国民か人民か
若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」の続編をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。
最終引用開始
次の言葉は誰の発言でしょうか。1917年のロシア革命を評した発言です。
「・・・ここに数週間ロシアで起っている素晴らしい、心わきたたせるような事態は、将来の世界平和に対するわれわれの希望を、さらに確かなものにしたと、すべてのアメリカ人は感じないであろうか。(中略)専制政治が長期にわたってロシア政治機構に君臨し、その実態は恐怖政治であった。しかし・・・・・いまや、この専制政治は排除され、それに代わって寛大なロシア国民が・・・・・世界の自由、正義、平和のための戦列に加わったのである。われわれはここに誉れ高き同盟にふさわしい盟友を得たのである」(『レーニン、スターリンと西方世界』ジョージ・F・ケナン)
発言の主は当時のアメリカ大統領ウィルソンです。
共産主義者をデモクラシーの仲間と考えていたアメリカ人は、ウィルソン大統領ひとりに限りません。多くのアメリカ人は、君主政治を専制政治と考えていました。日本の皇室も専制政治の担い手と考えられていた一面があります。
これはアメリカ建国の歴史に照らしてみれば、理解もできます。フランス革命は国王夫妻をギロチンで斬首し、数百万人の血を「供犠」しましたが、革命党派ジャコバンは独立アメリカと熱く連帯しようとしたのでした。
私は皇室と書きました。普通は「天皇制」と書く人が多いのですが、私はこの言葉は使わないようにしています。「天皇制度」という語はコミンテルン用語であり、打倒天皇制度の悪意に発する言葉ですから、私は使う気持になりません。1927(昭和二)年のコミンテルン第六回大会製造の「二十七年テーゼ」に起源を持ったものです。制度という語がどうしても必要なときは、皇室制度で充分ではないでしょうか。
ロシア革命の後、反対派や自営農民の虐殺・「抹殺」などが、アメリカ人の耳目に達しなかったのは、歴史の悲劇というしかないものです。
しかし、四選目のルーズベルト大統領が第二次世界大戦中に至っても、ウィルソン大統領なみのソ連・共産主義観しか持っていなかったという事実を、私たちはどのように理解すべきなのでしょうか。彼は政治的にはスターリンの親友だったのです。ただし、ルーズベルトとコミンテルンの関わりについて、史書は沈黙しています。
ルーズベルトはスターリンを「共産主義者と考えるのは馬鹿げている。彼はただロシアの愛国者であるだけだ」と公言していました。・・・
中華人民共和国や北朝鮮の「人民」は飢えと人間的悲惨の中でのたうちまわっています。「人民」とは悲惨なものです。
「人民」という日本語に一言加えないわけにはいきません。「人民」とは何なのでしょうか。ピープルを「人民」と訳すのは、底意を秘めた誤訳なのです。有名なリンカーンのゲティスバーグ演説にも、この底意を秘めたトリックが使われています。「人民の政府(政治)、人民のための政府、人民による政府」という全ての学校教科書に登場するこの演説の欺瞞に言及した政治学者は、寡聞にして私は知りません。
宇宙船「ディスカバリー」の日本語訳は「発見」でしょうか。「発見」は文法的には、言うまでもありませんが名詞です。ディスカバリーの動詞形はディスカバーです。ディスカバーアメリカは「アメリカを発見」となります。「アメリカの発見」と表現したい時には「ディスカバリーオブアメリカ」となります。この「の」がトリックの鍵なのです。オブはもちろん of なのですが、この些細な言葉の手品が、日本人を大きく誤解に誘導するのです。
「〜の」は日本語ではまず所有の意味に使われます。「私の本」といったら所有を意味します。「人民の政府」といえば、所有の感覚が作動します。所有権は、処分権の感覚を帯同しますから、「人民」は政府の所有者であり政府の処分権(革命権)を持つのだ、との感覚連鎖が機能するのです。民主主義(デモクラシー)という観念の欺瞞にも、これは痛底しています。デモスというのは民衆であり、クラシーは政治制度の意味ですから、デモクラシーというのはせいぜい民衆参加の政治制度といった意味に過ぎません。アリストクラシーは貴族政治制度というように、です。
デモクラシーに民主主義と主義(イズム・思想)の意味を潜ませたのは、誰なのでしょうか。くり返しますがデモクラシーとは、民衆の政治参加の制度の意味であり、それ以上でも以下でもありません。・・・
労働者階級は自分の力では社会主義の理解に到達できないから、それを理解した革命的な知識人(インテリゲンチュア)に指導されて、プロレタリア(労働者)はプロレタリアートに「自己形成」できて革命を担うことができる、というのがレーニン主義のエッセンスです。・・・・
北朝鮮の人民や、中国の人民が悲惨な運命を享受しているのは、それは彼らが「人民」だからです。共産党・労働党が「指導」という名の独裁権力を手放さないのは、こうした「深遠な」「哲学的な基礎」があるからにほかなりません。
「人民」という語ほど、呪いにみちた言葉はありません。「主権」も自由もないから、「人民」なのです。・・・・
イギリスには、憲法典はありません。イギリスの「主権者」は誰か、などということを規定した法典も存在しません。それではイギリスの「主権者」は誰かといえば沈黙があるのみです。イギリスは民主主義の国ではありません。もちろん、イギリスはデモクラシーの国です。つまり民衆の政治参加の国家です。つまりそういう政体なのです。
アメリカの憲法のどこを見ても、「主権」者を規定した文言はありません。それでも、アメリカが、デモクラシーの国であることには間違いはありません。
では、アメリカの主権者は誰なのかという問に、「人民」だと答える人は誰もいないはずです。つまり、それはアメリカ国民(ナショナルピープル)と答える人はいても people (人民)だと答える人はいません。
引用終わり
2008年05月26日
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のofは、目的格の用法で、
govern the pepole
を名詞化したものです。
即ち、日本語風に言えば、
「人民による」「人民のための」
「人民を統治する」政府
です。
デモ(民衆)参加型の政治の在り方; デモクラシイ であって、
必ずしも、主権者が、民衆だけに特定されるものではなく、 貴族や王侯が、あるいは、赤い貴族が、主権者としての実質成分・諸権限のすべてを独占・寡占してても、デモクラシーでは、在り得る訳ですね。
あと、人民の為に、人民を統治する、人民によって担われる、政府、
といった感じでしょうか。
人民一般の福利厚生を期して、
人民一般を統治する、人民一般の代表たちから成る、政府