2006年11月04日

特攻隊戦没者供養

 今回も、ご紹介するのは、2002年に九回にわたって放送された「新・平成日本のよふけ」の瀬島龍三氏出演回の内容を中心に、追加取材して構成されたものです。瀬島龍三「日本の証言」から表題に関する部分を引用します。

引用開始
 国民の皆さまに、ぜひ申し上げておきたいことがあります。陸軍における特攻隊というのは、全部飛行機で敵陣に突入する特攻です。海軍には、飛行機の特攻以外に、水上特攻、空中特攻(菊水)、人間魚雷(回天)、人間爆弾(桜花)など、水上から行く特攻もありました。
 あの戦争では約200万人の日本兵が命を捧げましたが、特攻攻撃によって国に命を捧げた人は、陸海軍合わせて6952名です。そのうちの約5400名が海軍で、約1600名が陸軍です。
 なぜ海軍が多いかというと、いま申しましたように、飛行機の特攻以外に水上特攻というのが、海軍にあったからです。
 その方々の年齢は、19歳から21歳までが多く、結婚はしていなくて子供もいません。それに、両親がすでに100歳に近い年齢になっているわけですから、近親者に供養する人たちがいなくなりつつあるという状況です。

 いまから10年ほど前に、この特攻隊の調査および慰霊事業をやる財団法人をつくろうと考えまして、陸海軍の親しい方や有志の方に相談をして、平成5年11月に、政府の認可をいただき、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会という財団法人ができました。
 私はたまたま陸軍でありながら連合艦隊にも勤務し、陸海軍にまたがっておりましたから、海軍側から私に会長をやってくれっていう話になって、今日までこの財団の会長をやってまいりました。
 まず特攻隊によって国に命を捧げた方々の名簿を整理し、その人たちがどういう方であったかという調査をしまして、これが終わりました。それで、年に一回、靖国神社で慰霊祭をやっております。

 そのほかに、東京の世田谷に特攻観音寺というお寺があるんです。このお寺に、浅草の浅草寺の僧侶たちが来てくれまして、秋のお彼岸の日に慰霊祭をやっております。
 特攻隊というのは、世界に先例がないんです。そのため、世界中から、日本の特攻隊を研究したいので、資料を送ってくれという要望が来ております。

 特攻隊というのはね、上から命令したもんじゃないんです。事の起こりは、昭和19年秋、フィリピンのレイテ海戦でした。そのときに、当時その付近におった海軍の第一航空艦隊の中で、自然発生的に航空特攻攻撃というものが出てきたわけです。それが海軍のほかの航空艦隊に伝わって、さらに陸軍の第五航空軍とか第六航空軍にも伝わったものです。
―――特攻隊というのは、自然発生的に現れたものなんですか。

 そうです。自然発生です。命令じゃない。特攻攻撃が行われたレイテ海戦の第一航空艦隊の艦隊司令長官は、大西中将ですが、大西中将はそういう命令を出してはおりません。これは、日本の歴史にとって、大変な問題だと私は思っています。
 陸海軍の特攻攻撃がいちばん激しかったのは、昭和二十年の四月一日、米軍が沖縄に上陸したときです。この沖縄作戦のときに、陸海軍の特攻攻撃が非常に盛んに行われました。

 特攻攻撃を行う方々は、出撃の前の晩に、この世と別れる辞世を詠んでいますよ。それもね、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会で調べて、慰霊集をつくりました。
 昭和20年4月の沖縄作戦のときに、連合艦隊司令長官の指揮で、陸海軍飛行機が特攻をかける。それから、海軍の戦艦大和の第二艦隊も特攻で行く。それが4月7日だったんです。
 
 そのときに、鹿児島県鹿屋の連合艦隊の基地から出撃した、22歳の海軍の予備学生がいました。
 この人は、母一人子一人で、前の日に家族との面会があったようです。それでお母さんが鹿児島県の鹿屋に来て、親子で別れをしてるんですな。そうして、明日もう特攻で行ってしまうから、自分の身の回りのものを全部家族に渡しますね。そのためもあって、だいたい出撃の前の日に家族との面会があるわけです。
 鹿屋に来たお母さんは、その海軍の予備学生から身の回りのものをもらって帰ったわけです。そうして開いてみたら、歌が入っておった。それは次のような歌でした。

 いざゆかむ われは御国の山桜 母の御許に散りてゆかなむ

 それでお母さんが、それから数日後に、そのときのことを、歌を詠んでおられます。

 散る花の 潔よきをばめでつつも 母の心は悲しかりけり

 こういう親子の恩愛を断ち切って、みんな出撃していったのですね。非常に心の痛む、しかし、これはやっぱり厳粛な歴史の事実ですね。そういうことで、特攻の方々を慰霊する財団法人をつくって、供養申し上げとるわけです。
 私は、この歌をね、手帳に書いて、いつも持っているんです。それでね、心がくじけそうになると、この歌を読んでね、がんばらにゃならんと・・・

 それから、これと近い問題ですが、皆さんご承知の戦艦大和ですね。これは世界最大の戦艦で、日本の科学技術の粋を集めた戦艦ですが、この戦艦大和が、昭和20年4月6日に特攻の飛行機とともに沖縄に行きました。当時、連合艦隊のもとに第二艦隊連合がありまして、伊藤整一という中将が司令官でした。そして、この旗艦が戦艦大和だった。
 それで、戦艦大和は、6日の未明に出撃をして、翌7日、午後二時過ぎに奄美大島付近で、三百数十機ものアメリカの戦闘機、地上機の待ち伏せにあって、沈没したわけです。

 そこで私が申し上げたいのは、戦後60年以上もたっているのに、いまだにわが国の領海の海底に沈んだままだということです。戦艦大和ならびに巡洋艦矢矧、駆逐艦四隻が、いまだにわが国の領海内の海底に沈んでおるわけです。
 この海軍の第二艦隊は、艦隊司令長官伊藤整一中将以下、3721名(戦艦大和には2498名)の乗組員がいましたが、その方々もいまだに沈んでおられるのです。
 私はね、これをどうこうすべきだと申し上げているのではなくて、この事実を国民の皆さまにぜひ知っておいていただきたいと、こう思っているのです。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:46| Comment(5) | TrackBack(1) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
>特攻隊というのはね、上から命令したもんじゃないんです。
>自然発生です。命令じゃない。

残念ですが、私はそうは思いません。
ぜひ、小楠さんの見解をお聞かせください。
Posted by おしょう at 2006年11月04日 23:58
特攻が自然発生とは考えづらいですね、造られている兵器から言って、戦略的な位置付けはあったはずなので、どの時点から特攻になったのか疑問ですね、通常攻撃と特攻と組み合わせたりがあったのかも知れません、でも傷ついて戻れない飛行機はいつでも特攻用の自爆兵器になり得ますし、作戦が尽きている時でも兵士に戦意が残っているなら、特攻の意見も出そうです、爆弾も燃料もない状態で上から攻撃命令が出たら、実質は特攻指令とも言えます、書類上は通常攻撃指令という事で特攻しか手がなかったかも知れません、どうしても私には降伏指令と単純な特攻指令だけは出せないです。
Posted by ダーサン at 2006年11月05日 08:12
おしょう様
>>残念ですが、私はそうは思いません。

私もこのようには思えないのですが、
発生は、死なばもろとものようなところからと言うこともあったのかなーと。

ダーサン様
>>特攻が自然発生とは考えづらいですね

そう、考えづらいです。

>>でも傷ついて戻れない飛行機はいつでも特攻用の自爆兵器になり得ますし

このことが自然発生と言われているような気がします。
後には組織的に行われたのだと思っています。
Posted by 小楠 at 2006年11月05日 10:11
こんにちは。
私も自然発生説には?です。
大西中将を批判する声に対しての反論のなのかもしれませんが。。。

ミッドウェーでベテランパイロットを多く失い、飛行兵の要請が急務となったが、空母への着艦は極めて高度な技術を要するもので、着艦に失敗して命を落とす者が多かったことに憂慮したことも特別攻撃のアイデアにつながったと読んだことがあります。

ただ、特攻の原型と言いますか、真珠湾攻撃の時に、燃料タンクに被弾して帰艦不能と判断、部下を帰路へ誘導後にひとりで真珠湾に引き返して米軍基地に体当たりした飯田大尉という方がいましたね。

http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2005/12/post_a090.html
http://www.eireinikotaerukai.net/E06Link/E060001.html

リンク先にありますが、米軍は壮絶な軍人魂に驚き、また尊敬の念を持ち、飯田大尉の遺体を拾い集め、基地内に埋葬、慰霊碑まで作っています。

Posted by j.seagull at 2006年11月05日 11:23
j.seagul様
>>私も自然発生説には?です。
そうですね、ここにご紹介の飯田大尉の件は自発的ですし、著者がもう少しいきさつを詳しく言って欲しかった気もします。
リンク先、拝見しました。ありがとうございます。
Posted by 小楠 at 2006年11月05日 13:48
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