ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。日本がアジア諸国の白人支配からの独立にいかに大きな役割を果たしたかが詳しく解るでしょう。今回も、その第二部の内容をご紹介して行きます、同じく昭和六十(1985)年初版の本からの抜粋です。
写真は日本軍に協力してインパール作戦にあたったINAのシャヌワース連隊長

引用開始
元英印軍出身INA将兵一万九千五百名の処置は、英帝国戦後処理の最も重要かつ難題の一つとなった。戦後の印度統治の成否を左右する大問題であった。1857年サボイ反乱以後の不祥事であった。殊にその処置の当否は、英帝国印度統治の番犬、英印軍内印度人将兵の対英忠誠心に決定的影響を及ぼすことが予想されるだけに、いよいよ重大であった。
英帝国は、INA反逆将兵を軍事裁判にかけて、厳刑に処することによって、英帝国の権威を誇示し、印度民衆特に、英印軍印度人将兵に対する見せしめにして、印度支配を揺るぎないものにしよう、それができると考えた。
この決定は、事志と反対の結果を巻き起こすこととなった。・・・
戦後トインビーやラティモアが指摘した大東亜戦争の史的意義と歴史の必然を予見し得なかったのであろうか。流石の英帝国も、戦勝の驕りと、飼犬と心得た将兵の反逆に対する憤怒のために。
ガンヂー、ネールを初め、印度国民会議派の領袖は、英帝国の、この誤判を見逃さなかった。現英印軍印度人将兵と血縁、或いは知己の関係にあるINA将兵二万を厳刑に処せんとする軍事裁判こそ、英印軍印度人将兵を会議派側に獲得し、又これを利用して全印度民衆を反英独立運動に動員結集して、独立運動に決定的成功を収める天与の好機と読んだのである。あの抜け目のない英帝国が、正に会議派の思う壺にはまった形となったのである。
そこで、会議派は逸早く、裁判の公開と会議派の弁護権を要求した。早くも九月十四日、ブーナにおいて、会議派執行委員会を開催、「INA将兵は印度独立のため戦った愛国者であり、即時解放さるべきである」との決議を採択し、これを宣言した。次いで会議派は、その長老の一人で、名弁護士として聞こえたフラバイ・デサイ博士を首席弁護士に挙げ、会議派指導層の中から、錚々たる一流弁護士を選りすぐって、大弁護団を編成した。そして先ず、印度民衆特に英印軍内印度人将兵に対して、会議派挙げての啓蒙宣伝と大衆動員を開始したのである。私達証人は、この弁護団が喚問したものであった。
到着後の二日目、私達日本側証人と弁護士団との初顔合わせがあった。その時の深い感銘、感動も私の忘れ難いものである。
私達は紅顔美青年の英軍大尉誘導の下、銃剣ものものしいグルカ兵に前後から監視されながら、キャンプ外側に設けられた面接所に導かれた。そこには、弁護士団の外、INA参謀長ボンスレー少将、シャヌワーズ、ディロン両大佐、サイガル中佐を初め十数名のINA将士の盟友が、その家族とともに待っていた。盟友達は英軍将校も看視兵も無視して、私の周囲に、「ジャイヒン」「ジャイヒン」(インド万歳)メージャー・フジワラ(私が終戦直前中佐になっていることを知らなかったのであろう。当時メージャーは彼等が私を呼ぶ愛称のようになっていた)と連呼しながら、群がり集まってきた。交々私の手を握り、肩を抱いて再開と遠来を喜んでくれた。家族にも誇らしげに私を引き合わせ紹介してくれた。ビルマ戦線以来、十か月振りの再会である。私は一同の面に、満々たる自信と軒昂たる意気を読み取って、ほっとした。
私は、思わず、「どうか、裁判は大丈夫か」と、一同に愚問を発した。ディロン大佐は、言下に、胸をたたいて「御心配無用、印度は一年以内に独立を克ち取る。われわれを一人でも処刑したら、在印英人は一人も生きて帰国できないであろう。先日ネール氏が面会に来てくれた。われわれに向かって、諸官は生命と祖国の独立の何れを欲するか、諸官の選ぶ望みを叶えようといった。われわれ一同、異口同音『独立』と言下に答えた」。そして逆に、日本の敗戦を慰め励ましてくれた。
こんな劇的再会の後、われわれは、幕舎の面接所で待っているデサイ博士を初め、数名の弁護士の前に案内された。・・・・
そして博士は先ずわれわれの遠来の好意を謝した後、
「日本がこの度の大戦に敗れたことは、真に傷ましい。ニュースの報じるところによると、東条首相や山下将軍を初め多くの指導者や将校がアレストされ、又数多の将軍が相次いで自決されている由、誠に愁傷の極みである。日本は、初めて敗戦の痛苦を嘗めることとなりお気の毒である。しかしどの民族でも、幾度もこの悲運を経験している。一旦の勝敗の如き、必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が極めて近い将来に、必ず、アジアの大国として、再び復興繁栄することを信じて疑わない。
印度は程なく完うする。その独立の契機を与えたのは日本である。印度の独立は、日本のお陰で三十年早まった。これは印度だけではなく、ビルマ、インドネシア、ヴェトナムを初め、東南亜諸民族共通である。印度四億の国民は、これを深く肝銘している。印度国民は、日本の復興に、あらゆる協力を惜しまないであろう。他の東南亜諸民族も同様と信ずる。
と英軍将校の面前で、語られたこの温かく、力強い恩言は、敗戦に打ちひしがれ、祖国の復興は、三十年、五十年否百年の間望み難いとまで失望自失に陥っていた私達日本人にとって、正に活棒を喰った思いであった。
引用終わり
ありがとうございます。
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/54643656.html