2008年04月30日

知ってはならない歴史5

韓国併合で知ってはならない歴史3

若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」という本をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。

引用開始
 当時の日本でも(朝鮮との)合併に対して異論がなかったわけではない。伊藤博文は保護国論に近い立場にあった。強硬な合併論者はいても、いわゆる植民地化論者は皆無であった。これが事実である。当時の朝鮮は極度に貧しく、李朝の苛斂誅求によって国は衰亡したも同然であった。朝鮮の前には、独立の選択肢は存在していなかった。滅亡か、日本との連衡による滅亡回避かの二択しかなく、他の道はあり得なかった。これが歴史の事実である。
 当時の日本に朝鮮植民地論者は皆無であった、と書いた。
 植民地という以上は、コロニーとしての「うま味」がなければならない。例えば収奪の対象になり得る財貨・物産が、当時の朝鮮に存したのだろうか。
 そんな物はありはしない。
収奪した物を運ぶ道路はない。鉄道はない。港湾はない。橋はない。破壊されたハゲ山、堤防のない河川と、洪水の危機に曝され、野放しの農地と破壊された自然というのが、李朝支配五百年余の惨たる風景であった。
 李朝の国是は「衛正斥邪」だが、この中華従属イデオロギーの自家中毒が李氏朝鮮滅亡の根本原因である。

 半島が独立したのは日清戦争での清国の敗北の結果であり、下関条約第一条で朝鮮の独立が規定されてからである。にもかかわらず、朝鮮の独立を奪ったのは日本だという韓国人、朝鮮人がいることを、私は奇観だと思う。同時に、私は合併は日本の現代史上、最大の過誤であったと言わざるを得ない。
 元の時代、高麗朝の貴族は競って「創氏改名」して、モンゴル式の名を名乗った。元が明に代わると、高麗の武将の李成桂は高麗朝を滅ぼし、朝鮮の国号を頂戴した。そしてさらに「創氏改名」して中華風の名乗りに変えた。
 清の時代になると、清朝は満州族の王朝だから、朝鮮は明に殉じて小中華をもって任じ「衛正斥邪」を国是とした。だから、明に忠節を尽そうとした宋時烈たちの義挙もあった。だが、清軍に撃破(丙子胡乱、1636年など)されると清の忠良なる属国となった。
 日本と合併ののちは、「創氏改名」を希望する者が多く、朝鮮総督府は申告制で対応した。・・・・・日本式の名乗りが多くの利便を韓国人に与えたことは事実である。支那でも、アジアでも欧米ででも、日本人として振る舞うことの利便は大きかったし、日本式の名乗りを好んだ韓国人は少なくはなかった(台湾では許可制であった)。特に支那では、ほとんどの韓国人が日本式の名乗りを用いた。

 人種差別が当然とされていた当時に、パリやロンドンで白人専用のホテルに宿泊できた有色人は日本人だけであった。合併は植民地化とは違うというのは、韓国人は日本人になったという、ささやかな一つの例証となるであろう。インド人はイギリス人になれたのではない。
 総督府は戸籍を編成した。村(面)によっては人口の半分近くを占める奴婢身分には「戸籍」はなかったが、総督府は戸籍を認めた。このとき多くの日本人名が誕生した。・・・・・総督府の進める堤防工事や灌漑工事によって多くの農地が生れていた。1911(明治四十四)年に246万町歩の水田が、20年後の1932年(昭和七)年には449万町歩に倍増している。増加した農地については、日本人地主も増えたが、新たに日本人式の名前になったもと奴婢身分の「地主」も増加した。そこは彼らの「住所地」だったのである。・・・・
 新しく造られた「金融組合」などは、仔牛を貸し付けて、成長すればそのうち一部を農家のものとするなどの方法で、牛を飼う農家を増やしていった。日本の教科書ではこう書いている。
「すでに10年代から、日本人が朝鮮において広大な土地を所有し・・・日本への米の大量積み出しが強行された」(山川出版社 世界の歴史 世B576 287頁)
 歪曲とはこういうことを言うが、日本の高校生はこうして教育されているのである。「近隣条項」は、近隣関係破壊の元凶というしかない。


 学校教育についてはどうか。総督府の当初(明治三十八年、1905年)には朝鮮全土で四校にすぎなかった小学校は、一面(一村)一校を目標に設置が進められ、1923年には2500面で達成され、36(昭和十一)年には全面(全村)に小学校が設置された。小学校ではハングルが教えられた。ほとんどの日韓人が知らなくなっているが、これが事実である。
 朝鮮では漢文が真書とされ、ハングルは・諺文(卑しい語)と呼ばれ、長い間忘却されていた言葉であった。
 総督府がハングルを「発見」し、小学校教育で普及させたものである。これが事実である。言うまでもないが、私は自説を主張しているのではない。
 ハングルは、李朝四代の世宗が学者を集めて、庶民生活に使える文字をという目的のもとに二十八文字を創造したものである。(1443年の頃)。
 だが「尊清事大」の「北学」至上主義は、日本や蒙古などは蛮族だから自分たちの文字などを用いていると、その蛮風を笑っている(例 漢学者・崔万里)。事大主義も極まれりなのだが、これが「衛正斥邪」という国是の一面なのであった。・・・・
 新羅時代に入ってのち唐式の姓名を名乗るようになったが、金、李、朴が最も多く姓の数は250くらいである。元の支配を受けるようになると、蒙古式の姓名を名乗り、明の時代になると、科挙・宦官・中華思想を移入し小中華を誇った。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚から真実を
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