日本軍の態度に感激したINA
ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
引用開始
クアラルンプールを占領直後、第三飛行団司令部が前進してきた。私は米村少尉を司令部に派して「リビス」における少数将兵の不心得なる事件を通報して善処願った。その翌日遠藤少将の副官が一少尉を伴ってF機関の本部を訪ねてきた。その少尉がリビス事件の責任者であった。遠藤少将は直ちにこの将校を処罰したうえ、遠藤少将の代表として副官が、責任者を帯同して、私およびモ大尉に陳謝し、かつ品物を返還するという申出であった。
私は遠藤少将の処置に感激して、直ちにモ大尉にこれを取次ぎ、私も共に陳謝の意を述べた。モ大尉は遠藤少将のこの正々堂々たる処置に全く感動し恐縮してしまった。
「戦場において、このような一部将兵の不心得は、どの国の軍隊にもあることです。そしてこれ位のことに勝者の将軍が、捕虜の下級の将兵に丁寧に謝意を述べるなどということは例のないことです。私および私の将兵は、日本軍のこの正しく美しい行為によって日本軍に対する敬愛と信頼とをどんなに強めることでしょう。また、われわれINAの軍紀を自粛せしめる上に計り知れない感化があるでしょう。」と語った。なお私に、こっそりと「あの少尉は将軍からどんな処罰を受けたのでしょうか。重処罰ではないでしょうか。将軍に少尉を罰しないようにお願いして下さい」と申し出た。
私はモ大尉のこの意向と思いやりを伝えた。副官も非常に喜んでくれた。たまたま懇談の際に、一番大事なクアラルンプールの飛行場が英軍の破壊と日本軍の爆撃とで使用困難な状況にあって、差迫りつつある戦況にかんがみて、当惑しているという話が出た。副官の当惑顔の話に気付いたモ大尉は、「今の話はなにか」と尋ね顔であったので、私からこの話を説明した。モ大尉は即座に「それでは直ちにINAがお手伝いを致しましょう」と申出でた。
モ大尉のこの申出を遠藤少将は非常に喜んでくれた。まず中宮中尉が司令部を訪問して印度兵の風俗や習慣や、またINAのことについて司令部や飛行場勤務の将校に詳しく説明して、その理解と尊重を希望した。更に当初は毎日数少ないFメンバーから一名を割いて、日本軍との連絡に当たらせることとした。翌日から毎日1000名以上のINA部隊が飛行場の作業援助に出た。規則正しく、朝の九時から午後四時まで熱心に作業に従事した。飛行場部隊の日本軍将校と印度兵はたちまち大の仲好しになってしまった。能率はぐんぐん上がった。一つの些細なトラブルも起きなかった。遠藤少将は印度兵の労をねぎらうために、金や食料品や日用品などを寄贈して皆を喜ばせた。このINAの協力によって一週間ほどの間に飛行場は使用できるようになった。作業に出たINAの将兵は遠藤少将を敬愛した。作業が完成した日、遠藤少将に敬意を表するため、INA将兵は飛行場で分列式をやって少将をいたく喜ばせた。・・・・
この頃、重ねて第二十五軍情報部から、敵の遺棄情報記録の中で、英軍が、機関の工作を重視し、各指導官に対して、厳重な対策を指示しているとの通報を受けた。又モ大尉は、私に対して、英軍が、私を初め、F機関員、INA将校、IILメンバーに莫大な懸賞をかけて狙っているとの情報を伝え、身辺警戒と行動を慎重にするよう要望してきた。しかし、F機関には一名の武装兵もなく、全員が、捕獲の拳銃以外、武器らしいものを装備していなかった。広い戦場を一、二名のグループで縦横に、馳せ廻らねばならなかった。警戒や行動に慎重を期する余裕などなかった。それでも機関の本部と宿舎には、モ大尉の好意で、スリム戦線で投降して来たばかりの印度兵を警衛に仕立てた。伝令も、タイピストも、当番もみんなこの印度兵をあてることにした。これも大胆と言えば言えるかも知れないが。われわれは何の懸念も持たなかった。しかし新聞記者や部隊の将兵は、これに首をかしげて驚き入った。
終戦後、戦犯容疑として私がランプールの獄に拘禁された時、私を三日間、訊問した英人マレイ探偵局長は、私に「英軍は貴官の工作を重大視して、1942年1月、早くも、印度のデリーに特別機関を組織して、諜報と防諜工作を大規模に始めた。藤原機関に関する資料は、この部屋(二十坪位)一杯程になっている」と語った。当時の第二十五軍やモ大尉の情報を思い起こして成程と思った。・・・
サイドアブバカル君の指導するスマトラ青年の訓練も終わった。士気は最高潮に達しつつあった。・・・・
アブバカル君は熱意をこめて私にアチェの情勢を次のように説明した。
「アチェの民衆は、オランダおよびウルバラン(土候)に対して非常な反感を感じている。ウルバランはオランダの腹心となって、民衆を圧迫するので、大部分の民衆はウルバランを信頼せず嫌っている。
アチェの民衆は狂信的な位に熱心な回教徒であって、回教の名においてであれば、いかなる苦難の戦にも欣然これに参加するほどである。アチェ民衆は回教のためなら死をも恐れない。アチェにある諸団体は、皆回教に基づく団体である。その中で一番強大な団体はプサである。その意味はアチェ州回教学者連盟で、現在の会長はシグリにいるトンクモハマッド・ブルウエである。彼は回教の頭として知られる回教学者であり、宗教教師である回教学者および回教教師の勢力は、アチェ民衆に対して非常な勢力を有するものである」と。
私はこの説明を聞いて、この仕事の前途に非常な光明を確信し得た。私は更に「プサの首脳部と日本軍とが速やかに連絡を遂げることが最も大切だと思うが、君はどう考えるか」とアブバカル君に聞いた。
アブバカル君は、言下に「その通りです」と答えた。この回答に対して私はアブバカル君に「君達の同志がスマトラに潜入して、プサ団の首脳部と連絡できるか」と尋ねるとアブバカル君は、あたかもその問を待っていたとばかりに、「勿論できます。やり遂げます。今日はそれを是非お願い致したいと思っておりました。われわれ全員でやりたいと思います。真先に私が潜入いたしたいと思います。一日も速やかに」と公然と申出た。
引用終わり
2008年06月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/16289180
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/16289180
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック