ここでは、リンドバーグがルーズベルトの政策に反対していたために、開戦後も、リンドバーグの真摯な戦争貢献の姿勢がことごとくホワイト・ハウスによって封じられていたことを訴えています。開戦までは自由に意見を述べるのが民主主義であり、いざ開戦となったら、祖国のために戦いたいというのがリンドバーグの姿勢でした。ルーズベルトが執念深いといったのは、こういうことでしょう。
そして、この戦争は結局ソヴィエトの勝利となり、ソヴィエト支配下のヨーロッパは、ドイツ支配下になるよりも更に惨めな状態になると見抜いています。
チャールズ・リンドバーグ著「孤高の鷲」下から引用します。
引用開始
【1942年】
2月25日水曜日
・・・・この戦争に参加しようとして試みる自分のあらゆる努力がことごとく封じられるのではないかといぶかり始める。
自分は常に、祖国の最高利益になると考えたことのために戦ってきた。そして、祖国が戦いに入った今、自分なりの貢献をしたいと願っているのである。たとえ戦争がどのような愚挙であり、破滅的なものかと証明されるようになったとしても、だ。・・・・
自分は常に信じて来た。アメリカ市民ならば、平時には自分の意見を述べ、戦時には戦う権利と義務があると。しかしながら、ルーズベルト政権はそのように考えていないように思われる。
3月2日月曜日
・・・一方われわれがドイツを叩くのに成功しているのであれば、われわれは自動的にソヴィエトの勝利を作り出すことになる。ソヴィエト支配下のヨーロッパはドイツ支配下のヨーロッパより遥かに悪いことになるだろうと思う。
イギリスもアメリカも、勝利を収めた場合には結局、敗北したことになる戦争にまんまと引き込まれたのだ。もしわれわれが勝利を得れば、参戦反対の人々がもたらしたよりなおいっそう悪い情況を生み出す羽目になるであろう。
3月21日土曜日
デトロイトのハリー・ベネットから電話あり。ヘンリー・フォードが、爆撃機製造工場で助力を受けたいので話し合いたいという。
3月24日火曜日
・・・・ 爆撃機製造工場を出ると、車でルージュの自動車工場へ。途中、フォードとソレンセンは私にデトロイトへ来て同社の航空計画を手伝ってくれないかと訊く。大いにそうしたいのだが、あなた方にも自分にとっても、最終的な決定を下す前に陸軍省の了解を取った方がよいのではないかと答える。
フォードは最初、その件で陸軍省に相談することを反対した。しかし、将来とも陸軍とは大いに接触を保たねばならないし、滑り出しがよければ後々まで何かと好都合だと念を押す。フォードも結局、同意してくれた。
自分の工場で思った通りのことをやるのにいちいち他人に断わらねばならないのは心外なのだ(実をいえば、民間会社と関係を持つのにいちいち政府の許可を求めねばならないのは自分にとっても心外なのだ。これではソヴィエト・ロシアとそっくりではないか!)。
3月26日木曜日
二時十五分にロベット次官補と会う約束になっていたので、歩いて軍需ビルへ。フォードと関係を持つのは実に素晴らしいアイディアだと思うと言う!
ロベットはすこぶる友好的で、愛想がよかった。航空業界への復帰を妨げる障害は、陸軍省にすべての責任があったのではないという確信を得るに至った。妨害工作はもっぱらホワイト・ハウスからのようである(国内の混乱と国外の軍事的失態で、ルーズベルトの復讐心は減ずるどころか、どうやらいま少し芸が細かくなったようだ)。・・・・
3月30日月曜日
インドが今こそイギリスに協力すれば「戦争後」自治権を与えると提案される。
5月20日水曜日
・・・・・クリ―ア大佐はバターン半島の激戦、コレヒドールの爆撃を大いに体験した俊敏で、見識ある精神の持ち主だ。・・・・
クリ―ア大佐の話によればニ、三機の零戦が兵舎を狙ってまっしぐらに降下したそうである。第一日目の空襲で、われわれは大半の軍用機を失い、多数のパイロットを殺された。日本軍は米袋の中に通信文を入れて投下した。明日、病院に隣接する放送局(発電所?)を爆撃するので、病院を引き払うようにと勧告してあった。患者は連れ出され、放送局は爆撃を受けた。勿論、本国の新聞に掲載された病院爆撃の記事で、警告文の投下が抜けていたことは断るまでもない。少なくとも自分の読んだ新聞記事には、そのような話はかけらも出ていなかった。・・・・・
6月8日月曜日
日本艦隊、甚大な損害を受けてミッドウェー海域から撤退中と伝えられる。中国本土の日本軍、前進を遂ぐ。・・・・
6月11日木曜日
ニミッツ提督はミッドウェーの日本艦隊が三十隻以上の艦艇から成り、「おそらくその半数」が撃沈乃至大破されたと言明す。・・・・
8月6日木曜日
インド国民会議派、イギリスが即時独立を与えない限り、不服従運動をもって抵抗すると脅かす。・・・・
8月9日日曜日
イギリス、ガンジーら国民会議派の指導者を逮捕する。ロシアでドイツ軍の進撃が続く。ワシントンで親ナチの破壊工作者六名が処刑される。
11月18日以後、この日記は一年以上中断され、1943年12月から再開されている。(ただ、この本には12月14日と31日のみ掲載)
この間、リンドバーグ大佐はフォード・モーター社での活動に加えて、ユナイテッド・エアクラフト社との間にコンサルタントとしての関係を持つに至る。・・・・
【1944年】
7月21日金曜日
今朝、ビアク島の断崖にたてこもる日本軍の強力な拠点に再度の攻撃を加えることになった。数百の日本兵が幅三百ヤード、全長千百ヤードの地域にわたり、洞窟や岩の割れ目に身を潜めているのである。・・・・
もう何週間も、二百五十名から七百名の間と推定されるいわばひと握りの日本軍は圧倒的な強敵に対して、また充分に補給された火器が撃てる限りの猛砲撃にも、その拠点を死守し続けてきたのだ。
仮に攻守ところを変えて、わが方の部隊がかくも勇敢に立派に拠点を死守したのであれば、この防衛戦はわが国の歴史上、不撓不屈と勇気と犠牲的精神との最も栄光ある実例の一つとして記録されたに相違ない。が、安全でかなり贅沢な将校クラブに坐しながら、これらの日本軍を「黄色いやつばら」と表現するアメリカ軍将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、むごたらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えは全くない。
自分が最も気にしているのは、わが将兵の側にある殺戮の欲望ではない。それは戦争に固有なものである。問題は敵の尊敬に値する特質にさえ敬意を払う心を欠いていることだ―――勇気、艱難、死、信念に殉ずる覚悟、卓越した訓練と装備にもかかわらず次々と殲滅されて行く部隊等に対し敬意を払う心が全くない。
われわれには勇敢な行為であっても、彼らがそれを示すと狂信的な行為ということになる。われわれは声を限りに彼らの残虐行為をいちいち数え立てるが、その一方では自らの残虐行為を包み隠し、ただ単なる報復措置として大目に見ようとする。・・・・
飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとはしない、なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかなのだから。・・・・
引用終わり
リンドバーグが見たアメリカ兵は、日本兵の投降を許さず、手を上げて出てきても射殺してしまう現実を見、何故日本兵が勝ち目のない戦いを最後の一兵までするのかを暗に示しています。
よくいわれるように戦陣訓のためなどとは全く違う現実が分かります。
2006年09月25日
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>ソヴィエト支配下のヨーロッパはドイツ支配下のヨーロッパより遥かに悪いことになるだろうと思う。
う〜ん…。考え込んでしまいました。
>ニ、三機の零戦が兵舎を狙ってまっしぐらに降下したそうである。
戦闘機である零戦が、このような攻撃を行うでしょうか。クラーク大佐は爆撃機と見間違えたのでしょうか?
>リンドバーグが見たアメリカ兵は、日本兵の投降を許さず、手を上げて出てきても射殺してしまう
ああ…。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。
それどころではなかったんですね。
>彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、むごたらしく皆殺しにすることなのだ。
>われわれには勇敢な行為であっても、彼らがそれを示すと狂信的な行為ということになる
それにしても何度見ても腹が立つと同時に、米国人のリンドバーグさえ現場で敬意を表した英霊を鞭打ち、慰霊をぶち壊しにする連中、米国の蛮行は見て見ぬ振りをして、「日本=悪」の方程式ばかりを突き詰めていく偏向した連中を憎らしく思ってきます。
リンドバーグは、アメリカの将校が「部下が捕虜を取りたがらないんだ」、などと言ってる言葉も聞いているようです。戦陣訓のために最後の一兵まで戦ったなどと言うのは嘘ですね。
おしょう様
リンドバーグはもともとドイツ人が90%のダンチヒをドイツに返還すればいいと言う考えだったようで、英国がアメリカの圧力でポーランドを支援するなどと言い出したため、ポーランドもドイツの提案を拒否したことから大戦が起こってしまったという考えです。
何某様
リンドバーグは全くルーズベルトを信用していなかったことがよく分かります。彼はアメリカが欧州の戦争に介入することに全く意味を感じていなかった、米国大多数の不介入主義者でした。戦争推進派は不介入主義のことを悪意を込めて「孤立主義」と言ってましたね。
ケイ様
アメリカにも勝てば官軍(マイト イズ ライト)と言う言葉がありますが、まさしくその通りのことをしてくれました。
朝日も、もう国民の平均レベル以下になっているようですね。程度の低い記者が、少し賢く見せるために反日的なことしか書けないのでしょう。