2006年10月27日

ハルとグルー

 今日も舟山喜久彌著「白頭鷲と桜の木」より、戦前から開戦時のアメリカ大使、ジョセフ・C・グルーについて掲載して見ます。副題に「日本を愛したジョセフ・グルー大使」とあるように、彼がいかに日米開戦回避につとめ、開戦後本国においては、いかに戦後の日本の分断、壊滅を阻止するために努力したかが描かれています。
 今回は、1942年8月、グルーが帰国してからの出来事についてです。文中に抑留とあるのは、開戦直後から、アメリカ大使館員は公邸に監視付で滞在していた時期を言います。

引用開始
※葬られたグルーのレポート
・・・・翌朝グルーはフィアリィを連れて、命がけで持ち帰ったあの報告書を携えて国務省に向った。いよいよハル長官に会うのだ。・・・・
 ハルの話が終わると、グルーは、
「長官、これは抑留中に大使館の主だったスタッフと協議しながら、真珠湾以前の日本側との交渉過程を記録に残すことが自分の任務であると考え、報告書にまとめたもので、勿論この報告書の責任は自分にあります。
 ハル長官の承認なしには誰にも見せられない大統領と長官宛の極秘文書として提出いたします」と言い添えて手渡した。
・・・略・・・
 しかし報告書に目を通していたハルの顔は、見る見るうちにこわばってきた。読み終えたハルはなんと机越しに報告書をグルーに投げ返し、興奮ぎみに叫ぶように言った。
「グルー大使。あなたはこの報告書とそのすべてのコピーを破棄すると約束するか。さもなければ我々はこれを出版し、アメリカ国民の前に提示して彼らに我々と大使のいずれが正しいかを判断させようではないか」
 グルーは答えた。
「これは真実を物語るレポートです。私の良心に照らして破棄することはできません。だが同時にいまは戦争という重大な事態に立ち至っています。すべての国民が一体にならなければならないこの大事なときに、報告書を出版して論争をまき起すことには賛成いたしかねます」
・・・略・・・
 
 ハルと大統領かぎりとして提出した報告書ゆえに率直で明快であったが、それだけにすでに戦争の始まった状態では、容易に公表してよいものではなかったのである。そしてその後さらに強い指示があったのか、グルーはこの報告書を自分の控えからも削除し、焼却するのである。
・・・略・・・

※秘密報告書の大要
 ではハルを怒らせたグルーの極秘報告書にはどんな内容が書かれていたのだろうか。
 フィアリィの記憶するところでは、戦争が始まった12月の終わりごろからグルーは真珠湾以前の日米会談をワシントンがミス・ハンドリングしたことについて、何が失敗の原因になったのか率直にかつ充分に考慮しながら、要するに、グルーが全力を挙げて努力した十年間の日米友好が真珠湾攻撃という悪夢で終わってしまった理由について書いていたのである。そしてレポートには近衛・ルーズベルト会談の意義を簡明に正確に述べ、それをワシントンに打電したことが書かれていた。
・・・略・・・

※近衛提案の内容
 東京の米国大使館としてはこの近衛や彼の支持者たちの真剣な努力をバックアップする必要があった。グルーの報告書にはっきりと書かれてあったことは、ケーブルで打電したこと以外に近衛がルーズベルト大統領に直接提案しようとしたつぎのような大胆な解決策だった。

・日独伊の三国同盟のもとで、米国とドイツが戦争状態に入った場合、日本は米国に敵対行為をとらない。

・日米同意の終了後、日本は18ヶ月以内に中国から完全撤退する。

・米国と連合国は、それに対して、日本が中国とインドシナから撤退を開始したと同時に日本の凍結を解除し、日本への戦略物資の輸出封鎖を解き、日米同意のもとに新しい通商条約を結ぶ。

・日本はインドシナから完全撤退する。

・米国と連合国は、日本が中国から撤退を完了したときに、新しい通商条約に基づき凍結と封鎖を解くことに同意する。

・満洲の処置は欧州の戦争が終わった後、決定する。もし連合軍が欧州で勝利したならば、日本は満洲から撤退できめだろう。反対の場合、日本は満洲に留まり、満洲の統制は日本に任せる。
・・・略・・・
 この提案はワシントン首脳にとって絶対に呑める内容を含んでいると、グルーは信じたのだ。

※原子爆弾開発成功
 ルーズベルト大統領とともに行動し、ワシントンが留守がちになる国務長官ステティニアスは、実質的な国務省の仕事をグルーに委託し、グルーは長官代理として実務にあたることが多くなってきた。
 日本本土の上陸作戦には百万の軍隊が必要になってくるならば、ソ連の軍事力を借りなければならない。いかにしてアメリカの犠牲を少なくして日本を壊滅させるか、これが念願のルーズベルトは、ソ連の参戦を必要と考えていたが、参戦の代償として樺太の返還、千島列島の割譲、不凍港の租借を強調するスターリンの要求を、1945(昭和二十)年2月11日のヤルタ会談の秘密協定で認めていた。だが、この協定は国務次官のグルーには知らされていなかった。・・・・

 5月8日、グルーは陸軍長官スティムソンから日本に関する驚愕すべき事柄を打ち明けられた。それは、ドイツ降伏後二、三ヶ月後と決められた対日ソ連参戦の秘密協定の存在と、オッペンハイマー博士の指揮によるニュー・メキシコでの原子爆弾開発が着々と進んでいることである。
 ソ連の参戦が約束され、その上原爆が日本の頭上に落とされたら、どんな惨劇が日本に襲いかかるのか。グルーは足が震えるのを覚えた。
 日本はすでに物的な戦闘能力を失っている。あるのはただ日本人特有の精神力だけである。それだけでは近代戦は勝てない。原爆が落とされる前に、ソ連が参戦する前に、アメリカに降伏することだ。
・・・略・・・
 だが、ポツダムではこのとき、原爆実験成功の報が届いた。主導権を回復したスティムソンは、日本が受諾しなければ原爆を投下する手段があるとして、対日宣言を出すよう迫った。
 原爆によって、ソ連の参戦確認を辞を低くしてスターリンに頼む必要はなくなったと判断したトルーマンは、スティムソンに賛成し、ポツダム宣言を出すことになった。こうして7月26日、米英中三国の名で日本の降伏に関する「ポツダム宣言」を発表した。
引用終わり。

 グルーは、天皇の保持さえ保証すれば、日本は降伏し、武装解除も占領政策も順調に運ぶことを確信し、ソ連の侵攻による日本分断、壊滅をさせないためにポツダム宣言発表に陰から努力していました。
 天皇と日本国民の関係に対する深い見識を持つグルーは、日本国の壊滅を救ってくれた恩人とも言えるでしょう。
posted by 小楠 at 07:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
>日米同意の終了後、日本は18ヶ月以内に中国から完全撤退する。
>日本はインドシナから完全撤退する。

思わず、絶句しました…。
これも、「われ巣鴨に〜」を読破すればわかることなのでしょうが、恥ずかしながら、初耳でした。
小楠さんと知り合いになれてよかった…。
近代史には疎い私にとって、とても勉強になります。
Posted by おしょう at 2006年10月29日 16:41
おしょう様
ルーズベルトとしては、この首脳会談を受け入れることは、ドイツ戦参戦ができないか、遅らせてしまうので、うやむやにするしかなかったのでしょうね。
それを知らずにここまでの譲歩案を考えていた日本が哀れです。
Posted by 小楠 at 2006年10月29日 17:19
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