今回の引用本はフィリピン人、ダニエル・H・ディソン氏著の「フィリピン少年が見たカミカゼ」からです。
氏は1930年生まれで、少年時代に日本軍将兵と出会い、戦後特攻隊と日本の歴史研究に没頭。1974年に特攻隊が初めて発進した地、マバラカットにその記念碑を建立。自宅に開設した「カミカゼ博物館」で地元の子供達に特攻隊の精神と意義を説いているという方です。
写真はディソン氏宅の一角に設けられた「カミカゼ博物館」。中央五つの絵はディソン氏による特攻隊の先陣、敷島隊五名の肖像

引用開始
戦時中、日本軍とは侵略者であり、フィリピンを支配し、自分達の欲しいものを持っていくだけの国と教えられていました。
しかし私には、日本がただ単に、人殺しをするためや、他国を侵略するため、日本が統治する領土を拡大するためだけに、戦争を始めたとは思えませんでした。
そこで、それにはもっと深い意味があったのではないかと考え、日本が何故戦争に突入していったのかについて何年もかけて調べていきました。そして一つの結論に至りました。
それは、欲深い白人達のせいだった、ということです。白人達というのは、正にアジアに対してテロ行為を行ったのでした。
白人達が侵入してくる以前のアジアはとても平和な世界でした。当時すでにアジアの国同士の交流がありました。
17世紀には、日本人はルソン島に大挙して来ていたし、マニラでも当時は戦争中とは違って友好的な交流をしていました。
タイも、スペインがやってくる前にマニラと貿易関係がありました。また、カンボジアや中国もそうでした。これらは、皆とても平和な共存共栄関係でした。
ところがそこに白人がやってくると事態は一変し、全ては混乱状態に陥り、破壊されていきました。
そして、アジアの国々は互いに敵同士になってしまったのでした。
白人の欲望にはきりがありませんでした。彼らはすでにあらゆるものを手にしていたにも拘わらず、より多くのものを欲し、決して満足することはないようでした。
アジアの国々は皆、白人の侵略に対して身を守るようになり、日本もそうだったということです。
これが、日本が戦争を始めざるを得なかった原因です。つまり、それは攻撃的で侵略的な目的のものだったのではなく、自己防衛的な目的のものだったのです。
日本がフィリピンを占領して行ったこと、というのは戦争の表面的な議論です。そのようなことが行われた裏には、もっと根の深い理由があったのです。
私達はそのことをもっと重要なこととして議論しなければいけません。そうすることによって、表面的に行われたことのために、心を痛めることはなくなるでしょう。それらのこと全ての根本には、白人の欲深さがあるのです。・・・・
アメリカやヨーロッパは、それぞれ世界の各地に勢力圏を持ち、そこで自国の製品を売り、原料を調達していました。このようにして、これらの国々は力を付けてきたのです。そのことに気付いた日本は、自分達も同じようにして力を付けていかなければいけないと考えました。それが出来ないということは、欧米の列強によって植民地化されることを意味していました。・・・・
当時中国を支配していたのは清の西太后でした。しかし、すでに中国は様々な白人の国によって実質的に分割され蹂躙されていました。・・・
白人達は、自分達に伍するような力を日本が持つことを望まなかったのです。彼らは西太后に対して、もし日本にも経済圏を与えるならば、宮殿での豪奢な生活の保障はもうしないとしたのでした。・・・
またその後の中国の指導者達も日本との問題を解決しませんでした。
中国の父と言われる孫文が1911年に中国の臨時大総統になった時に、この問題を解決すべきでした。孫文自身も日本で様々な活動をし、日本の哲学や指導力に頼っていたこともあるではないですか。しかし、孫文も解決しようとはしませんでした。
そのために日本は他の場所を探さなければなりませんでした。それが、日本が生き残っていくための唯一の道だったのです。
当時、白人達に侵略されていなかったのは日本ぐらいなものという状況で、中国が侵略されているならば、次は日本の番でした。
そんな中で、日本が自衛のために行動することを一体誰が非難出来るのでしょうか。
日本がフィリピンを占領する以前は、アメリカがフィリピンを支配し植民地としていましたが、日本とアメリカの立場は全く違うものでした。
1899年にアメリカがフィリピンに侵略したのは、より多くの利益を得ようとする意地汚い欲望以外の何ものでもありませんでした。
アメリカは自国の中に、自分達が必要な資源を全て持っていました。一方、日本には何もなかったのです。
以上のことが、日本が戦争に突入していった理由だったと言えます。・・・・
実際のところ、日本は戦争を始めるように仕向けられたのです。戦争を回避するための平和交渉は全て否定され、日本が生き残るためには戦争以外に手段はありませんでした。
日本は石油の供給を完全に止められていました。生き残るためには、戦争によってマラヤやインドネシアの石油を確保しなければならなかったのです。座して待つだけでは、日本は植民地となっていたでしょう。
しかし、日本は黙って押さえつけられたままではいませんでした。日本人は戦士達だったのです。
引用終わり