2008年03月25日

白人のフィリピン蹂躙

スペイン植民地統治と革命

今日の引用本はフィリピン人、ダニエル・H・ディソン氏著の「フィリピン少年が見たカミカゼ」からです。
氏は1930年生まれで、少年時代に日本軍将兵と出会い、戦後特攻隊と日本の歴史研究に没頭。1974年に特攻隊が初めて発進した地、マバラカットにその記念碑を建立。自宅に開設した「カミカゼ博物館」で地元の子供達に特攻隊の精神と意義を説いているという方です。
写真は2006年10月25日新しいカミカゼ記念碑とカミカゼ飛行士像の前で行われた慰霊祭
kamikaze01.jpg

コラムから引用します。
16世紀半ば、フィリピン全土の人口は60万人程度で国家という意識もまだ発達していない状態だった。そこにスペインが侵略し、マニラを拠点にして各地を次々と武力によって制圧。さらにキリスト教の布教を行い、植民地体制を確立。以後300年以上もフィリピンを支配した。
マニラとメキシコ間を船で往復する「ガレオン貿易」が始まり、資本家たちは莫大な利益を上げ、19世紀初頭まで続いた。しかしフィリピンはこの貿易の通過地点に過ぎず、支配者達はフィリピンの発展には目もくれず、近代化の基礎となる家内工業などの発展は全く見られなかった。

植民地支配の柱である教会は、広大な土地を所有し、聖俗両者において絶対的な力をふるった。
フィリピン人は負担しきれない税を課せられて奴隷化し、さらに、強制労働に駆り出された。このため、かつては肥沃で作物が豊富だったフィリピンで飢餓が生じるようになった。このような中で16世紀末から抵抗運動が起るようになり、19世紀末までに反乱の数は100回以上もあったと言われるが、多くは10日以内に鎮圧されている。
18世紀後半から、たばこなどの輸出が増加し、中国系メスティーソ(混血)が中産階級として台頭、そこから民族主義に目覚める者が出てきた。
1880年代終わりに民族主義的運動が起り、1892年に革命集団「カティプナン」が成立、1896年8月に最初の革命の蜂起が起り、各地でスペイン軍と衝突。スペインは本国の力が衰えていたこともあり、フィリピン側と和平交渉を持ち、その結果スペイン側が賠償金を支払い、革命の指導者アギナルドは国外追放となった。
そこにキューバを巡ってスペインと戦争中のアメリカが、フィリピンを狙い、革命軍に協力すると持ちかけた。アギナルドは米艦に乗って帰還、1898年6月12日に独立宣言を行った。
しかし同年8月にアメリカがマニラを占領した際、革命軍はマニラから閉め出された。



アメリカとスペインの間で裏取引が進められていたのであり、アメリカはスペインに2000万ドル支払い、フィリピンを領有した。

アメリカの同化政策
 マニラから閉め出されたフィリピン人のアギナルド率いる革命軍は1899年2月にアメリカ軍と衝突し米比戦争が勃発。アギナルドは日本に援助を仰いだ。それを受けて有志の義勇軍が出発、武器弾薬は布引丸に乗せたが、途中台風に遭って沈み、革命も潰えてしまった。
 1901年3月アギナルドが逮捕され、7月にアメリカは軍政を廃止し植民地政治を始めた。この時まで軍政長官だったのがアーサー・マッカーサーで、ダグラス・マッカーサーの父である。
 スペインが教会で植民地支配をしていったのに対し、アメリカは教育を用いて支配していった。
 独立運動のくすぶりは徹底的に弾圧し、拷問・虐殺によって消し尽していく反面、「友愛的同化」政策を掲げて、フィリピン人に英語によるアメリカ式教育を徹底していった。これにより、アメリカ精神を吹き込んでアメリカ化を進め、親米感情を植え付けていった。また、フィリピン議会を発足させ、間接的な支配体制を作っていった。

 1916年には独立の基礎となるフィリピン自治法であるジョーンズ法がアメリカで成立した。
 この後、英語が公的に使われるようになり、人々はアメリカにあこがれ、まさにフィリピン人はアメリカ文化に急激に同化していった。
 しかしジョーンズ法成立後、15年以上もアメリカは独立の明確な時期などを示さずにいた。
 40数年に亘るアメリカ時代の経済は、アメリカが要求するものを作りアメリカに輸出して行くという完全な依存体制で、この時代もフィリピンの経済・産業の発展はなかった。
 1930年代、大農園では換金産物を大量生産し営利主義的経営を進め、それが小作人達を圧迫していった。一方、アメリカにとってフィリピンは安い労働力や農産物の流入で厄介な存在となった。これを背景にして、フィリピン独立は自治政府成立後10年という時期がようやく示された。
 フィリピンは日本の敗戦後の1946年7月4日にアメリカから独立するが、その内情は、アメリカ市場に依存し植民地的支配構造を温存するもので、独立とは名ばかりのものだった。
 その弊害は現在も続き、フィリピンは公的場面や学校での英語使用から抜けきれず、また、自国の歴史もアメリカ史観に偏っている。

引用終わり
posted by 小楠 at 07:04| Comment(4) | TrackBack(1) | 書棚から真実を
この記事へのコメント
初めまして。
時折拝見させて頂いており、大変勉強になります。

>フィリピン人に英語によるアメリカ式教育を徹底していった。これにより、アメリカ精神を吹き込んでアメリカ化を進め、親米感情を植え付けていった。また、フィリピン議会を発足させ、間接的な支配体制を作っていった。

 まさしく、今の日本もアメリカの教育方針に則っているという感がします。
 目標があるならいざ知らず、ただカッコいい(と思ってる)からと、小学校から英語を教え、反面、国語はを十分に教えていません。

 このような政策は、アメリカが昔から行っていたのだと知り、納得しました。
Posted by 靖国の小石 at 2008年03月25日 09:29
靖国の小石様
コメント有難うございます。
>>小学校から英語を教え、反面、国語は>>を十分に教えていません。
仰る通り、国語力や日本の伝統文化の知識、理解がないと、いくら英語が達者でも、日本のことを説明できないし、そんな人間は海外ではそれなりの人物として見られないということらしいですね。


Posted by 小楠 at 2008年03月25日 12:38
うっせー!もう終わった事ですから!
でよいよ!もう!お金ほしいだけでしょ。
日本での汚いフィリピンパブ等のお陰で
日本人は世界の笑い者なんですねー!
フィリピン人にもほんとは馬鹿に
されてるなんてね。日本がフィリピン人
差別するようにフィリピンにいる日本人
男性差別されてますよフィリピン人に。
それで日本全体を世界に馬鹿だとフィリピン人
伝えてます。
Posted by フィリピン人て最悪 at 2008年04月14日 00:02
日本のフィリピン馬鹿社会のお陰で関係ない日本人が海外行くとそこで汚い目で馬鹿にされたりして迷惑です
Posted by はああ at 2008年04月14日 00:04
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