2006年11月11日

ヴァイニング夫人4

ヴァイニング夫人は、マッカーサーについてもさまざまなことをこの書の中で述べています。
エリザベス・G・ヴァイニング著「天皇とわたし」から引用します。

引用開始
※マッカーサーとの初対面
 日本が降伏してからの五ヶ月近くは、マッカーサーの配下にはアメリカからの部隊しかなかった。1946年の2月になって、英国、オーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダの兵士からなる小隊が到着し、本州の南、広島湾の向かいにある呉に駐屯した。
 ソ連は北海道占領のために兵を送ると早い時期に申し出たが、それは即、峻拒された。

 元帥との初対面は1947年5月3日のことで、アメリカ大使館での昼食会に招かれたときだった。・・・・・
 昼食が済むと、軍事法廷のオーストラリア代表の裁判長サー・ウィリアム・ウエッブに話しかけられたが、元帥が近寄ってくると彼はその場を離れ、そのため元帥と二人だけでしばらく話をした。・・・・・
 天皇については親しみと同情を込めた口ぶりで、「この奴隷の国にあってはナンバー・ワンの奴隷だったが、今自由人にされているところだ。彼は本当に飾り気のない率直な人で、民主的な人だ」と評された。・・・

※マッカーサーと天皇陛下の第一回会見
 元帥は天皇陛下と初めて会見されたときの模様を次のように話してくれた。
「わたしは少し強く押してみたんだが、戦争に対する責任を取る気があるのかと質すと、天皇はこう言われた。『お答えする前に一言いわせていただきたい。閣下がわたしをどう扱おうとそれは構わない。わたしはそれを甘んじて受ける。絞首刑にしてもかまわない。ただわたしは戦争を望んだことは一度もなかった。一つにはわれわれが勝てるなどとわたしが考えなかったからだ。それにもましてわたしは軍拡派を好まなかったし、信用していなかった。戦争を阻止するためにわたしにできることはした。』」

 元帥は『回顧録』の中で、陛下の言葉として似たような趣旨の言葉を引いているが、はるかに格調あるものである。通訳官を介してなされた言葉のやりとりの実際はこの二つのうちの間にあるのではないかと思われる。

 元帥は陛下のことを語るときはつねに親しみと憧憬を込めて、科学者としての生物学へのご関心や、純朴で誠実なお人柄、生来の洗練された「高潔なお人柄」を賞讃された。

※朝鮮戦争の勃発
 北鮮が南鮮に侵入するに及び、事態は一変した。東京の総司令部はこの動きに対処する準備をしていなかった。少なくともその時点でそうだったことは、占領軍の軍人たちのカレッジに通う子弟が親元でその夏の休暇を過ごせるよう訪日がはじめて許可されていた事実から分かる。
・・・略・・・
 元帥とは日本でもう一度お会いした。・・・・わたしはお別れの挨拶に伺いたいと尋ねたところ、面会日が二十八日の火曜日と決まった。ところが月曜日にバンカー中佐から電話があり、ある突発事態のため元帥は火曜に会えなくなったが、水曜日ではどうかと問い合わせてきた。その事態が何であるかを知ったのは火曜の午後、「スターズ・アンド・ストライプス」紙で、大量の中共軍――名目とされた義勇兵だけではない――が国境を越えて北鮮に入り込み、国連軍がその国境から一斉に後退しているとのニュースを読んだときであった。・・・・・・

 その日の元帥の心にあったのはもっぱら朝鮮の状況だった。二十万の中共軍がすでに現地にいて、三十万が投入されるべく待機しているのだと言われた。元帥には十二万五千の兵力しかなく、それ以上は出せないと通告されていた。・・・・・

 元帥は孫文と蒋介石総統を介して中国を統一しコミュニストにしようとする近代の試みを跡づけ、中国人はその過程でしだいに戦うことに慣れ、軍事化されてきたと発言された。「彼らの指導者たちはもっとも始末の悪い病に冒されて、つまり死を処方箋とするしかない権力という病に撃たれたのだ。」
 彼は中国がチベットや、インドシナ半島、ビルマを征服すると予見し、「日本にとって最大の脅威はロシアではなく中国だ」と言って、マニュエル・ケソン(フィリピンの政治家、コモンウェルス時代の初代大統領)についての挿話を聞かせてくれた。・・・・・

※マッカーサーの解任
 それから五ヶ月後のある日、「フィラデルフィア・イブニング・ブルティン」紙から電話が入り、トルーマン大統領がマッカーサーを解任したことを知らされ、その件での意見を求められた。わたしは驚き、身の震える思いをした。

 シビリアン・コントロールと大統領が三軍の長であることはアメリカ統治の大本であった。大統領にしてみれば、大殊勲のあった元帥といえども自分に服従しないのは耐えられない。しかしわたしは当時も今も、そのときの解任の仕方は弁護の余地なき不適切なものであったと考える。

 確かに、解任の事実とその最終決定は取り消したり穏やかなものにし得るものではなかったが、その突然の決定が内々に伝えられなかったものかどうか、また元帥が威厳をもって退き、形だけでも名誉ある帰国の機会が与えられなかったものかと思われる。

 日本人は驚愕した。彼らはたとえ奉公人といえども相手の感情や立場を無視して衆目の中で解雇したりはしない。
 マッカーサー元帥はラジオでその解任のニュースを聞いてから一週間もたたないうちに東京を去ったが、その日は悲しみと感謝が溢れ出た。すでに書いたように、天皇は前例をお破りになって今や一市民となったマッカーサーにお別れの挨拶にお出かけになった。
引用終わり。

 ここに、ヴァイニング夫人の有名な言葉、「you may hang me」
が書かれていました。
posted by 小楠 at 08:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
こんばんは。本日もコメントを有難うございました。>衆目の中で解雇したりはしない< ヴァイニング夫人は日本人特有の気配り(心情?)をしっかりと理解してくれていたのですね。
Posted by おばりん at 2006年11月11日 22:41
おばりん様
>>日本人特有の気配り(心情?)

これを美点と解ってくれる相手はいいのですがねー。

うまく利用される場合もあって、外交の場では、この特質がかえって弱みになっているのでしょうか。
Posted by 小楠 at 2006年11月12日 15:42
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