2008年07月09日

チャンドラ・ボース登場

インド独立の巨星チャンドラ・ボース

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。日本がアジア諸国の白人支配からの独立にいかに大きな役割を果たしたかが詳しく解るでしょう。今回からは、その第二部の内容をご紹介して行きます、同じく昭和六十(1985)年初版の本からの抜粋です。
写真はシンガポールに到着したチャンドラ・ボース氏、先導は国塚少尉
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引用開始
 昭和十八年七月二日、ベルリンにあった印度独立運動の巨星スバス・チャンドラ・ボース氏が、忽然、シンガポールに、脚光を浴びて登場していた。颯爽、六尺の偉躯に、烈々たる闘志を漲らせてボース氏は潜水艦で、文字通り潜行三千里、南亜、マダガスカル沖を経て、五月六日、スマトラ北端のサバン島に上陸し、先ず東京に密行していたのである。それは、東条総理を初め、重光外相、陸海軍首脳等に面談して印度独立運動支援に対する日本の真意を確かめるためであった。
 去る十七年三月、山王会談の節、上京した南方代表モ将軍等との会談や、バンコック会議の決議に冷淡な態度を示した東条総理は、一見ボース氏に傾倒することとなった。重光外相のただならぬ推奨もあったが、その非凡の人物に魅せられた。あらゆる支援を約し、専用機を提供する優遇振りであった。更に六月十六日、ボース氏を衆議院に案内し、氏を前にして、親しく印度独立支援に対する帝国の理念と熱誠を披露する大演説を行った。混迷を続けたが印度工作の理念は、ボースの出現によって、ようやく鮮明になってきた。

 偉大なる指導者を、劇的裡に、シンガポールに迎えた東亜在住二百万の印度人は、歓呼熱狂した。モハンシン事件以来、紛糾と沈滞を続けたIIL、INAの運動は、この一刹那に、起死回生、闘志と結束を復元倍加した。七月四日には、同地に開催されたIIL代表者大会において「自由印度仮政府」の樹立が決議宣言され、ボース氏は満場一致、その首席に推された。かくて大東亜における反英印度独立闘争統帥の地位は、ラース・ベハリ・ボース氏からスバス・チャンドラ・ボース氏に継承せられることとなった。チャンドラ・ボース氏は、ネタージ(総帥の意)・ボースと敬称せられた。七月五日、ネタージ・ボースは一万五千のINA将兵を、シンガポール支庁前の広場で閲兵し、次の歴史的大獅子吼を行った。彼が半生の独立闘争に求めて得られなかった革命軍を、今、掌中におさめ得たのである。その歓喜と感激は、余人の想像に絶するものであったであろう。

「きょうは、私の生涯を通じて、最も誇りとする日である。印度国民軍の結成を、世界に宣明する光栄の日である。終生の希望を達成した私は、心から神に感謝したい。この軍は、たんに英国の桎梏から印度を解放するだけの軍隊ではない。事の成就した暁には、将来の自由印度の国軍となるべきものである。
 この軍隊が、かつて英国の牙城たりしシンガポールの地に編成されたことは、最も意義が深い。今この壇上に立つと、英帝国すでになし、との感が深い。
 同志諸君! わが兵士諸君! 諸君の雄叫びは、「デリーへ」「デリーへ」である。われらの中、果して何名がこの戦いに生き残り得るかわからぬ。しかし、われわれが最後の勝利を獲得することは間違いない。われわれの任務は、あの古都デリーの赤城(印度語でラール・キーラ・キーラ、英語レッドフォートと呼ばれる)に入城式を行うまで終わらないのである。
 長い間の抗英闘争中、印度が、あらゆる闘争手段を持っていたが、唯一持ち得なかったもの、そして最も重要なるもの、それは軍隊であった。私は、この軍隊のないことに切歯してきた。それが、現在、ここに、かくも精強な軍隊が現出したのである。この歴史的軍隊に、真先に挺身参加したのは、諸君の特権であり、名誉である。今や諸君は、独立獲得への過程における最後の障碍を除去したのである。かかる崇高への開拓者であり、急先鋒であることは、諸君の誇りである。

 かさねていおう。かつて日本軍は、この大要塞シンガポールを落とすため、怒涛のようにマレイに進撃し、口々に叫んだ雄叫びは、「シンガポールへ」、「シンガポールへ」であった。この雄叫びは見事に実現された。われわれはこの例にならって、再び叫ぼう「チェロ、デリー」(デリーへ)、「チェロ、デリー」と。デリーが再びわれらがものとなる日まで。・・・・兵士諸君! 自由獲得のため、この軍隊の最初の一兵士となることほど、大きな名誉はない。しかし、名誉にはつねに、責任をともなうのである。私自身も深くこれを自覚している。私は諸君に、暗黒にも、光明にも、悲しみにも、喜びにも、又受難のときにも、勝利のときも、常に諸君とともにあることを誓う。
 現在私が、諸君に呈上し得るものは、飢渇、欠乏、その上に、進軍、また進軍、そして、死以外なにものでもない。しかし、諸君が生死を私に托して従うならば、私は必ずや諸君を、勝利と自由に導き得ると確信する。われわれの中、幾人が生きて自由印度を見るかは、問題ではない。われわれの母なる国、印度が、自由になること、印度を自由にするため、われわれの全部を捧げること、それで十分なのである。」
 一万五千の将兵と、陪観に集まった数万の印度人市民は、期せずして「チェロ、デリー」「チェロ、デリー」「ネタージ・ボース万歳」と歓呼し、爆発した。万雷の歓呼は、津波となって、全市に、港の彼方にどよめき渡った。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:27| Comment(1) | TrackBack(2) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
面白いチャンドラボーズの写真がネットに出ています。
Posted by 吉川akiar at 2012年06月15日 13:32
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