ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
写真は山王会談から帰還したIIL、INA代表をシンガポール カラン空港に出迎える筆者。中央はモハンシン将軍、左はゴーホー氏、右はラガバン氏。(昭、17、4)

引用開始
三月二十日、山王ホテルにおいて四志士殉難の悲愁をつつんで、山王会議が開催された第一日の午前の会議には岩畔大佐と私に傍聴を許された。南方から上京したIIL、INA使節の四氏のほか、香港、上海、比島、日本の代表が列席してラース・ビハリー・ボース氏が推挙されて議長の席についた。しかし何故か、在日印度人の有力者であり、また独立運動の代表的人物であるサハイ氏の姿が見当らなかった。プラタップ氏も参列していないのが私には奇異に感ぜられた。
正面の壁間には印度と日本の大国旗が飾られていた。まず議長が立ってIIL、INA使節四氏の殉難の予想を悲しんだ後、遠来の各地使節に対する歓迎の辞を述べた。次いで、東条声明において宣言された日本の印度独立支援に対する基本態度と日本軍の勝利によって急速に到来されつつある印度独立の天機について感激の意を表し、またIIL、INA使節の南方における挺身的活動を絶賛し、感謝を述べた。更にこのたびの山王会議においては、まず各地代表の懇親を結び、自由かつ率直に印度独立に関する政治問題を討議し、祖国解放のため全東亜印度人の政治的結束を計る方策を探究せんとするにある旨を披歴した。私はボース氏の熱誠のこもった挨拶にも拘わらず、各地代表特にIIL、INA使節に与えた感銘は必ずしも期待されたように深刻ではないとの印象を受けた。しかし殉難四氏の素志を継いで、その念願を達成しなければならないという悲痛な決意も各代表の面に読み取れた。使節一行は会議の席上において、あるいは個別に、連日こもごも真摯なる意見の交換、討議の反覆を行った。その結果IILを東亜全印度人の印度独立運動団体として確認された。そして五月中旬、バンコックにおいて名実共に全東亜印度人代表をこぞる公開のIIL大会を開催し、連盟の組織、運動の方策を再討議することとなった。
IILと岩畔機関の本格的活動は、このバンコック大会を烽火として開催される段取りとなった。IIL、INA使節は、印度独立運動支援に関する大本営の意向を確認しかねながら、京都大阪方面視察の途に上った。
五氏の遭難が決定的となり、その遭難機の行方を探索しつつあるとき、私は再び私の悲嘆を加重する悲しい電報を接受しなければならなかった。
それは、シンガポールの病院に重症を養いつつあったハリマオ(谷君)の死去を報ずる第二十五軍参謀長の公電であった。マレイを縦貫する急行列車を襲って金塊を強奪する程の凶悪を働き、北部マレイの虎として泣く子も恐れさせた彼は、マレイの戦雲が急を告げるころ、翻然発心して純誠な愛国の志士に返った。彼は私の厳命を遵守して、彼は勿論、その部下も私腹を肥やす一物の略奪も、現住民に対する一回の暴行も犯すことがなかった。そして英軍の戦線に神出鬼没の大活躍を演じ、ついに敵の牙城シンガポール陥落直後、その地の病床に伏して昇天したのである。彼の数奇をきわめた生涯は二十八歳を一期として終焉した。・・・
私は直ちに谷君を正式の軍属として陸軍省に登記して頂く措置をとった。翌日、私は陸軍省の記者倶楽部に招かれて、ハリマオの数奇を極めた半生と、戦争前後における彼の英雄的活動を語った。大新聞は一斉に四分の一ページにも及ぶスペースを割いて、これを報じた。彼は東京九段坂の靖国神社に祀られた。孝子として、また愛国の志士としてその生涯を飾った。
岩畔大佐は新任務遂行に関する構想を練り、民間から有能なスタッフを物色し、強力なる機関の編成を急いだ。・・・・
四月一日私は東京を発って再びシンガポールに飛行した。この出発の矢先に、五同志遭難の決定的悲報を入手した。一行の搭乗機は豪雨の天候に航路を誤って、長野県の日本アルプス焼岳に衝突したのであった。
途中、福岡飛行場においてハリマオの母堂と姉さんとに面談した。私の弔辞に対して母堂も姉さんも頭を左右に振って、谷君が祖国のために身命を奉仕し得たことを心から感謝し喜ばれた。そして私の語る谷君の功業に心から満足してくれた。私はその健気なる心構えに恐縮した。・・・・
私のこの東京旅行間に、東南亜細亜地区戦局は進展しつつあった。すなわちビルマ方面においては三月八日ラングーンを占領し、更に中、北ビルマに対する大進撃作戦を展開しつつあった。第十六軍は三月一日を期し、ジャワに上陸し、三月九日、早くも蘭印軍の降服をみていた。第二十五軍隷下の近衛師団は三月十三日、北部スマトラに上陸し、三月十三日には日本軍の一部隊はアンダマン列島を占拠した。比島方面では四月五日以来パターン半島に対する最後の攻撃が開始されていた。
引用終わり
さて、移民反対の署名をしているサイトがありますので、
ちょっと、ご紹介させて下さい。
『1000万人移民反対!』 『日本を守ろう!』
移民反対の署名活動に、ご協力ください!
『1000万人移民案の阻止と代案の発案』にて、署名を受け付けております。
http://www.shomei.tv/project-59.html
お知り合い・HP・ブログ・掲示板・団体など、できるだけ多くの方に移民反対の署名を呼びかけて頂きますよう、お願いします 。
了解しました。
社内にも直接訴えて行きたいと思います。
お知らせ有難うございました。