぶられる静寂さの中にあって厳粛なものとされた。・・・・・

 日本の皇太子とその花嫁はだれにも邪魔されないハネムーンを楽しまれることはなかった。お二人は皇族方を訪問し、東京都知事のお祝いをお受けになる儀式に出られ、伊勢に行かれて皇太子のご先祖にご結婚を報告され、さらに三日間は連日政府の高官や、外交官、そして正田家の方がたや、皇太子のご兄弟たち、元侍従や女官たち、元教師たちといったその他の招待客のためにもたれた午餐のレセプションに出席されねばならなかったからである。

※お別れの挨拶
 十五日の午後の最後の行事は皇居に伺って皇后様にお別れのご挨拶をすることであった。皇后様はヴァイオレット(著者の姉)のために心のこもったお言葉を託され、また美しい花をもった花籠を贈られたが、それは帰国後に外交官専用のパウチで送られた。
 東宮御所にも伺い、皇太子殿下と美智子妃殿下にお別れのご挨拶を申し上げた。こちらには小泉博士も同行された。お二人はくつろいで笑顔で迎えられた。お忙しい週をお過ごしになったにもかかわらず、お疲れのごようすではなかった。妃殿下は格子じまのスーツをお召しになり、その襟の折り返しには妃殿下らしいお心遣いからわたしが贈った銀のピンがとめられていた。
・・・略・・・

 帰国の途次の機中での長時間、そしてホノルルの海岸で一息ついた三日間、わたしは日本のことと、そこでのわたしの体験や、あの四年間と二度の訪問がわたしに与えてくれたものをしみじみとした感慨の中で思いめぐらした。わたしの人生は大きく広げられ、深い友情や新しい出会いをもち、歴史と和歌と芸術をもつそれまでは未知だったこの美しい日本がわたしの前に開けたのである。しかし、それと同時に目で見たりさわったりすることより、もっと深い所でわたしに新しい考え方、感じ方を与えてくれたのである。

※東洋と西洋の思考の違い
 わたしをもっとも強くとらえた東洋と西洋の思考の違いは自然にたいする態度であった。 自然の美しさはわたしの人生においては欠くことのできぬ大切なものである。それは喜びであり、悲しみや迷いのときの慰めと力の源泉であるが、わたしは、人間が自然を支配し、征服し、それを利用するという西洋的な考えを吟味せずに受け入れていた。

 仏教渡来以前の、日本の土着宗教は、恐怖からではなくて感謝の気持に発する穏やかな感恩の自然崇拝であった。地震や、津波、火山の爆発、台風、火事、洪水のように、自然の災害がさまざまな仕方で襲う国で、人びとが自然を恐れたり宥めたりするのではなくて、その恵みと美しさに感謝するのは驚くべきことである。
 大木や、高い岩山には小さな社が祭られ、その前では祈りが唱えられたり、花や食物が捧げられたりする。仏教もまた自然を慈しむことやそれとの調和の教えをもたらした。それは、東洋に広がっている態度で、その起源が東洋にあるとされるアメリカン・インディアンが信奉している態度でもある。

 この態度は日々の生活の中にちょっとした仕方で現れる。例えば、日本では食べ物には旬がある。それぞれの季節が旬の果実をもたらし、それぞれがその時期に賞味される。
・・・略・・・
 日本からはじめて帰国して、自然と調和して暮らすことについての話をしたとき、わたしの友人たちは怪訝そうな顔つきで反論した。
「そう言っても、わたしたちは自然を征服しなければならないと思います。そのためにわたしたちの文明は進んだのですから。」
 しかし、土地を荒らしまくり、大気を汚染させた結果生じた深刻な問題を抱えた今、わたしたちはこれまでの態度を再検討する必要に迫られている。
引用終わり。

 この最後の東洋と西洋の思考の違いのところは、大変大切なことを示唆していると思います。
 欧米には根本的に征服の思想があり、日本には根本的に調和共存の思想が根付いていることは、住宅などの建築様式についても、外国人建築家の本などで、同じような違いを指摘しています。
posted by 小楠 at 07:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
「東洋と西洋の思考の違い・・・
わたしをもっとも強くとらえた東洋と西洋の思考の違いは自然にたいする態度であった。」人間が自然を支配し、征服し、それを利用するという西洋的な考え、自然との共生を考えた日本、そこには素朴で平和を愛した農耕民族の歴史があると思います。小楠さんが言われる様に「欧米には根本的に征服の思想があり、日本には根本的に調和共存の思想が根付いている」全く同感です。これも国が陸地続きと言う大陸と、四周を海に囲まれた島国日本の違いですね。
Posted by カピタン at 2006年11月14日 09:54
カピタン様
この調和共存が時としてお人よしになってしまうので、筋の通った調和共存を進めるのが難しいところですね。
Posted by 小楠 at 2006年11月14日 13:23
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