2008年04月21日

殺人者の楽園文化大革命

石平著「中国大虐殺史」から引用してみます。今回は朝日新聞などが絶賛していた文化大革命の記述です。
写真は批闘会に引出された前国防部長、彭特懐。マオより
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引用開始
 毛沢東が権威回復のために破落戸(ならず者)と無知層を利用し数千万人の餓死者を出した大飢饉の発生をもって、毛沢東が推進した「大躍進政策」は完全に失敗に終った。それで威信を失墜した毛沢東は、徐々に党務と政務の第一線から退き・・・・毛沢東自身は、党全体から敬して遠ざけられる「雲の上」の存在となった。
 まさにこの政治状況を打破して自らの政治権威を回復するために、毛沢東は文革の発動に踏み切ったのだ。彼がとった政治手法は、党と政府の幹部階層にたいする一般民衆の不満を利用して、「下からの造反」という形の民衆運動で党の組織を破壊し、党内実務派を一掃することであった。
 毛沢東は林彪将軍という野心家の軍人を手先に使って軍隊を掌握する一方、「地痞流氓」の文人版である「四人組」を党の中枢部に抜擢して身辺を固めた。その上で、毛沢東は天真爛漫にして無知な学生たちを煽り立てて紅衛兵として組織し、社会下層の破落戸たちを「造反派」に仕立てた。
 
彼らを突撃部隊として、狂瀾怒涛のごとく造反運動をいっきに展開したのである。
 いったん発動された造反運動の及ぼす範囲は、もはや各級の党組織や実務派幹部たちを対象とする限定的なものに止まらなかった。いつのまにか、大学の教授から小学校の先生まで、作家・芸術家から各分野の芸能人まで、旧家・素封家の出身者から地主や資本家たちの子孫まで、医師や技術者から一般の職人まで、要するに中国社会の中で多少の権威と財産と名声を持つ者、あるいは知識と技能を持つ者のほとんど全員が、この凄まじい造反運動に巻き込まれて、政治的迫害の格好のターゲットとなったのである。
 どうしてそうなったのかといえば、理由は簡単である。
 この「大革命」は中国社会の中の破落戸の階層と、無知な紅衛兵たちを主力部隊とする「地痞流氓の革命」である。したがって、普段なら地痞流氓と正反対の社会的立場にある人たち、あるいは社会下層の地痞流氓からすると嫉妬と恨みの対象となりえる人たちは当然、この「大革命」で打倒され迫害される羽目にならざるを得ない。そして、「理由なき反抗」に飢えている紅衛兵たちにしてみれば、なんらかの「権威」をもった煙たい存在、たとえば学校の先生などは、造反運動の格好の対象なのである。
 とにかく、紅軍時代に敢行した「一村一焼一殺」と同様、毛沢東のひきおこした革命はいつまでも、下品な「地痞流氓」の造反なのである。そして、無知な紅衛兵と人間性の欠如した地痞流氓を主力部隊とする史上空前の大造反運動は、やり方も、残忍極まりないものであった。・・・・

「迫害致死」の実態

 一例として、北京市の西城区にある北京第三女子中学校での出来事を見てみよう。中国では、「中学校」とは日本の中学校と高校の両方を合わせたものである。・・・・
 1966年8月、文革が開始して早々、第三中学校の造反派と紅衛兵たちはさっそく「文革委員会」を設立し、「反動的教師」たちにたいする「専政」の実行機関となった。この学校の紅衛兵が全員女子であることはいうまでもない。
「文革委員会」は学校の責任者や教師ら14名を「反動分子」と認定して全員を集め、学校内の倉庫の一室に監禁した。「妖怪変化(牛鬼蛇神)」と称された彼女らにたいする紅衛兵の残酷な迫害は、そこから始まるのである。
 毎朝6時に、「妖怪変化」たちは叩き起こされる。まず校庭に一列に並んで、腰を90度に折る形で平身低頭の姿勢で二時間以上も立たされる。その「反省の時間」の途中で姿勢を崩す人がいれば、直ちに殴る対象となる。紅衛兵たちはもちろん、拳で殴るような生ぬるい殴り方はしない。軍事訓練用の木刀や革のベルトで殴るのだ。
「反省の時間」の後には、「労改=労働による思想改造」と称される重労働の時間がくる。「妖怪変化」たちは一日、10時間以上もの重労働を強いられる。本来、学校のなかには重労働の仕事がそれほど多くあるわけではない。だが、紅衛兵たちはわざと、「妖怪変化」たちのために「仕事」を作る。たとえば、校庭の一角の地面に大きな穴を掘らせ、また埋めさせるといった具合である。もちろん重労働の途中で休んではいけない。歩く時に頭を上げることも許されない。重いものを運ぶ時は小走りしなければならない。「妖怪変化」は、このような苛酷な一日を過ごさなければならないのである。
 そして夜になると、紅衛兵たちの「楽しみ」の時間がやってくる。彼らは学校の中で「審査室」と称する一室を設けて、「妖怪変化」を一人ずつ連れ出して、徹夜の訊問とリンチを延々と行っていく。
 訊問といっても別に何かを本気で訊き出そうというわけではない。殴るための「準備段階」にすぎないのだ。たとえば紅衛兵たちがよく訊く質問の一つに、「お前は毛首席を恨んでいるのか」というものがある。
 その際、「妖怪変化」は最初は当然、「いいえ、恨んでいません」と応えるが、紅衛兵たちは直ちに逆上して、「うそつけ! お前のような反動分子が毛主席を恨んでいないわけがない。本当のことをいえ!」といっせいに殴りつける。そして耐えられずに、「はい、恨んでいます。申し訳ありません」などと言ってしまおうものなら、いっそう激しく殴られる。「敬愛する毛主席を恨んでいる奴」を徹底的に成敗するのが紅衛兵たちの仕事だからである。・・・・
 こうしたなかで、第三女子中学校の沙萍という女校長は、三夜連続の「審査」を受けた後、1966年8月22日に打ち殺された。彼女が息を引き取った場所は校内のトイレである。傷だらけの遺体は半裸にされ、髪の毛はほとんど抜かれていた。口は汚物で塞がれていた。
 彼女の遺体は翌日に火葬場へ送られ荼毘に付されたが、遺族にはいっさい知らされなかった。数日後、紅衛兵たちが28元の「火葬代」を請求した時、家族は初めて、沙萍校長の死を知った。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の中国
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