2008年06月03日

F機関IILと初の密会

IILプリタムシン氏との密会

 ご存知の方には興味深い本ではないでしょうか。インド独立とは切っても切れない人物・藤原機関のご本人(明治四十一年生れ)の著です。
 表題は「F機関」副題として「インド独立に賭けた大本営参謀の記録」となっています。昭和六十(1985)年初版の本から抜粋してご紹介します。
写真はイッポーF機関本部の庭で語り合う筆者とアグナム大尉、中央は大田黒通訳
Forg05.jpg

引用開始
 10月10日ごろ、私が理想と運命を盟約すべきIIL書記長プリタムシン氏との初の密会が実現した。武官の宿舎で正午から会うことになった。約束の時間に彼はサムローに身を託して武官の宿舎に着いた。私は彼と面会する武官の居屋で武官と共に恋人でも待つような興奮を抑えながら氏の入室を待っていた。ボーイに案内されて氏は静かに階段を上がってきた。私と武官は室の入口まで彼を出迎えた。たくましい体躯と相貌の志士を想像していた私は、痩躯長身、稍々神経質で病弱そうに見える、物静かで柔和なシーク族の青年を目の前にして、一瞬失望に似たものを覚えた。氏は日本人が神仏に祈りを捧げるときと同様、両掌を胸の前に合わせて、敬虔な祈りの挨拶をした。握手を予想していた私は又面くらった。室内に導いてから武官はプ氏に私をねんごろに紹介してくれた。彼はにこやかにさも久しい知己を見るようなまなざしを私に注ぎながら、「私がプリタムシンです。貴方のことは田村大佐から承って鶴首して今日の日を待っておりました。よろしくお願い致します」といいながら、私の手をしびれる程固く握りしめた。私は誠実と情熱と信頼とをこめた彼の挨拶に感動し、固い握手を返しつつ答えた。「私は貴方の崇高なる理想の実現に協力するため、私のすべてを捧げて協力する用意をもって参りました。それは至誠と情熱と情義と印度の自由が必ず実現されねばならないという信念であります。おたがいに誠心と信頼と情義をもって協力致しましょう」といった意味を述べた。田村大佐の通訳で私の言葉を聞き取った彼は、私のこの挨拶に非常に満足してくれたように見受けられた。

 次で相対坐した。私は真先に昨年の末に広東から送り届けた三人の同志の消息を尋ねた。彼はとみに感激の色を見せつつ「ああ、あの三人を送ってくださったのは貴方でしたか。同志は非常に日本参謀本部の友情を感激していました。厚くお礼申し上げます。彼らはそれぞれ計画どおりにマレイと印度とベルリンに潜行致しました。安心して下さい」と武官を顧みつつ感謝の意を表した。そして彼は「私と貴方が協力する立場になったのは、既にこのときから約束されていたのですね。われわれは既に古い同志なのでした」とうれしそうに語った。それから彼は初対面から打解けて、いろいろ彼らの政治運動に関する話を明らかにしてくれた。彼が1939年祖国における独立運動に伴う身辺の危険から脱して、シンガポールを経て、バンコックのアマールシン氏の許に身を寄せて、素志を継続しつつあることを語った。

 また第一次大戦の際に、英国が印度を欺いた憤激を語り、印度は印度人の奮起なくして解放と自由をかち得ない信念を吐露した。
 それがためには、第二次欧州大戦の好機に実力による独立闘争の必要を強調した。彼はまたベルリンにあるチャンドラボース氏に対する敬慕とその独立運動に対する熱烈なる期待と共感とを表明した。更に彼は国民会議派の指導者が印度独立のため、列国の援助を歓迎しないのは、前門の狼を追って後門に虎を迎える結果になることを極力警戒しているからだと説明した。次いで印度はいかなる国々にも拘束されることのない完全な独立を唯一の目標にしているのだ、われわれの独立運動は外国の力を借りる場合においても、その傀儡であり、利用されているといったような印象を印度の同胞に与えたら、われわれの純情なる運動も全印度人の支持を失う。しかしわれわれは無力である。印度独立をこの好機に獲得するため、外国の力を借らざるを得ないと信ずる。これがわれわれの苦衷の存するところであると強調した。彼はこんな激しい政治問題を語り進む間にも、彼の語調は淡々としていささかの興奮も見せなかった。冷静で理性の人であり、信念の人であることがうかがわれた。・・・・

 別れるとき、彼は三日を置いて再会を希望した。そしてたびたび武官室に出入りすることの危険を説いて、転々場所を変更して会いたいと提言し、次は某印度人綿布商の家で会うことを提案した。田村大佐は直ちにこれに同意した。勿論私も異議なく彼の提案に同意した。・・・・
 プ氏と会見の翌々日、武官は私に一人の日本人を紹介してくれた。それは大田黒という姓の人であった。同君は熊本県山鹿町の出身で、シンガポール日本人小学校の英語教師を勤めていたが、このほど日英国交関係の緊迫に迫られて同地から引上げてきたという返事であった。
 三十歳そこそこの、色の黒い、小柄で温和なそして忠実そうな人に見えた。話してみたが、特に民族運動に興味や識見をもったことや、動く情勢に深い観察を払っているような点は見受けられなかったが、私はその誠実な人となりと、お国のためになることならどんなことにでもご奉公したいという熱意に動かされた。私はこのようにして、私の耳となり口となってくれる同志の一人を加えることができた。この日は私にもう一つうれしいことが重なった。
 それはバンコック停車場付近に恰好な隠れ家が見つかったことだった。
 熱帯医学研究のために当地に駐在していた台北医大教授某氏夫妻が帰国することになったので、夫妻の借家を譲り受けて急に引越すことができた。使用人も家具も一切揃っていたし、出入りと家屋内の様子が割合に目立たない家だった。二階には居室が五つもあったし、階下には広い応接間と食堂があって、住み心地もよさそうだった。ホテル生活に神経をすりへらしていた私には、飛びつくほどうれしかった。その日のうちに寝具など取り揃えて引越した。今日から多少枕を高くして寝られる思いになった。
引用終り
posted by 小楠 at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/15645606
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック