日本民族の責務
ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
引用開始
われわれは毎夜のように深更までわれわれがいだくべき理念と任務達成の方策について語りあった。おたがいにこの時期が一番楽しかった。大東亜が戦場となった場合、日本の理想は、「アジアは一つなり」と叫んだ岡倉天心の遺訓に学び、相克対立を越えた共栄和楽の理想境をアジアに建設することにあらねばならない。そこに征服者の支配意識や勝者の驕りがあってはならない。
大東亜各民族は、他民族のあらゆる支配と圧制から解放され、自由と平等の関係において、それぞれ各民族の政治的念願を成就し、文化の伝統を高揚して、東亜全体の福祉と向上とに寄与する一体観の平和境を造らねばならない。日本民族はその先達となる責務を負い、かつそれを実践しなければならない。各民族の信仰や風俗や習慣や生活はあくまで尊重しなければならない。われわれの主観的なものを強要するようなことは厳に慎まなければならない。われわれの運動はこの理想を指標として、私達の誠意と情熱と愛情とを、実践を通じて異民族に感得させ、その共鳴と共感を受けなければならない。
英国やオランダの統治は一世紀内外にもわたっているし、巧妙な方策と豊富な物資を駆使して現地人を懐柔し縛っている。これに対して無経験なわれわれが、貧弱な陣容と不十分な準備とをもって、その鉄壁を破る方法はただ一つである。彼らの民族的念願を心から尊重し慕愛と誠心をもって臨み、その心を掴むよりほかはないのだ。至誠は天にも通ずるのだ。
われわれの運動は、あくまでも日本のこの理念に共鳴する異民族同志の自主的運動を支援すね形において行わねばならない。少しでもわれわれの強制や干渉が加わったり、あるいは利用の観念や傀儡の印象を与えるようなことがあってはならない。術策を排し、誠実をもって任務に当たらねばならぬ。このわれわれの任務を達成するために最も重要なことは、マレイやスマトラや印度の各民族の同志が、それぞれ己の民族に対していだいている愛情と情熱と独立に対する犠牲的決意に劣らないものを、われわれがその民族に対して持たなければならない。・・・・
作戦軍にこの趣旨の徹底を厳粛に要求しなければならない。われわれはこのような問題に関して、異民族と日本作戦軍との間に立って苦しい立場に立つことが多いことを予想されるが、勇気と信念をもってこの斡旋を完うしなければならない。更にいま一つ大切なことは、われわれのメンバーの融和と団結である。そして異民族の指導者や現地民が、自ら私達のメンバーの麗しい和合に感化されるように心がけねばならない。私は夜の会話にこのようなことを数々の例証を挙げて強調した。皆傾聴共鳴してくれた。
十一月の初め、プ氏が南泰から帰ってきた。われわれは再び件の場所で深夜の密会を約した。祖国の都では菊の香も高い明治節の前夜であった。その夜、プ氏は七十歳にも近いと思われる白せん白衣の老行者アマールシン翁を私に紹介した。翁は静かに歩を私の前に進め、塑像のように停立した。両手を胸にあわせて顔を埋め胸に達する白髪の中から、らんらんたる眼光をもって私のひとみを射た。厳かに引き締めた唇から得体の知れないじゅ文を低く唱えつつ、じっと祈りを続けた。私は仙人か、神のお使いが忽然と目前に現出したような厳粛さを覚えた。私は厳しいその翁の視線と相貌のうちに,犯し難い清純な感情と不屈の意志を感得した。私はかねて聞いていたこの真摯な愛国の行者に万こうの尊敬と信頼をこめた眼をもって報いた。・・・・
翁は英帝国の印度征服と統治の非道と欺瞞とをなじるように指摘した。この祖国を解放し、同胞の自由を護るために若いころからその全身全霊を捧げて闘ってきた。そしてアンダンマン、ラングーンの監獄に十年余りつながれ、その間手足を思い鉄鎖でつながれた悲憤の回想とこの間ますます反英独立の闘志をつちかった想い出を呪うがごとく語った。そして老い先短い今後の生涯をも、この闘争の陣頭に立たんとする鉄のごとき意志と火のごとき闘志とを披歴した。翁はまたIILの闘争の上に、そしてまた印度の同胞の上に必ず神の加護あるべき信念を述べた。・・・
理性の人といわんよりは直情の人であり、識見の人といわんよりはけい行の人のように思われた。そして、翁とプ氏の配合はよいコンビであると思った。
翁が語り終ってから、私はプ氏に南泰の模様を尋ねた。
プ氏は前回と同様、クワンタン州のコタバル方面の同志とは連絡がついているが、ケダ州地方面の細胞組織の構成が思うように行かないことを嘆じた。
また、英軍当局が頻繁に国境守備の部隊を交代するので、英印軍内印度兵に対する宣伝の浸透、特に同志の獲得が意のごとく行かないことを焦慮する口ふんを漏らした。私は、南泰とくに国境方面における同志の配置や、コタバルの同志の状況とそれらの活動方法について状況を尋ねたが、プ氏は語ることを欲しない様子に見えたので詮索をやめた。おたがいに信頼して、それぞれ自主的に協力すればよいのだと思い直した。・・・・
このようにして、私達は日印両民族提携の理想は、搾取も圧制も支配もなく、相克と対立を超越し、しかもたがいに民族の文化的伝統と政治的念願を尊重しつつ、共存共栄する東洋哲理の一体観に立つべき見解において完全に共鳴した。
そしておたがいにこの理想実現の陣頭に立って闘争せんことを誓いあった。ア翁は、私とプ氏の会話に耳をそばだてつつ一語一語満悦の笑を浮かべ大きくうなずきつつ聞き入っていたが、われわれの会話がこの結言に至ったとき、翁はひざを打って喜んだ。そして、やおら起きあがって祈りを捧げつつ、神は必ずわれわれを加護し給うべしと叫んだ。
引用終わり
2008年06月06日
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