2008年06月13日

山下将軍との面接

インド人のボース氏への敬慕

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
写真はシンガポール攻防戦で英軍の無条件降伏時の山下将軍
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引用開始
 17日正午、私はF機関と、IILのメンバーと、モ大尉グループの印度人将校、下士官全員合同の会食を計画した。食事は印度兵の好む印度料理を希望し、印度兵諸君の手料理をモ大尉に依頼した。その準備で警察署の裏庭は朝からごった返した。・・・・私が単に親善の一助にもと思って何心なく催したこの計画は、印度人将校の間に驚くべき深刻な感激を呼んだ。モ大尉は起って「戦勝軍の要職にある日本軍参謀が、一昨日投降したばかりの敗戦軍の印度兵捕虜、それも下士官まで加えて、同じ食卓で印度料理の会食をするなどいうことは、英軍のなかではなにびとも夢想だにできないことであった。英軍の中では同じ部隊の戦友でありながら、英人将校が印度兵と食を共にしたことはなかった。印度人将校の熱意にも拘わらず、将校集会所で、時に印度料理を用いてほしいと願うわれわれの提案さえ容れられなかった。藤原少佐の、この敵味方、勝者敗者、民族の相違を超えた、温かい催しこそは、一昨日来われわれに示されつつある友愛の実践と共に、日本の印度に対する誠意の千万言にも優る実証である。印度兵一同の感激は表現の言葉もないほどである。今日の料理と設備は藤原少佐の折角の依頼にも拘わらずこんな状況下における突然の催しであったため、きわめて不十分な点を御寛容願いたいといったような趣旨のテーブルスピーチをやった。

 私は、ボース氏を思慕するモ大尉の念願に対して、率直にボース氏を今直ぐ東亜に迎えることは困難と思われるから、差当り東亜におけるIILのこの運動を発展させ、ヨーロッパにおけるボース氏の大事業と相呼応させて、印度の独立運動を世界的規模において、推進する着想をひれきした。モ大尉の念願を大本営を通じてボース氏に連絡すべきことをを約し、モ大尉始め印度の青年が奮起して第二、第三のボースとなることを激励した。
 五日間の会談ののち、モ大尉は祖国の解放運動に挺身する決意に近づきつつあるように見えた。しかし、日本の誠意を更に確認すること、祖国の同胞特に会議派の支持を得ること、同僚印度人全将兵の堅確なる同意を得ることなどについて、更に慎重なる研究、検討の必要を認めている様子であった。私も又革命軍を結成して、革命闘争に立ち上るというような重大な事柄を、一朝の思いつきや感動にかられて決心しても成功するものではないと思った。モ大尉を始め印度将兵が全員一致、不抜の信念を固め、自発的に展開するものでなければ、絶対に成功するものではないと信じ、私はモ大尉に急ぐことなく慎重に熟慮されんことを切望した。プ氏も私と同意見であった。

 なお杉田参謀の助言もあって、この機会に、プ氏ならびにモ大尉が、日本軍司令官山下中将と面談して、印度独立運動支援に関する日本軍の意向を直接確かめることがきわめて意義のあることと考えられたので、これを両氏に提案した。プ氏も、モ大尉も私の提案を歓迎した。二十日午後、私はプ氏とモ大尉を始め四名の印度将校を案内して、アロルスターの軍司令部に山下中将を訪問した。山口中尉と国塚少尉が同行した。
 中将はわれわれの来訪を衷心喜び迎えてくれた。起って一行を作戦室に案内して、自ら大きな掌で作戦図を指し示しつつ、太平洋全域にわたる作戦経過を懇切に説明した。そして親しさに満ちた態度で、日本軍の印度独立支援に関する熱意を率直に披歴し、藤原少佐を通じてIILの運動に対し全幅の支援を与える用意を述べ、いかなる希望でも遠慮なく申し出るよう付言された。参謀長鈴木少将、杉田参謀がこの会談に列席した。
 プ氏、モ大尉も交々日本軍の好意を厚く感謝した。この会談は40分にも及んだ。一行は山下中将の巨体から発する燃えるような闘志と印度独立問題に関する熱意と親切に接して、非常な感銘を受けた。
 殊に将軍のユーモアたっぷりの打ち解けた話術は、一層彼等の心をほぐし、将軍に対する信頼と親しみを深くした。なかんずく将軍が微笑をたたえながら、プ氏とモ大尉に、
「諸君には故国にいとしい夫人がおありでしょうな」と問いかけ、両氏が顔を見合せてもじもじしていると、「最愛の妻と別れて異境に戦っておられる諸君の心中を深くお察しする。しかし、今後は御夫人の代わりに藤原少佐を心友として、一心同体アジアの興隆、印度独立のため闘って下さい、少佐はきっと諸君の満足すべきベターハーフになってくれるでしょう」と、話しかけた時は、みんな顔を見合せて心からほほ笑んだ。

 将軍は一同の辞去に当って、われわれに金一封(一万円在中)と清酒二本を陣中見舞として贈り、激励された。帰途、一同は、交々山下将軍の人となりを讃え合い、こんな美しい人間性豊かな面談は、英軍の将軍には夢想だにできないことだと、興奮に息をはずませつつ語り合っていた。私はこの面接が、モ大尉決起の決意を一層促進したと見て内心得意となった。
 この会談の前々日に私はピナン(ペナン)の英人が全部撤退し、監獄に収容されていた日本人は印度人やマレイの看守によって、全員救出されたとの報を受けていた。救出された一日本人が住民の協力を受けて注進に来たのである。ピナン(ペナン)島には英軍の手によって堅固に要塞化せられ、あくまでもその確保を企図するだろうと日本軍当局者は判断していたので、この報は全く意外であった。
 モ大尉との協議も一段落となり、アロルスターの印度兵捕虜の生活も安心できる見通しがついたので、私は次の新しい行動に急がねばならなかった。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物
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