2006年11月06日

旧憲法下の政治権力機関

 戦前戦中を語る場合に、旧憲法下における日本の政治権力機関の名称とその役割は、なかなか解り難いところがあります。
 近現代史の本を読まれる場合、特に戦時におけるこれらの名称の意味を明確にしておくことは、内容の把握がよりよく進むと思います。
 今回は、戦前戦中を通じて、大本営陸軍参謀として、中枢に身を置かれた瀬島龍三氏の「大東亜戦争の実相」から、上記の解説にあたる部分を引用してみます。
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●大東亜戦争という名称
 大本営政府連絡会議において、重慶の蒋介石政権に対する軍事行動と、米英蘭三国に対する戦争とを一括して「大東亜戦争」と呼称することに決定した。
 これは、大東亜新秩序を建設するための戦争であるから「大東亜戦争」と呼ぶというわけではなく、単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味に過ぎない。そして、大東亜の地域とは、おおむね、南はビルマ以東、北はバイカル湖以東の東アジアの大陸、並びにおおむね東経180度以西すなわちマーシャル群島以西の西太平洋の海域を指し、インド、豪州は含まれていません。

●統帥権の独立とは
 日本では用兵、作戦のことまたは軍を指揮することを「統帥」、その権限を「統帥権」と称しました。
 旧憲法において、統治権は天皇に帰属しますが、天皇はその「統治権を総攬」するだけで、実質的には近代国家の三権分立の一般構造同様に、立法権は議会、司法権は裁判所、行政権は内閣(政府)に帰属していたといえます。
 問題は戦時または事変の際における用兵、作戦に関する企画、立案、実行の権限、換言すれば軍の指揮権が行政権の範疇に入るか否か、従ってそれを管掌する国家機関は内閣(政府)であるか否かの点です。

 欧米の一般では、軍の統帥は行政権の範疇に入り、政府の管掌する所です。しかし、日本の旧憲法には、第十一条に「天皇は陸海軍を統帥す」という特定条項があり、これを天皇の「統帥大権」と通称しましたが、この統帥大権は行政権の範疇外のものとなっており、行政府とは別個に天皇に直接隷属する統帥部がそれを管掌する仕組みでした。

 統帥部とは陸軍の参謀本部、海軍の軍令部がそれであり、それぞれの長官である参謀総長または軍令部総長が、天皇の陸軍または海軍に対する統帥権の行使を、それぞれ輔翼――各国務大臣が天皇の行政権行使を補佐するのを「輔弼」と称した――するのです。
 もとより陸海軍に関する行政すなわち軍政(例えば陸海軍に関する予算)は、欧米一般同様内閣(政府)を構成する陸軍大臣(陸軍省)または海軍大臣(海軍省)の管掌するところですが、その陸軍大臣(陸軍省)と参謀総長(参謀本部)、海軍大臣(海軍省)と軍令部総長(軍令部)とは、いずれも天皇に直隷する併立の独立機関でした。
 以上が日本において特筆された「統帥権の独立」であり、統帥部及び軍一般は、政府及び政治一般の統帥に対する容喙干渉を峻拒する慣習伝統が確立していました。

●編制大権(混成事項に関する行政権)
 陸海軍に関する行政すなわち軍政は、陸海軍大臣の管掌するところですが、その軍政は一般的行政と軍事専門的行政とに大別されます。軍事専門的行政とは軍の編制、装備、兵力量などに関する事項であり、これを統帥と軍政との「混成事項」と称していました。
 しかるに旧憲法第十二条に「天皇は陸海軍の編制及常備兵額を定む」とあり、この天皇の権限を、「統帥大権」と並べて「編制大権」と称していました。すなわちこの編制大権も原則的には内閣に帰属すべき一般行政の範疇外に属すると見なされることが多かったのです。
 そしてそれを輔翼するのはもとより陸海軍大臣であり、陸海軍大臣は参謀総長及び軍令部総長とそれぞれ協議の上、混成事項の決定にあたりました。これは原則として閣議に付議する必要がなく、関係機関と調整の上その決定を内閣総理大臣に報告する慣習だったのです。

 こうして陸海軍大臣は国の行政全般の議に参画する国務大臣であり、陸海軍省の主管大臣である他、編制大権に関する天皇の補佐役であり、さらには大本営の構成員でもありました。そのために陸海軍大臣は現役大中将でなければならないという、陸海軍省管制の規定があり、この規定こそが日本の運命に重大な影響を及ぼしました。

●大本営
 天皇の統帥権行使を輔翼すべき戦時の最高統帥機関として、平時機関たる参謀本部及び軍令部と二位一体的なものを大本営と呼びます。大本営は陸軍部と海軍部に分かれます。大本営陸軍部(海軍部)は、参謀総長(軍令部総長)以下参謀本部(軍令部)の主要人員を動員した司令部組織に、加えて混成事項の輔翼者たる陸軍大臣(海軍大臣)が陸軍省(海軍省)の主要幹部を従えてこれに加わったものです。従って大本営はあくまで統帥機関であり、一般行政府と全く別個の機関です。

●大本営政府連絡会議
 統帥権の独立している日本においては、大本営の行う統帥(用兵作戦)と、行政府の行う外交、財政経済、教育思想などの政治との統合、調整、換言すれば、大本営の行う戦略と行政府の行う政略との統合、調整(これを戦争指導といったが、戦争遂行上重要な課題となりました。

 さて、軍事戦略は大本営、政略は政府が管掌するのですが、戦争指導はどこが管掌するのでしょうか。申すまでもなく、旧憲法下ではそれを行う権限を持たれる方は、天皇お一人をおいて他にないわけですが、その天皇を、戦争指導に関して補佐する固有の国家機関は法的にも実質的にもなかったのです

 従って戦争指導は大本営と政府とが対等の立場において、共同して管掌するわけで、戦争指導に関する国家意志の決定は両者の協議による合意を待たなければなりませんでした。
 こうして1937年11月大本営の設置に伴い、大本営と政府との申し合わせにより、戦争指導に関する国家意志の実質決定機関として、「大本営政府連絡会議」を設けました。便宜的措置であり、法的機関ではありません

 連絡会議の構成員は、政府側は総理、外相、陸海軍相を正メンバーとし、時により蔵相、企画員総裁、副総理格の無任所相などがこれに加わり、大本営側は、参謀総長、軍令部総長を正メンバーとし、時により参謀次長、軍令部次長がこれに加わるのが通例でした。

●御前会議
 重要な戦争指導上の方策(国策)の決定にあたっては、宮中において天皇御臨席の下に大本営政府連絡会議が開かれました。これを「御前会議」といいます。すなわち御前会議とは、本質的には天皇の御前における大本営政府連絡会議を指すのであり、もとより天皇の主宰される会議というものではありません

 戦前戦中の様々な書籍を詠む場合に、これらの言葉が頻繁に出てきますが、これらをはっきり整理区別しておかないと、なかなかわかり難いことがあります。
posted by 小楠 at 07:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本
この記事へのコメント
案の定、勘違いしている点が多々ありました。たいへん、勉強になりました(礼)。
Posted by おしょう at 2006年11月06日 16:51
おしょう様
私もこのあたりはなかなか曖昧で、一度明確にする必要があると思っていました。
Posted by 小楠 at 2006年11月09日 07:58
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