2006年10月31日

ロシアプーチン体制

 先日、殺害されたと報道のあったロシア人ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ著の「プーチニズム」という本をご紹介します。
 訳者のあとがきの一部を引用すると。
「さて今回の作品は、腐敗しきったロシアの現状を、一介のKGBスパイから国家元首へと上りつめたプーチンというひとりの人間の存在をとおして解き明かす意欲作だ。著者は、今日のロシアにおける軍隊の堕落、マフィアの増長、法曹界・政界の根深い腐敗を指摘し、これらの問題の元凶は他ならぬプーチンだと主張する・・・・」という内容です。
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引用開始
※学校占拠事件
 2004年9月1日、身の毛もよだつような前代未聞のテロ事件がロシアを襲った。ベスラン――北オセチア・アラニア共和国のこの小さな町の名は、ハリウッド映画も顔負けの恐ろしい悪夢が起きた場所として永遠に人々の記憶に残るだろう。
 9月1日の朝、多国籍のテロリスト集団がベスランの第一学校を占拠した。彼らの要求は第二次チェチェン戦争の即時停止だった。
 犯人たちは新学期の始業式の時間を狙った。ロシアでは例年どの地域でも学年の始まりを祝う始業式が行われる。これには家族全員が集まるのがしきたりだ。祖父母、叔父叔母、わけても新一年生の家族は必ず駆けつける。千五百人もの人質が取られたのはこのためだ。・・・・・

 プーチン体制は常識と民意を犠牲にしてもひとりの人物の権力を尊ぶ。9月1日から3日のあいだ、さらにそれ以降ロシアで起きたことは、そんな体制が導いたものであり、当然の帰結であった。
 9月1日、特務機関と当局が矢継ぎ早に発表したところによると、学校に閉じ込められている人数はそれほど多くはなく、全員あわせても三百五十四人だという。・・・・・
 学校の周りに集まった親戚たちは当局が嘘をついていると主張した。「学校には千人以上が閉じ込められているわ」。だが誰も彼らの言い分を聞かなかった。耳を傾けようとしなかった。 親戚たちはベスランに集結したメディアを通じてこの事実を当局に伝えようとした。しかしジャーナリストたちはただ公式発表の人数を繰り返した。 この時点で一部の人質の親戚がジャーナリストを非難しはじめた。
 当局は9月1日と9月2日の前半を許しがたい動揺と混乱の内に過ごした。テロリストと交渉しようという試みはなかった。クレムリンの許しが出なかったからだ。
・・・略・・・

 このような当局の腰抜けぶりを目にした人質の身内がもっとも恐れたのは、「ノルド・オスト」(2002年10月23日、チェチェン抵抗勢力がミュージカル「ノルド・オスト」の演じられていたモスクワの劇場を占拠した事件)の再現だった。
 政府が2002年10月のモスクワの劇場占拠事件と同じ作戦に出るのではないかという心配だ。あのとき、政府は突入を実行し、罪のない人びとが多数犠牲になった。

 9月2日、イングーシの元大統領ルスラン・アウシェフが包囲された学校内に入った。アウシェフはこれまでチェチェン問題に対してたえず和平交渉を呼びかけ、政治的解決を目指して努力を重ねてきている。そのためにクレムリンから非難され、自発的に大統領選から降りるように強いられた。その結果クレムリン寄りでFSB(ロシア連邦保安局。KGBの後継機関)出身のジャジコフ将軍が現大統領になっている。・・・・

 学校占拠直後の一日半のあいだ、「人質解放作戦」の本部では交渉にあたる人物を決定する権利を持っていなかった。彼らはクレムリンの許可を待っており、プーチンの勘気に触れるのを恐れていた。プーチンを怒らせてしまったら、政治家としてのキャリアは終わったものと覚悟しなければならない。
 明らかに、この懸念のほうが何百人の人質の苦しみより重大だったと見える。
人質の死はテロリストのせいにできる。だがプーチンの逆鱗に触れることは政治家としては自殺行為だ。

 はっきり言わせてもらおう。ベスランにいたロシア政府代理人の頭にあったのは、学校の悲惨な事態の打開ではなく、プーチンの意向がどうかということだけだった。・・・・
 この努力をしたばかりに、アウシェフはクレムリンに激しく非難され、テロリストと共謀したといういわれのない中傷を受けた。・・・・・・

 アウシェフは学校内におよそ一時間留まり、出てきたときには三人の赤ん坊を両腕に抱いていた。彼と一緒に二十六人の子供たちが外に出ることを許された。
 9月3日午後二時、突入が開始され、銃撃戦は夜遅くまで続いた。テロリストの多くは殺されたが、非常線を破って逃走した者も多かった。役人たちは死亡した人質の数を確認しはじめたが、いまだに確定できない。ベスラン郊外の一角の土地が掘り返され、何百にも及ぶ新しい墓標が立てられて巨大な墓地ができた。 これを書いている時点で、百人以上が姿を消したままだ。彼らは行方不明者とされた。
・・・略・・・

 ベスラン事件直後、政治的な締め付けはますます苛烈さを増した。プーチンはこの悲劇を国際的なテロ行為であると発表した。チェチェンとのかかわりを否定し、すべてをアルカイーダのせいにした。アウシェフの勇気ある行動は貶められた。・・・・・

 クレムリンはロシア議会下院に法案を提出した。地方首長を住民の直接投票によって選出するこれまでの方法を廃止する法案だ。
 プーチンによれば、こうした選出法をしているから、地方首長が無責任な行動に出るのだそうだ。ベスランの学校占拠事件の期間をとおして、臆病者や嘘つきらしい行動をし、まったくの役立たずだったのは、ほかならぬジャジコフ大統領やザソーホフ大統領など実質的にプーチンに任命された人たちだった。だがこの事実には一言も触れられなかった。
引用終わり。

 どうもプーチンになってからは、どんどん以前の共産党独裁に近い体制に戻りつつあるように思います。この著者も、このようにプーチン批判をしていましたが、つい先日殺されたことは世界のニュースとなりました。
posted by 小楠 at 07:54| Comment(4) | TrackBack(2) | 共産主義の実態
この記事へのコメント
ペレストロイカは幻だったのでしょうか。
他には言葉が見つかりません。
Posted by おしょう at 2006年10月31日 12:27
おしょう様
強いロシアを目指すには、一党か一人の独裁しか考えていないのでしょうか。
日本も過去の教訓を生かして、この国とのつきあいは慎重にして欲しいですね。
Posted by 小楠 at 2006年10月31日 15:29
げに恐ろしきは赤い国、かくもおぞましきは共産主義。
赤は人権よりも国権を重んじる・・・そのまんまですね。柔道外交なんて嘘っぱち。硬道ロシアに騙されてはいけませんね、日本人は。
Posted by ケイさん語録 at 2006年10月31日 19:15
ケイ様
プーチンはやはりKGBあがり、昔の権力が忘れられないのでしょう。
ロシア人は可哀想なものです。
Posted by 小楠 at 2006年10月31日 20:19
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