2006年10月23日

武士道と騎士道

恵隆之介著「敵兵を救助せよ!」(英国兵422名を救助した駆逐艦『雷』工藤艦長)をご紹介してみます。
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なお、ここに出てくる潜水艦の佐久間艇長については、おばりんさんのブログで紹介されています。
 
引用開始
【工藤俊作の生い立ち】
 工藤俊作は、明治34年1月7日、山形県東置賜郡屋代村竹森、現在の高畠町大字竹森で生まれた。
・・・略・・・
 祖父が幼少の頃、アジアは列強の侵略を受け、蚕食され尽くしていた。わが国も列強から不平等条約を押し付けられ、辛うじて独立を維持する状態にあった。
・・・略・・・
 工藤の三学年進級後間もない明治43年4月15日、広島湾で潜水訓練中の第六号潜水艦(57トン)が事故で沈没するという事態が発生した。
 艇長の佐久間勉大尉(31歳)は、酸素が消耗していく艇内で遺書をしたため、天皇に対し、潜水艇を沈めた責任を詫びた後、「部下の遺族をして窮するものなからしめ給わらんことを」と結び、さらに事故の原因、改良すべき点について呼吸が停止するまで記録していたのである。これを読んだ明治天皇は感泣したという。

 当初海軍は、事故後、艇を引き揚げハッチを開ける際、凄惨な状況が呈されているものと恐れていた。ところが、艇内には、艇長以下14名全員が各配置についたまま従容と最後を遂げていたのである。
・・・略・・・
 英国海軍はこの佐久間の遺書を英訳し、現在も潜水艦乗組員の精神教育のテキストとして使用している。
 このことは昭和2年以降終戦直後まで、「尋常小学校修身教科書巻六」の「第八科・沈勇」に掲載され、多くの国民が知るところとなった。
ところが、この項は戦後進駐軍によって削除され、佐久間艇は解体された。そして、国民の意識からも完全に忘却されかかっていた。

 しかし、再評価される時がきた。しかも、その発見をしたのは、皮肉にも米海軍軍人であったのだ。
 昭和31年、「ニューヨーク・タイムズ」記者で、ピュリッツアー賞受賞作家、米国海軍兵学校出身の軍事評論家ハンソン・ボールドウィンがその人であった。
 ボールドウィンは、『海戦と海難』という書を著し、その中に「日本六号潜水艇の沈没」という章を設けて佐久間艇長の遺書を紹介し、「佐久間の死は、旧い日本の厳粛なる道徳、サムライの道、または武士道を代表したもの」と強調したのである。
 このことによって、カリフォルニアの高校教科書「リーダーシップ」の項にこの佐久間の行為が引用された。
・・・略・・・
【日英海軍のきずな】
 大東亜戦争が始まって間もなくの1942年2月27日から3月1日にかけて、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合艦隊15隻との間で行われた海戦で、日本艦隊は3月1日までに15隻中11隻を撃沈した。
 このうち3月1日にスラバヤ沖で午後1時ごろ撃沈された英巡洋艦「エクゼター」、英駆逐艦「エンカウンター」の乗組員四百数十名は漂流を続け、翌2日彼らは生存の限界に達していた。このとき、偶然この海域を航行していた日本海軍の駆逐艦「雷」(いかづち)に発見された。

 この時英国海軍中尉だったフォール卿は「日本人は非情」という先入観をもっていたため、機銃掃射を受けていよいよ最後を迎えるものと覚悟した。
 ところが、駆逐艦「雷」艦長海軍中佐工藤俊作は、即座に「救助活動中」の国際信号旗を揚げて漂流者全員422名を救助したのである。しかも艦長は、英国海軍の士官全員を前甲板に集めて、英語で健闘を称え、「本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」とスピーチしたのだ。
 そして兵員も含め、全員に友軍以上の丁重な処遇を施した(1998年4月29日付「英タイムズ紙」フォール卿投稿文より)。
 戦闘行動中の艦艇が、敵潜水艦の魚雷攻撃をいつ受けるかも知れない危険な海域で、自艦の乗組員の二倍の敵将兵を救助したのだった。
・・・略・・・
 フォール卿はこの艦長への恩が忘れられず、戦後その消息を捜し続けてきた。そして昭和62年、工藤中佐が八年前に他界していたことを知った。
 しかし、自身の齢も84歳を数えるようになってきたため、ついに意を決し、「人生の締めくくり」として来日したのである。
 その目的は、かなうことなら艦長の墓参をし、遺族に感謝の意を表明したいという積年の思いを遂げることであった。・・・・

 一方、工藤艦長の行動は、戦後、米海軍軍人をも驚嘆させている。
 米海軍は、昭和62年機関紙「プロシーデングス」新年号に、フォール卿が「騎士道(Chivalry)」として執筆した一文を、七ページにわたって特集したのである。
 ところで前述の「タイムズ紙」にフォール卿の一文が掲載された日は、翌月、天皇が英国を訪問することが公表され、反対運動が起きていた時だった。その中心はかつて日本軍の捕虜となった退役軍人たちで、戦時中日本軍から受けた処遇への恨みが原因であった。しかしこのことは、国際法上昭和27年4月28日の講和条約成立によって解決済みのことなのである。

 ところが、細川護煕首相以降の総理が謝罪を行ったことが彼らを刺激していた。特に平成9年からこの年の一月にかけて、二代の首相が連続して謝罪を行っていた。・・・
 しかし、退役軍人の投書に対しフォール卿が「元日本軍の捕虜として、私は旧敵となぜ和解することに関心を抱いているか、説明申し上げたい」と前置きして、工藤艦長の行為を紹介したのである。その結果、日本批判の投書はことごとく生彩を欠くことになった。
・・・略・・・
 ここで、歴史を議論するつもりはないが、平成17年5月、インド国防省元次官で国際政治学者のK・サプラーマンヤムが、インドの有力紙「ヒンドゥスタン・タイムズ」に、小泉首相がバンドン会議で胡錦濤に謝罪したことに触れ、
 「アジアの国々における脱植民地運動は、日本のお陰で勢いづいた」と断じ、「東南アジアで日本軍がアメリカ、イギリス、フランス、オランダの植民地を素早く撃破したことこそ、戦後に欧米列強が再びアジアに戻ることを困難にしたのである」と書いている。


 さて、フォール卿だが、卿は戦後、外交官として活躍し、その功績によってサーの称号を受けている。フォール卿は外交官を定年退職後、1996年に自伝「マイ・ラッキー・ライフ」を上梓しているが、その巻頭に、「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と銘記し、顕彰したのである。
引用終わり

 占領軍によって修身から上述の佐久間艇長の実話が削除されたと言うことから、他の様々な占領軍の検閲の意図がうかがえます。
 また日本でも、人道をうるさく言うなら、このような美談を教科書に採用して、人道のありかたを教えるべきでしょう。
posted by 小楠 at 07:37| Comment(9) | TrackBack(1) | 書棚の中の人物
この記事へのコメント
ご紹介いただいたエピソードは、いずれも初めて聞く話です。
なぜ、海外で「日本人の心」が評価されているのに、日本人である私たちは、こういう話を知らないのでしょう。
本当に、日本の教育は腐ってます。
Posted by おしょう at 2006年10月23日 09:56
佐久間艇長の物語を教わらない知るすべがないなんて可哀想としか表現しようがありませんね、現代の日本の子供たちにとっては。そんなにひどい状態なんですか、今の教育界って。私はたまたま運がよかったんですね小学校の校長先生が軍人出の子弟さんだったから。美しい自然界の恵みしか持っていない日本人から武士道・神道の魂を失ってしまったら後に一体何が残るんでしょうか・・・、誇りを失った下賎な”我利我利亡者の拝金の徒”に成り下がるだけですよね。今日の記事を多くの方に読んでもらいたいと思います。
Posted by ケイさん語録 at 2006年10月23日 09:58
おしょう様
>>本当に、日本の教育は腐ってます

私も佐久間艦長のことはうる覚えがありますが、工藤艦長の件はこの本で初めてしりました。
こどもたちには積極的に教えるべき史実ですね。

ケイ様
>>小学校の校長先生が軍人出の・・

確かにこういう人とめぐり合うのは運がよかったのでしょうね。その後の人生にも影響することですから。
その点、子供の頃から反日や左翼思想しか刷り込まれることのなかった人たちは可哀そうなものです。
人格を破壊されてしまって。
Posted by 小楠 at 2006年10月23日 14:23
「体制に闘った民衆こそ歴史の主役であって、反日人士は世界の英雄、日本人は没義道な行いばかりして歩くダメ国民」

こうとしか捉えられないような授業が学校で行われていると聞きます。

小楠様が伝えるような偉人の逸話や日本の美談美徳がブラックホールの中にスッポリと入ってしまって、魑魅魍魎ばかりが好んで伝えられる、とあっては、「修養」の部分にも影響大ですね(英国では誇りある教育で道徳が回復した、とも聞きますが)。

昨今報道されるようなイジメや少年犯罪にも歴史教育と無縁ではないような気が致します。

Posted by 何某 at 2006年10月23日 19:40
何某様
>>イジメや少年犯罪にも歴史教育と無 縁ではないような気が致します。

誠にこれには同意します。今の教育では、人格とか品性完成の目標が全く不明。何でも反抗の見本を見せているのだから、最近は生徒や日教組全盛時代に育った親たちから、自分たちがやってきたと同じことをされているような気がします。
Posted by 小楠 at 2006年10月23日 20:42
いずれの話もネット上で知り、佐久間艇長のは図書館で本を見つけたので読みました。占領軍はこんな歴史も握りつぶそうとしていたのですね。あらためて驚愕です。GHQの焚書を復刻させる活動をされている方が居られますね(西尾氏?)まだまだ日本人自身が知らない日本の歴史がどんどん明らかにされていくことを期待してます。
Posted by おばりん at 2006年10月25日 18:01
おばりん様
>>日本人自身が知らない日本の歴史

修身のように、このような史実を伝える情操教育が自然と道徳の教育につながりますね。
教師自身に品性まで求めなくても、このような話を子ども達に伝えるだけで、立派な教育者になるでしょう。
Posted by 小楠 at 2006年10月25日 21:42
いつまで、日本人は日本のことを外国から教えてもらうのですかね・・・。
歴史教育が、入試のために未履修となり、これを首相が「救済せよ」という異状な事態。
なぜ、「卒業を遅らせても必要なことを教えるのから必修なのだ」といえないのか。どうして、指導方針を変える決定以前にそれを崩す場当たり的な方策をするのか。そんなことを考えてしまいました。
Posted by うな基地 at 2006年11月01日 23:07
うな基地様
コメント有難うございます。
>>決定以前にそれを崩す場当たり的な方策

教育の目的は人格の形成だと思いますが、今の日本は、肝心な目的を無視して、知識のみの教育に成り下がってしまっているから、このような軽薄な処置しか考えられないのでしょうね。

Posted by 小楠 at 2006年11月02日 07:39
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「佐久間艇長の遺書」 TBSブリタニカ編集部[編]
Excerpt: === 「かくの如き日本人ありき」     (佐伯彰一氏序文より) === 夏目漱石が名文と激賞し、与謝野晶子が追悼歌を十余首も詠んだ佐久間艇長の遺書 ―――沈没潜水艇の中にあって死の寸前..
Weblog: 暇なおじさん、おばりんの写真日記
Tracked: 2006-10-25 17:56