2006年11月03日

ハバロフスクの慰霊祭

 シベリア抑留、強制労働で亡くなった六万人のための慰霊塔が、平成七年に完成し、慰霊祭が行われました。この発起人代表をされたのが瀬島龍三氏です。
 ご紹介するのは、2002年に九回にわたって放送された「新・平成日本のよふけ」の瀬島龍三氏出演回の内容を中心に、追加取材して構成されたものです。瀬島龍三「日本の証言」から表題に関する部分を引用します。
sejima.jpg

引用開始
 私の本分といえば、それはもう、戦争で亡くなった方々の慰霊です。
 私どもは昭和三十一年に命あって戻ってこられたわけですが、シベリアで亡くなられた六万人の方々の慰霊とご供養をしないと、この人たちの魂は、100年も200年もシベリアを彷徨うことになると思いましてね。戦友たちと語らい、厚生省にも相談をしまして、シベリアのどこかにね、慰霊塔を建てなきゃという結論に達しました。
・・・略・・・

 土地はね、ハバロフスク市の市有地が適当だろうということになって、なんと約3000坪もの土地を、50年間無償で提供してもらえることになった。
 これには、私はびっくりした。あの国は、いま経済が大変なので、莫大な金額を言うてくるだろうと思ったらね、50年間無償で提供しましょうと言うんだね。「日本の軍隊は、われわれの国に全然入ってこなかった。逆にわれわれの国の軍隊が向うへ入っていった」ということでね。
 そんなことで、平成七年に、ハバロフスクに立派な慰霊塔を建てることができました。・・・・

 私は発起人代表をやっておったので、そのとき向うに行って、官民合同、日ロ協力で、竣工式と六万人の慰霊祭をやったんです。
 その慰霊祭をやる前に、藤森宮内庁長官の所へ行きまして、その経過を説明して、「これに天皇、皇后両陛下からお供えをいただきたい」と、お願いをしました。
 そうしたら、三日ほどして藤森長官から私に電話がありまして、天皇陛下にこれを申し上げたら、
 「それは大変いいことをしてくれた。勅使を出すことはできないか」
と、おっしゃったというんですね。

 それは大変有難いことですが、勅使がお出ましになるとなったら、向うの治安がどういう状況であり、勅使がお泊りになるホテルがあるかなど、簡単なことではなくなるので、
 「ご沙汰の件は大変ありがたい次第でございますが、勅使の件はご辞退させていただきたく、両陛下からのお供えを、どうぞよろしくお願いします」
と、宮内庁長官にその場で返事をしました。
・・・略・・・

 それでね、全国から成田空港に集まったときに、天皇陛下からも皇后陛下からも、ほんとうに立派な菊の盛り花が届きまして、それをジャンボ機に積んで出発することになったのですが、そのとき誰かが、
 「両陛下のお花の上に座っているのは、おかしいんじゃないか」
 と言い出しまして。菊の盛り花は、荷物としてジャンボ機の腹の部分に積んだわけですから、たしかにそのようなことになります。
 それはまずいということになって、またみんな降りて、それで後ろのほうに空いとる座席がありましたからね、そこへお花を乗せて、みんな乗り直して行きました。

 成田からまっすぐハバロフスクへ飛びまして、翌日竣工式と慰霊祭をやるんですが、・・・・・全シベリアに今でも眠っておる六万人の御霊が、きょうみなここへ集まってきたと、みんな思いましたね。
 このときは、ロシア側もよくやってくれて、慰霊祭は立派に終わりまして、それで再びみんなハバロフスクの空港からジャンボ機に乗って成田に戻り、成田で解散しました。

 その後、二、三日しまして、宮内庁長官を訪問して、両陛下のお供えへのお礼を申し上げました。そうしたら、また三日ほどして長官から私に電話がありまして、陛下に報告を申し上げたら、非常によくやってくれたとおっしゃったというんですね。
 それで、ロシア側はどういうふうに対応したか、日本の遺族はどういう空気であったかというようなことについて、陛下は瀬島から直接細かく話を聞きたいとおっしゃっているから、御所に来てくれ。そう言われまして、この種の問題は政府では厚生省ですから、厚生省の誰かは連れて行ったほうがいいと思って、私の郷里から出ておる政務次官の長瀬さんを連れて、吹上御所へ参りまして、スナップ写真をお見せしながら、両陛下にそのときのことをご説明を申し上げました。

 「戦争が終わってからシベリアに連れて行かれて、極寒のシベリアで重労働をやって命を失った人は、ほんとうに気の毒なことでしたと、先帝陛下(昭和天皇)も非常に心を痛めておられました。今度このように丁重に慰霊塔を建てていただいて、ほんとうにご苦労様でした」
 そのようなねぎらいのお言葉をいただきました。それで、私も感激をして御前を下がって、御所のお玄関に来て、車に乗ろうとしてドアに手をかけたときに、後ろから私の名前を呼ぶ方がおりましてね、振り返ったら、皇后陛下の女官長でした。

その女官長は、私に、
 「あの席では、両陛下は何もおっしゃりませんでしたが、あのハバロフスクの慰霊祭のあった時刻に、両陛下は御所の庭に出られて、北の方に向って長い長い黙祷を捧げられました」
 と、教えてくれたんです。


―――いい話ですね。涙が出そうになるのは、なぜなんでしょうか。
 日本人だから、それは日本人だからね。
引用終わり。

 最後の部分、これが日本皇室の伝統なんですね。
posted by 小楠 at 08:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
>日本人だから、それは日本人だからね。

この言葉の意味がわかる子どもたちが、どれだけいるでしょうか。
歪んだ教育、一日も早く正さねばなりません。そう強く感じた記事でした。
Posted by おしょう at 2006年11月04日 23:42
おしょう様
>日本人だから、それは日本人だからね

この言葉だけで十分ですね、こどもたちも深奥ではこれに感じるものを持っているのではないでしょうか。
Posted by 小楠 at 2006年11月05日 10:01
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