同じく1978(昭和五十三)年発行のK・B・パイル教授の教科書、『近代日本の形成』(THE MAKING OF JAPAN)から引用してみましょう。
引用開始
※世界の中の日本
我々は戦後の日本について、いくつかの顕著な特徴を見てきた。その特徴というのは、異常ともいえる経済の成長ぶりであり、それをもたらしたものは官僚機構の優秀性であり、教育と試験制度の影響力であった。
ここで我々は最終的なテーマに到達しなければならない。結論的に言えば、戦後の日本は、世界の中で日本が存在することの意味や、究極の使命は何かということについて、日本が混迷しており、不明確であるということである。
このことは本書の中で早くから見てきたことである。日本は(敗戦という)世紀の変革に遭遇して、国家の本質はいかにあるべきかについて、成熟した概念を確立しなかった。そしてまた日本は、世界に対してどのような役割を果たすべきかについて、探究し討議することもなく過ごしてきた。
※過激なる日教組集団の登場
(歴史は民衆中心の生活史か指導者主役の栄光史か)
その例を挙げよう。そもそも教育の内容は、日本の本質とは何かについて深い関わりを持ってくるものである。
日本は戦後、国家主義的理念が顧みられなくなった。その反動として、歴史は、過去の天皇の治世や日本の軍人の功績については教えないように全部書き改められた。その結果、歴史は事実に基づいて、過去の制度や習慣の発達を批判的に教えねばならないと考えられた。それは日本の教師が極左的指導者によって支配されている強力な労働組合に組織されているからである。(organized into a powerful trade union dominated by radical left-wing leaders)
そのため歴史教科書は、しばしば教師の政治的偏見を反映し、「経済的搾取及び独裁的支配階級の圧迫から逃れるための民衆の闘争」を教えなければならないと強調した。
例えば日露戦争の歴史的記述は、当然取りあげなければならない海軍の英雄東郷平八郎元帥の名を避け、その代わり戦争に反対した一握りの社会主義者、平和論者で記述されるようになった。そのため新しい教科書は、論争の焦点に立たされた。即ち、歴史の中の反体制人物を大きくとりあげ、そこに独自の民主的伝統の根拠を見出そうとした訳である。そのため、自国の過去の栄光を讃えなくなってしまった。
日本では、左翼と右翼の間に今尚、理念的争いがある。特に日本教職員組合の過激な指導者と、文部省の保守的な役人との間で争いがある。その争いというのは、「歴史教育は民衆の過去の不幸を扱うべきか、または過去の栄光を主にすべきか。被支配者を主にすべきか、支配者を主にすべきか。権威に反抗し個人の権利の確立を主とすべきか、愛国心を尊重し、国家の発展を主とすべきか」についてである。
※戦後思潮への批判
(松下幸之助、石原信太郎等)
戦後の日本では国家の過去の出来事を否定的に考えることや、伝統的・文化的価値あるものに目を向けない現象は、あちこちで見られる。それらの考え方は、教科書にも広く採用され、多くの日本人にとって、それが不満となっている。日本人として戦後の改革、特に憲法と教育制度は、もはや時代錯誤という考えがある。京都大学のある教授は、次のように書いている。
「戦後の変革は、日本人独特の良心、洗練された習慣、そして日本の美徳がすべて失われた。三千年の歴史の中で、我が国が培ってきた文化・伝統が、今や絶滅しそうである。また日本人らしい独特の心と体を鍛える教育方法も、もはや過去のものとなってしまった。そして残されたことと言えば、技術力の増強と国家意識の喪失とである」
その後、日本では経済改革以外には国家としての指針が見つからず、空虚な精神と道徳の中に生活しているという自己批判が広がり始めた。
有名な小説家であり、東京地区選出の国会議員で、1976年に大臣になった石原慎太郎は、小説の中で再三このテーマをとりあげた。
「日本という国家の中心部分には、精神的なものが欠如している。この社会の流れの中では、道徳心の欠如が特徴となっている」と。
同様に、音響産業家の松下幸之助も、国家の目的と使命について、再三次のように述べている。
「戦後、我々は、改造された戦後体制と物質的な発展ばかりに心が奪われて“心を持った国家”について関心を示さなかった。
そもそも国としての自立性や将来への展望は、その国の歴史と伝統の上に成り立っているのである。現代の日本では、伝統はほとんど無視され、外国の習慣にとって代わられつつある。現代はこういう世代の人々が成長し、日本にもはや日本人はおらず、自分自身と自信を持たない“人間の群”があるだけである。
※70年代・日本回帰ブーム
(三島事件や横井・小野田の出現)
一方、日本では、経済成長にともなって、逆説的なことが起こり始めた。
日本は貿易を通じ、国際機関に関係を持ち、海外旅行が容易になりはじめてから、世界に目を放ちはじめた。日本は世界の中でも特殊な個性を持ち、かけ離れた孤立した存在であることを自覚し始めた。特に1970年代の初期から、自己回帰の徴候を見せはじめた。
日本人であることの意味は何か。日本人とは果たして何なのか。我々はどこから来てどこへ行くのか等のいわゆる「日本人論」と呼ばれる出版物が、相ついで出された。この日本回帰ブームを印象づけるいくつかのことが起こった。
その一つは、1970年の11月に、小説家の三島由紀夫が劇的な自殺を遂げたことであった。彼はそれまで国民に対して、唯物主義・魂を失った外交政策・真実にして純粋な日本の伝統的価値からの遊離現象等、栄光ある帝国の再建に対して意欲を喪失したもろもろの現象について、痛烈な批判を展開していた。
また、1972年3月には、考古学上の調査によって、奈良で高松塚古墳が発見された。この古墳は7世紀頃のものであり、これによって天皇の存在や、日本人の文化と言葉の起源について、再び問題を提起することになった。
また他の問題提起は、太平洋の島から二人の日本人兵士(横井庄一・小野田寛郎)が帰ってきたことであった。彼らはそこで約三十年かくれていた。出てきた彼らの心構えと態度は、自己献身と天皇への絶対忠誠という戦前の価値を、日本人に呼びさまさせた。この日本人の失っていた価値は、多くの日本人に共鳴を呼ぶことになった。
引用終わり。
引用書籍は「世界に生きる日本の心」からです。
アメリカの教科書でさえ、極左日教組の害毒を見抜いて指摘しています。これは本来、日本の国民、保護者が指摘すべき事でしょうが、学校教育の内容に無関心であり過ぎたため、子供たちを反日教師のいいように洗脳されてしまったのではないでしょうか。
安倍内閣が教育改革を強く訴え出し、それを国民が支持したことは、やっと日本も当たり前の国になろうとしている表れでしょう。
2006年10月12日
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その結果、サヨクどもがノサバルことになったのです。
もう、60年を過ぎているんですよ。
ふう〜っ。
サヨクを日本から駆逐するには、たいへんなエネルギーが必要です。
最近は子供よりも親の問題行動(給食費を払わないなど)が目立っているように感じますが、このような親が出来てしまったのは受けた教育に原因があると思います。このような親に育てられた子供がいずれまた親になると思うと、ゾッとします。教育改革は一日でも早くやるべきですね。
当時はアメリカも共産主義には大変脇が甘かったようですね。GHQでリベラル容共のニューディーラー達が幅をきかせていた結果でしょう。その後彼らは本国送還となりますが。
j.seagull 様
日本人の国家意識のなさの原因として、教育界を支配した極左日教組を挙げているところは的確ですね。
日本国内でも、この日教組の害毒を徹底して知らせることが大切ですね。
カピタン様
アメリカの方がこれを的確に指摘しているところに驚きを感じます。
日本の教科書としてこれの訳本を使用すれば面白いでしょうねー。
すべての人民を並丼に育てる教育と決別して上丼を育てる教え方に変えないといけないと思います。こう書くと早速格差拡大ハンタ〜イという”反論”が出ます。並の者は上を眺めて初めて発奮し、上の者は並の者を見て初めて指導者として自覚が生まれるわけです。両者目出度く共に向上していきます。競り合いは辛いことではありますが日本再生の為に不可欠だと考えました。外国人教育者に日本教育界を開放したら面白いことになりそうだと貴blogを拝読しながらわくわくしながら白日夢しました。
>>外国人教育者に日本教育界を開放し
たら面白いことになりそうだと
本当ですねー。彼らの方が客観的に見ることができて、史実と当時の世界情勢、国家観をそのまま書くと思いますね。
史実のまま書かれた教科書が、そのまま自然に、日本人に誇りと愛国心を持たせる教科書になってしまうでしょう。
1度、教育体制が壊れてしまうと後世まで悪影響が続いてしまうのが厄介なところ。我が日本では「極左的指導者によって支配されている強力な労働組合」を変えないと教育を改革したことにならないのかもしれません。
戦争反対の岡倉天心と幸徳秋水の名前は出ていましたね。
韓国のことを記述する時は、日本憎しが満ちあふれた記述で、朝鮮人が教科書を書いているのかと間違えそうです。
ったくー、反日日教組は国民が寄ってたかって叩き潰すべきです。
李舜臣や安重根、柳寛順などを大きく扱って取り上げている教科書もあるようで、どうもアベコベですね。
一応
つくる会
自虐 トンデモ教科書
http://www.tsukurukai.com/02_about_us/02_maso_01.html
異常を通り越していますね。
これではとても日本の教科書とは言えません。
徹底してこれらの教科書を廃刊に追い込みたいですよ。