2008年04月26日

知ってはならない歴史3

韓国併合で知ってはならない歴史1

若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」という本をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。

引用開始
 幕末から明治の日本を支配していた空気は、ロシアへの恐怖である。露国や列強に支配され、ひいては滅ぼされるのではないかという恐怖感は、なまなましい現実感を帯びていた。
 黒船の脅しに始まり、不平等条約を無理矢理に呑まされる過程で思い知らされた彼我の武力の絶対的な格差は、「富国強兵」・「殖産興業」の道を猛烈な勢いで日本を進ませることになる。エネルギーは「追いつける」という感覚である。
 当初、日本の描いた構想は、日本・清国・朝鮮(李氏朝鮮)の三国の連衡であった。
この連衡の構想は、橋本左内・吉田松陰・横井小楠たちも考えたものであったが、根はもっと深い。
 西郷隆盛のことを「征韓論」の武断主義者のように言う人もいるが、誤解である。明治六年の西郷隆盛の下野を、「征韓論」否決の抗議と書く歴史書(例えば、高校教科書)は例外なく史実を曲げている。

 高校の教科書の例に、『日本史A 現代からの歴史』(東京書籍 日A553)をあげておく。この教科書は西郷のみならず木戸、大久保たちもみな征韓論者として描いている(四十五頁)。
 江華島事件を
「日本軍艦の徴発によって砲撃事件(江華島事件)がおこるや、大久保らとともに(木戸も)朝鮮に対する強硬策を主張している。その結果、欧米からおしつけられた不平等条約を、逆に朝鮮におしつけたのである(日朝修好条規)」と書くのであるが(同頁)、こんなところが日本人に「おしつけられた」歴史の一端である。

 西郷、大久保、木戸・・・・とまるで日本の政府は侵略主義者の巣窟である。まともな感覚の文章とは思えないが、わが国の高校生はこのように教育されているのである。・・・・・
 日本の開国と朝鮮(李氏朝鮮)の出会いの不幸は、その精神世界の舞台が「衛正斥邪」と「尊王攘夷」意識の大きな隔たりにあった。・・・
 1868年、日本は明治元年である。十二月、対馬藩の代表たちが釜山に到着した。明治新政府の派遣した使節たちである。この使節たちの持参した国書の受け取りを朝鮮が拒否した、理由は日本の国書は「皇上」「奏勅」「朝廷」の文字を用いていることや、印璽や署名が伝統と異なる、などがその理由である。
 まさに「衛正斥邪」である。中華秩序と儒教が正義であり、これに服さない者を邪とする精神世界からは、日本ごとき島夷が僭上にも「皇上」とか「朝廷」の言葉をちりばめた国書を朝鮮にもたらすなど、絶対に許されることではないのである。


 李氏朝鮮からすれば、「皇」や「勅」の文字は中国皇帝にのみ許される言葉であって、李朝は日本の臣下ではないという怒りは、「衛正斥邪」からすれば当然の反応であった。・・・・
「王朝外交」からの離脱、つまり華夷秩序からの脱却と朝鮮の独立・近代化は日本の安全の前提となる大問題と意識されていたのが日本の状況であった。つまり、ロシアの南下の脅威との関連である。
 列強と交戦を重ね、神父を殺害し八千人のキリスト教徒を虐殺するなど常軌を逸しているとしか言えない朝鮮の存在は、日本の国家防衛上大きな危険要因として浮上していたのである。・・・・
 この「日朝修好条規」のことを、「(江華島事件の結果)・・・欧米からおしつけられた不平等条約を、朝鮮におしつけたのである」と高校の教科書は書いている。・・・・
 史実を吟味してみよう。
第一条『朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり』と、朝鮮(李氏朝鮮)の独立を確認したつもりの日本は、実はひとり合点のミスを犯していた。李朝はこの条文について「別に議論すべきほどのことはない」という態度ですんなりと合意している。
 日本の「つもり」は、朝鮮は独立国の意味であるのが、李朝には「日本と平等」の意味にしか理解されていなかったのである。
第四条、第五条は釜山他二港の開港と、第十条は朝鮮の開港場での日本の領事裁判権を取り決めている。
この場合の領事裁判権とは、朝鮮の開港場で罪を犯した日本人を日本の領事が裁判するという、いわゆる治外法権のことである。

 この治外法権をもって、日朝修好条規を不平等条約と書くのは、ウソを書くのでなければ無知の自己暴露である。次のように、この場合はウソが故意に書かれている。
 明治四年に結ばれた日清修好条規は、互いに治外法権と領事裁判権を規定している。この条規をだれも不平等条約とは言わないのはなぜか。それは領事裁判権が双務規定だからである。これが片務規定のとき、不平等条約となる可能性が生ずる。日本が列強諸国と結ばされた不平等条約は、例えばアメリカ人が日本人に対して犯した犯罪をアメリカのみが裁判権をもつという片務規定であり、まさに不平等条約と呼ばれるものである。
 日清修好条規では、江戸時代以来の慣習をふまえて双務規定としたものである。長崎で日本人に対して罪を犯した清国人は、清国の責任において清国が処断していたのである。この慣習を法定したものが、日清修好条規の領事裁判権の治外法権である。これを、当然に誰も不平等条約とは言わない。
 日朝修好条規も同じことなのである。江戸時代に釜山で罪を犯した日本人は、対馬藩が責任をもって処断するのが当然の慣習とされていた。これを継承したのが日朝修好条規であり、李朝側は何の異議も唱えていない。当然と考えられた、にすぎない。・・・・
 いずれにしても、治外法権がすなわち不平等条約という連想は粗雑でウソが過ぎる。日朝修好条規は不平等条約ではない。当然に、当時はだれもそんなことは言わなかった。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚から真実を
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/14428287
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック