2006年10月24日

敵兵を救助せよ

続けて、恵隆之介著「敵兵を救助せよ!」
(英国兵422名を救助した駆逐艦『雷』工藤艦長)
をご紹介してみます。
 現在、日本人が誇りに思える史実の伝承が、あまりにも疎かにされているように思いますが、この本の内容のように、読んでいて感動を覚える史実は、多くの日本人が知り、多くの人々、子供達に伝えることによって、日教組やマスゴミ、反日左翼の悪影響から、すでに悪影響を受けた人たちを覚醒させ、子供達を守るためにも必要なことだと考えます。

引用開始
 ・・・開戦から半年、昭和17年5月末日までに、フィリピン、マレー半島、蘭領インドでの連合軍捕虜は合計23万人となっていたのである。
 この方面に展開していた日本陸軍の兵力と捕虜の数を比較すれば、いかに日本軍にとって捕虜の収容が重荷になっていたかが理解できよう。日本兵より捕虜の数が多かったのである。
・・・略・・・
 しかし、米国などは「捕虜に対する国際条約」を批准していたものの、条約に違反する行為も少なくなかった。

 昭和18年11月27日、ニュー・アイルランド島カビエン西方チンオン島沖で、ラバウル野戦病院からの傷病兵1129名を乗せた病院船「ブエノスアイレス丸」は、米軍B24爆撃機に爆撃され沈没する。
 患者、看護婦、乗組員はB24に対してオーニング上に赤十字を表示したが、容赦なく機銃掃射を加えられ、看護婦を含む158名が戦死している。

【敵兵救助】
 ・・・二番見張りと四番見張りからそれぞれ、「浮遊物は漂流中の敵将兵らしき」「漂流者400以上」と、次々に報告が入る。
 工藤は「潜望鏡は見えないか」と見張りと探信員に再確認を指示するが、各見張りとも「敵潜水艦らしきものは見えません」「探信儀異状なし」と報告してきた。・・・当時工藤の側にいた艦長伝令の佐々木は、今でもこの瞬間をはっきり覚えている。
 午前10時頃、工藤は「救助!」と叫び、「取り舵いっぱい」と下令、艦を大きく左に転舵する。そして針路30度に定針し、敵漂流者集団の最前方に艦首を向けたのである。

 フォール卿の回想。
「午前10時頃、突然200ヤードのところに日本の駆逐艦が現れました。
 当初私は、幻ではないかと思い、わが目を疑いました。そして銃撃を受けるのではないかという恐怖を覚えたのです」・・・・

「雷」は直ちに、「救難活動中」の国際信号旗をマストに掲げ、第三艦隊司令部高橋伊望中将宛てに「我、タダ今ヨリ、敵漂流将兵多数を救助スル」と無電を発した。世紀の救助劇はこうして開始された。・・・・・
 工藤は、救命筏八個が浮遊し、その先頭に高級士官が乗っているのを確認した。さらに、筏を取巻くように遭難者が頭だけ出してそれぞれ筏に摑まっていた。しかも、最前方の筏の上に、白服で大佐の肩章をつけた高級将校一人と,少佐が座っており、中佐の制服をつけた士官は重傷を負って横たわっていた。・・・・
 下士官兵の重傷者の中には浮遊木材にしがみつき、「雷」に最後の力を振り絞って泣きながら救助を求めていた。その形相は誠に哀れであったという。顔面は重油で真っ黒に汚れ、被服には血泥がべっとりと張り付いていた。・・・
 先任将校浅野市郎大尉が、艦橋後部から甲板中央を指呼しながら、拡声器で怒鳴った。
「右舷、舷梯降ろせ、急げ!」

 遭難者たちは、当初恐怖を露にしていたが、「雷」甲板の雰囲気に、間もなく救助されることを感じ取り、顔は和み始めていた。
 先任将校も、ひっしだった。
「手空き総員、ロープ、竹竿を両舷に出せ!」

 佐々木は次のように回想している。
「筏が艦側に近づいて来たので『上がれ!』と怒鳴り、縄梯子を出しましたが、誰も上がろうとしません。
 敵側から、ロープ送れの手信号があったのでそうしましたら、筏上のビヤ樽のような高級将校(中佐)にそれを巻き付け、この人を上げてくれの手信号を送ってきました。
 五人かがりで苦労して上げましたら、この人は『エクゼター』副長の中佐で、怪我をしておりました。それから、『エクゼター』艦長、『エンカウンター』艦長が上がってきました。その後敵兵は『雷』にわれ先に殺到してきました。・・・・

 「雷」の乗組員の胸を打ったのは次のような光景であった。
浮遊木材にしがみついていた重傷者が、最後の力を振り絞って「雷」の舷側に泳ぎ着く光景であった。彼らはロープを握る力もないため、取りあえず「雷」の乗組員が支える竹竿を垂直に降ろし、これに抱きつかせて内火艇で救助しようとした。
 ところが、そのほとんどは竹竿に触れるや、安堵したのか、次々と力尽きて水面下に静かに沈んでいくのだった。
 日頃、艦内のいじめ役とされていた猛者たちも涙声になり、声をからして、「頑張れ!」「頑張れ!」と甲板上から連呼するようになる。・・・

 日本海軍を恐れていた英国将兵も、残った体力のすべてを出して「雷」乗員にすがった。甲板上には負傷した英兵が横たわり、「雷」の乗組員の腕に抱かれて息を引き取る者もいた。一方、甲板上の英国将兵に早速水と食料が配られたが、ほとんどの者が水をがぶ飲みした。救助されたという安堵も加わって、その消費量は三トンにものぼった。・・・・

フォール卿もこう回想している。
「私は、当初、日本人というのは、野蛮で非人情、あたかもアッチラ部族かジンギスハンのようだと思っていました。『雷』を発見した時、機銃掃射を受けていよいよ最期を迎えるかとさえ思っていました。ところが、『雷』の砲は一切自分たちに向けられず、救助艇が降ろされ、救助活動に入ったのです」
「駆逐艦の甲板上では大騒ぎが起こっていました。水兵たちは舷側から縄梯子を次々と降ろし、微笑を浮かべ、白い防暑服とカーキー色の服を着けた小柄で褐色に日焼けした乗組員がわれわれを温かく見つめてくれていたのです」
「艦に近づき、われわれは縄梯子を伝ってどうにか甲板に上がることができました。われわれは油や汚物にまみれていましたが、水兵たちはわれわれを取り囲み、嫌がりもせずに元気づけるように物珍しげに見守っていました。それから木綿のウエスと、アルコールをもってきてわれわれの身体についた油を拭き取ってくれました。しっかりと、しかも優しく。それは全く思いもよらなかったことだったのです。友情あふれる歓迎でした。
 私は緑色のシャツ、カーキー色の半ズボンと、運動靴を支給されました。これが終わって、甲板中央の広い処に案内され、丁重に籐椅子を差し出され、熱いミルク、ビール、ビスケットの接待を受けました」
「間もなく、われわれ士官は、前甲板に集合を命じられた。また何をされるか、不安になりました」
「すると、キャプテン・シュンサク・クドウが、艦橋から降りて来てわれわれに、端正な挙手の敬礼をしました。われわれも遅ればせながら答礼をしました。キャプテンは、流暢な英語でわれわれにこうスピーチされたのです」
You had fought bravely. Now you are the guests of the Imperial Japanese Navy. I respect the English Navy, but your government is foolish to make war on Japan.

引用終わり。

 読んで頂いた皆様のご感想はいかがでしょうか。いつ敵潜水艦に攻撃されるかわからない危険水域で、自分達の命をかえりみず、そこに衰弱で溺死しかけている400名以上の敵兵が浮遊している。何とか助けたいという「心」がいかに神聖なものか。
 人道、平和を唱える者たちは、このような史実を例に挙げて子供達に本物の人道を教えるべきでしょうね。
posted by 小楠 at 07:37| Comment(12) | TrackBack(1) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
命を大切にする心とは、人として、もっとも尊いものですね。
現代の若者が、平気で人を傷つけたりするようになったのは、自虐教育にも大きな責任があると思います。
この本、日教組のバカ教師に、丸暗記するまで読ませてやりたいです。
Posted by おしょう at 2006年10月24日 14:42
>but your government is foolish to make war on Japan.
本物の軍人魂・人道主義者だから言えた言葉。”守るべき事は守り言うべきことは言う”。現代日本人は忘れてしまった精神です。政治がまるで解っていない小役人が政治を動かしているから内交も外交も、もうポチ犬みたいで、ただ尾っぽを振るだけで見ていて気の毒になります。日本政府の嘘っぽくていかがわしい義務教育なんて廃止して全て私塾にしては如何でしょうか。”本物”の人道学習が出来ます。明治大正昭和初期の知恵者はみんな私塾から排出していました。日教組は海の彼方の藻屑と化すことでしょう。
Posted by ケイさん語録 at 2006年10月24日 15:20
おしょう様
>>自虐教育にも大きな責任があると思 います
大きな原因でしょうね、破れかぶれ的な思想が醸成されてしまうのでしょう。
日本を亡ぼす日教組の願望通りの子供ができてしまいます。

ケイ様
>>本物の軍人魂・人道主義者だから言 えた言葉
まさしくご指摘の通りだと思います。やはり国に対する自信がないと、なかなかこうは言えないでしょう。
>>義務教育なんて廃止して全て私塾
私も本心はこれなんです。親または自覚のある子供が、教育を受けたいと思える所で受けられるのが最も身につく勉強方法だと思います。
これこそ強制ではないと言えるでしょう。
Posted by 小楠 at 2006年10月24日 17:21
こんな、すばらしい出来事が公表されず、また、知りえるタイニングもあったのに、戦後60年強も隠されていた事のほうが悲しく、なさけなく思います。ただただそれだけですね。言うときははっきり発言する、主張する為の条件を日本人は放棄している、隠す、こそこそぎちる、こそこそしか出来ない日本人なのかもしれません、本を出してくれたことに感謝します。
Posted by 黒木茂記 at 2007年04月21日 11:11
黒木茂記様
日本の英雄、偉人はGHQの占領政策以後だんだん姿を消していったのでしょう。その政策を恭しく仰ぎ受け継いでいるのが反日や日教組。どうしても日本人は悪いということにするのが彼らの狙いです。
悪いことは捏造してでも叫び、よいことは事実をも隠す、卑劣な人間ということがはっきりわかります。
Posted by 小楠 at 2007年04月21日 11:32
恵隆之介氏著「敵兵を救助せよ」を感動をもって読んだ一人で、これまで15冊ほど購入して知人に配りました。ところで、先月ひょんなことで、小林健氏他著書「戦艦「大和」主砲指揮所に地獄を見た」光人社1989年出版を読んだところ、なんと「敵兵を」の証言者の佐々木確治氏が71頁から130頁にわたり「戦艦「陸奥」ミッドウェー海戦従軍記」を執筆されているではありませんか。その中で荒天の中自らカッターにて惨状を極めた空母赤城の千名を超える救助者を駆逐艦から陸奥に移乗救出の様子を克明に記述されており、日本海軍敗残兵の将兵の別ない我先の危険この上ない規律喪失を心底から怒り嘆いておられましたが、これに先立つ駆逐艦「雷」による救出劇での英海軍将兵の規律のとれた行動には真に感動を覚えたご様子がうかがえます。この機会に皆様もぜひご一読され、同氏が歴史に立ち会われた対極の救出劇を比較されることをお薦めいたします。同氏の、歴史の証言者としての信憑性を確信させられるはずです。
Posted by 松井康浩 at 2007年07月05日 18:28
松井康浩様
お知らせを有難うございました。
早速探して見ようと思います。
Posted by 小楠 at 2007年07月05日 20:44
小楠様、返信有難うございました。早速、小生もネット検索したところ、ネットオークションによる前述著書の入手は可能な様です。ところで、昨日書き忘れましたが、同著書の後書きに1989年当時に雑誌「丸」編集長の高野弘氏が、1986年(昭和61年)春に元海軍大佐大井篤氏よりぜひお目にかけたいものがあるとの連絡があり・・とのことで佐々木氏の手記2点を紹介されたとあります。それら2点は「雷」と「陸奥」の乗組時代の手記であったが、高野氏は躊躇せずに後者を選んだと述懐されています。佐々木氏が「陸奥」でも触れられた「雷」乗艦時代の英兵救出の顛末は「陸奥」にて伺える精緻さで記述されていたはずで恐らく貴重な手記であったろうと思われますが、高野氏の編集者としてのプロの目力で即座に「雷」を却下された背景には恵氏著「敵兵」とは別の切り口で上梓がはばかられるもうひとつの真実(歴史の光と影におけるあえて影の部分)があったのではと考えるのはあまりに飛躍のし過ぎでしょうか。高野氏が当時のいきさつをご記憶ならぜひ当時ご判断のいきさつを伺いたいものです。いや、公共の電波にてあまりに空想をふくらましすぎました。ご放念下さい。
Posted by 松井康浩 at 2007年07月06日 10:13
松井康浩様
私も絶版物はネットの古書店をあさっていますので、見つかると思います。再度のお知らせ有難うございました。

>>「陸奥」の乗組時代

私、戦艦「陸奥」には特別な思いがあります。私の学生の頃に、大東亜戦以前の乗組員ですが、陸奥の機関大佐の方と懇意にして頂いていたのです。勿論すでに亡くなっておられますが、陸奥艦上での写真なども見せて頂きました。
Posted by 小楠 at 2007年07月06日 10:30
「敵兵を救助せよ」初めて知りました。
久しぶりに感動し、涙が出てしまいました。この本を買いたいと思います。
ありがとうございました。
また勉強にきます。
Posted by こう at 2007年07月10日 01:51
こう様
このような史実を、日教組で汚染されかかっている子供たちに伝えたいです。
またよろしくお願いします。
Posted by 小楠 at 2007年07月10日 07:49
本日、ネットで取り寄せた「教師の戦争体験の記録」岩手県一関国民教育研究会編、1992年日本図書センター発行を一読して驚愕の事実を知りました。英兵救助の前日の3月1日にオランダ商船乗組員を皆殺しにしていた事実です。全員殺戮したとして現場海域を去った後で、一人だけ僚艦の駆逐艦「響」に救助されて発覚し戦後に戦犯に問われた模様です。小生、戦艦「陸奥」の手記に触れていなければこだわって調査するなど思いもよりませんでしたが、「敵兵」著者の恵隆之介氏はこの事実を生存者のヒヤリングで知っていたのではと疑いたくなります。
Posted by 松井 at 2007年07月29日 17:51
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