著者、舟山喜久彌の父貞吉は、10年にわたりアメリカ大使館でグルーに仕え、後、終戦時の天皇のマッカーサー訪問時もアメリカ大使館で天皇をお迎えされた方です。
ジョセフ・C・グルー大使は、1880(明治13)年5月27日、銀行家でもあり毛織物商でもあった裕福な家庭の、姉一人兄二人の末っ子としてボストンで生まれました。
1932(昭和7)年6月6日、当時のフーバー大統領の任命により、妻アリスと末娘エルシィとともに駐日アメリカ大使として、霊南坂の大使館に赴任し、1942(昭和17)年6月18日まで10年の長きにわたり大使を務めました。
では、引用してみます。

引用開始
※ミスター極東・ホーンベック
・・・アメリカ国務省のアジア関心度は低く、必然的に極東部は主なスタッフが三人しかいず、この少ないスタッフがチャイナ・デスクとジャパン・デスクに分かれていた。
スペシャリストを名乗る中国派は日本派と合わず、お互いの間にコミュニケーションは少なかった。・・・・・
しかも極東部には中国通を自認する顧問のスタンレー・ホーンベックが力を持ち、ジャパン・デスクは彼に押され気味だったのである。
グルーの個人秘書を務め、戦後はインドネシアのアメリカ大使となったマーシャル・グリーンは、その間の事情を次のように語っている。
「ルーズベルトは数多くの重要懸案を抱えているヨーロッパに関心があり、太平洋には目を向けていなかった」
このため、中国と日本を主として担当する国務省極東部が対日政策に関して主導権を握るようになっていた。しかも国務長官のハルとホーンベックは極めて親しい間柄にあり、中国通を自認するホーンベックは極東部に君臨し、対日政策立案に大きく関与してくるのであった。・・・
ともあれ当時のホーンベックの最大の関心は中国にあり、「日本は取るに足らない存在」だったのである。
「この点が多くの人に見逃されている点ではないか」とのちにマーシャル・グリーンは指摘する。
※天皇家からの結婚祝い
グルーが初めて天皇と顔を合わせたのは、着任して間もない昭和7年6月14日の信任状を奉呈したときであった。・・・・
帰ってきてからグルーは貞吉にこう語っている。
「非常に美しい宮城に入ると、近衛兵の一隊が気をつけの姿勢で並び、ラッパを高々と鳴らし、予定の十時五十分ちょうどに一秒の狂いもなく玄関に到着した」
それはまさにお伽の国の出来事のようだったという。
・・・略・・・
皇太子誕生を告げるサイレンが高鳴った。昭和8年12月23日朝のことである。
「皇居の様子を見てきて欲しい」
グルーから頼まれて、貞吉はグルー家の愛犬キムを連れて宮城前広場に出かけて行った。広場は、日継ぎの御子の誕生を祝う一般の国民で溢れていた。・・・・
戻ってからこの光景を貞吉が興奮気味に話すと、アリス夫人は、「このような素晴らしい日に巡り合わせて、なんて私たちは幸せなんでしょう」と何度も言い、グルーは、「この慶びは、日本に住む者でなければわからない」と、歓喜を満面にあらわし、おめでとうを繰り返して貞吉と固い握手を交わした。
「日本に住む者でなければわからない」というグルーには、天皇と国民との結びつきが、欧米の尺度では計り切れない日本人固有の財産であり、日本人の精神土壌の上に築かれた独自の文化遺産、すなわちそれが天皇であることを肌で感じることができたのだ。
だからこそ皇太子の誕生は、次代の天皇を意味し、日本国民にとって天皇家の安泰は心の支柱であることを、グルーはよく認識していたのである。このような皇室は日本人には欠かせない存在と理解し、個人的にも天皇を尊敬するグルーを、さらに感激させることがあった。
それはエルシィとセシル・ライオンとの結婚祝いに、天皇家から梨地金蒔絵のみごとな道具箱が下賜されたことだった。・・・・
この箱は、半世紀を経た今も、アメリカのニューハンプシャーに住むエルシィの居間に、傷ひとつなく大事に飾られ、訪れた筆者(喜久彌)に大事そうに見せてくれたものだ。
※サンボゥはどうしているか
グルーが日本の一般庶民と接した話に、こういうのもあった。 娘エルシィの婚約時代、フィアンセのセシル・ライオンが香港出張から帰るとき、彼女のためにコカスパニョールの子犬を買ってきた。サンボゥと名づけられた子犬は・・・・・
冬のある寒い日、そのサンボゥを連れてグルーとエルシィが皇居のお濠端に散歩に出かけたときのこと。
一瞬、目を離した隙に、サンボゥが薄く氷の張った壕に落ちてしまった。
悲鳴をあげるエルシィ。石垣にとりつこうともがくサンボゥ。とても手の届く高さではない。グルーは助けを求めて交番に走った。
そのときである。通りかかったタクシーの運転手と一人の少年が、駆けつけてきた。
「どうしたんだ?」
エルシィが悲鳴とともにサンボゥを指すと、
「いま助けてやるから、お嬢さん、あんたが飛び込んじゃいけないよ」
と言って運転手は車からロープを持って引き返し、少年がそのロープを伝わり降りて、いまにも溺れそうなサンボゥを救い上げたのだった。
エルシィは、ガタガタ震えているサンボゥを抱きしめると、
「ありがとう。ほんとうにありがとう」
と何度も礼を述べ、お金を差し出した。
「冗談いっちゃいけない。そんなもの要らないよ。なあ」
「そうです。要りません」
二人は固く拒んだ。
「では、お名前を聞かせてください」
「名乗るほどの者じゃないって。なあ」
「はい」
「でも・・・」
「困ったときはお互いさま。なあ」
「そうです」
こうして二人は、グルーが戻ってくる前に名も告げずに立ち去ったのだった。
「なんという謙虚なひとたちなんだろう」
グルーは感激したが、事の経緯を聞いたアリス夫人も、
「本当に。勇気があって、親切で、しかも謙虚で・・・」と深く胸を打たれ、なんとしても感謝の意を伝えたいと強く願った。
そのことはやがて新聞記者の知るところとなり、日本人の美談として紙面を飾った。・・・・
これには、さらに素晴らしい後日談がある。
宮中で皇太子誕生の祝宴が催されたとき、お祝いを述べたグルーに天皇は、「サンボゥはどうしているか」と尋ねられたのだ。
新聞で天皇はサンボゥの顛末をご存知だったのだ。
グルー大使は天皇の心配りに感嘆の声をあげたのだった。
「日本人は面子、体面、義理人情を重んじ、正義感が強く、清潔で、誠実で、勤勉で、従順で、しかも繊細である」
グルーはある日、貞吉に日本人の美点を数え上げた。
引用終わり。
現代の反日マスコミに、爪の垢でも煎じて飲まさねばなりませんなぁ。
>>現代の反日マスコミに
なるほど、「美談として紙面を飾った」
この部分ですね。
このような逸話を子供たちに教えたとしたら、きっと、「私も日本人としてかくありたい」と心に刻む者も出てきましょう。
日本人としての誇りと共に、徳育にとって重要なテキストになると私は思いますし、需要はきっとあると思います。
願わくば、このような美談を多数収録した書籍が子供たちの読める形で広く普及されれば個人としては大変嬉しいところなのですが>出版社の方々
>>今の子弟は、教師連中よりも修養の出来た家庭で育てられるほうが多いですからね。
そういう見方もありますね、教師の品性まで求めなくとも、このような話を伝える役目だけでもして欲しいですよ。で、結論はやはり私塾ですね。
何某様
>>日本人としての誇りと共に、徳育にとって重要なテキストになると
そうですね、何も堅苦しいことを教えなくても、このような美談を話して聞かせることが自然と徳育になり、子どもの人格形成につながると思っています。
ダーサン様
コメント有難うございます。
>>残念ながら美談が出来ませんでした
この手の人が今の一般でしょうか。
幾つくらいの人か知りませんが、自分がされていやな事は人にもしない、自分がされたら嬉しいことを人にもする。
たったこれだけのことで日本も良くなるんですがねー。
しかし私も、口で言うのは易しいですが実行はどうも(^_^;
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