2008年04月02日

外人を見た日本人の反応

江戸湾横断旅行

今回ご紹介している「ヤング ジャパン1」の著者ジョン・レディ・ブラックは1827年スコットランドに生まれ、海軍士官となった後、植民地のオーストラリアに移って商業を営んだが、友人から聞かされていた美しい景色と人情の国日本訪問を考えていた。事業の失敗後、本国へ帰る途次に観光程度の気持で立ち寄った日本に結局十年以上も滞在し、日刊の『ジャパン・ガゼット』を発行しました。本書「ヤング・ジャパン」は1880年(明治十三年)に出版されています。
写真は長火鉢を囲む女性たち F・ベアト写真集より
young06.jpg

引用開始
 われわれは甲板のないボートで、江戸湾を横切って、房州地方のある村に上陸した。一行は三人だった。二人は、獲物をたくさん見つけたがっている熱心なスポーツマンで、三人目の男は、『九十九谷』という名前から、読者にも想像のつきそうな眺望を見おろせるという岡にたどりつこうと一所懸命だった。・・・・残念なことに望みの地点近くの場所に上陸しなかったので、われわれが話しかけた人々は、そんな所のことは何も知らなかった――実際にわれわれのひどい横浜なまりのわかるものは、ほとんどいなかった。・・・・

外国人を見た日本人の最初の反応
 まずボートが岸に着いた時、その土地の人はみんな、われわれと言葉をかわすのに、気乗りがしないらしかった。彼らは明らかにおびえていた。だが好奇心から、逃げ出すのを押さえてはいたが。われわれの間で集められる限りの最上の日本語で、われわれは『茶店に案内してくれ』と頼んだ。ところが誰一人答えようとしない。もし汚い顔をした腕白小僧がいなかったら、われわれは打ち解けるのは、相当に難しかったと思われる。
この子供は大胆にも、銃にさわってみて、無作法を叱られなかったとなると、一層大胆になって、銃の持主のまん前に立って、顔中を口にして、ニタニタと笑った。そんな次第でこの腕白小僧は、次に好奇心にまかせて、一行の一人が腕にかけていた防水マントの布地を、行儀もわきまえずに、さすってみた。それでマントの持主は、この子供の肩にマントをかけてやり、旅行カバンを運んで行くうに、と差し出した。そして『村で一番立派な家に案内せよ』と話しかけ、『この仕事をすれば駄賃がもらえる』ということをわからせた。これで十分だった。子供は小走りした、われわれは彼について行った。これまで外国人が足を踏み入れたことのなかった土地に、三人の外国人がいる珍しい光景を見に集った人達も、そろって、彼について行った。・・・・
 しばらく歩いて行くと、ほかの家から、少し離れていて、他の家よりは小奇麗に見える家を通りかかったので、われわれは立ち止まり、戸口のところへ行った。たちまち中にいた者はみな、奥へ逃げ込み、一人の老女だけが障子を閉めようとして、残っていた。だが、われわれがこの家に着くまでに、閉めることが出来ず、中途でやめて、やはり逃げ込んでしまった。もうほとんど夕方だった。

 屋根の下で一夜の宿を借りられるかどうかは、好印象を与えるかどうかによる、ということがわかった。そこで、その子供に荷物をおろすようにいって、心付けをやった。これは彼を驚かせたばかりでなく、当分の間村中で、一番の人気者となったし、また一番好ましいわれわれの道連れとなった。彼が一分銀をもらうと、居合わせた子供がヨーロッパの子供と同様に、みんな彼の周りに集ったのを見て、われわれは、ほほ笑んだ。この少年は大喜びで笑った。そして六回われわれにお辞儀をして、礼をいった。そのうえ、彼はわれわれの番をしていて、頼まれた以上に、多くの仕事をしようとしているように見えた。・・・
 しかし家の外でわれわれは即座に人気者になったが、家の中の人にはそうはゆかなかった。・・・・
 それで、繰返し家人に声をかけた。それでも誰も出て来ないので、われわれは静かに食物の包みを開いて、腹ごしらえを始めた。これは、家の者には、我慢出来ないような好奇心をそそったに違いない。・・・・

 とうとう最後にこの老婆の娘であり、子供達の母親であるとわかる中年の婦人が入って来て、恐れるふうもなく、自然な態度で、われわれに近づいて来た。彼女は膝をつき、日本人の普通のやり方で、頭を地面に下げて、挨拶した。そして、『自分と夫は留守にしていたが、あなた方が来たことを聞いて、急いで家に戻って来た、夫もすぐに戻るだろう』といった。・・・

 食事が終る頃までにはすっかり暗くなった。家の戸締りが終ると、われわれは出来るだけ愛想よくしよう、とつとめた。仲間の一人は紙を折りまげて、いろいろな物の形を作るのが上手だった。これは日本人の間でもお気に入りの遊びだったが、彼は家族の誰よりも倍も多く折ることができた。・・・そこで『夫が夜分に戻って来た』時には、その主人がわれわれに話したとおり、始めて異国人に会ったのであるが、家族がまるでずっと前から親密であったかのように、家の者と楽しげに畳の上に坐っているのを、主人は見たのである。・・・
 われわれの決心を見て取って、主人はそれ以上に頑張ろうとはしなかった。しかし村役人のところへ使いを出したに相違なかった。・・・・

 われわれは弁当の中に、ビールを二、三本、ブランディを一本、二本の発泡モーゼル酒を持って来ていた。このモーゼル酒は、日本人が発泡酒が好きだということを知っていて、必要な時には、日本人の機嫌を取り結ぶために用意していた。そして役人がやっきになってわれわれを尋問して、役人と『同行しなければならない』といっている時に、かの冷静な仲間は、静かにその場を離れ、飲物の入っている箱を開いて、外から見えるようにし、それからモーゼル酒を取り出して、茶碗を所望した・・・・
 役人は栓の音を聞きつけ、何か楽しそうなことが始まろうとしているのを見ると、彼らは他の二人から向きを変えて、畳の上にいる人々方に近づいて来た。当然の礼儀として、わが仲間は異国の酒を彼らに提供することとなった。・・・彼らはすっかり酒がまわって、面倒なことをみな解消してしまった。・・・・
 とうとう別れの時間が来ると、主人は、気持ちのよい蒲団、すなわち寝具(一種の大きな化粧着で、毛が厚く入っていた)を、きれいな畳の上に、みなのために、敷いてある、と知らせた。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本
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