2008年03月22日

ある兵士の支那事変24

瀕死の耳に聞かす母の手紙

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は戦死直前の戦友に、その母からの手紙を読んでやる様子と海軍機の活躍の様子です。
写真は前線部隊に食糧を投下する空軍の活躍ぶり
seiya24.jpg

引用開始
 廣斎を出て間もなく山の下に大きな河が流れていて、不思議とここは氾濫しない砂原があった。山腹には例によって頑強な敵の掩蓋機銃座が列んで火を吐きつづけている。海軍機が四機飛んで来て山の敵陣に猛烈な爆撃を加えていた。海軍機はウーンと翼を振るわすように呻ると、山をめがけて急転直下に落下、ヒヤリと私たちが肝をひやす瞬間、ヒラリと機首をあげて爆弾を叩きつけざま再び呻って空に直線を描きながら上がって行った。一機急降下するとつづいてまた一機が急降下する。繰返し繰返し山腹に這う蛇でも見付けた鷹のように鋭く落下しては爆弾を叩き込んだ。その度に噴きあがる黒煙にまじって掩蓋の鉄材や木や岩や、そして重機や敵兵やが目の前で空高く舞い上る。外間伍長が倒れ、藤本伍長が血を吐き、山口上等兵が呻き、次々と砂原を戦友の血に染めさせたこの敵陣が、いま目前で木端微塵に噴き上る――私たちは涙も出したい気持で、「有難う有難う」と空を見て叫び、地を叩き踊るのであった。

 外間伍長も藤本伍長も頭を真赤に染めて一言の言葉もなく倒れてしまったが、山口上等兵は腹に大きな穴をあけて、「お母さん、リスがいるリスがいる、お母さん」と叫んで砂原の上へ転がって青い空を見上げていた。私たちが炎熱に喘いで急進撃するこの大別山麓には、何処の部落にも樹の上をスルスルと走って一っぱいリスがいた。山口上等兵はこの敵の逆襲かと間違わせるリスのガサゴソした動きを、急行軍の辛さの中にも網膜に焼きつかせていたのだろうか。それとも山口上等兵の故郷にはリスがこのように沢山いたのだろうか・・・「お母さん、リスがいる」という叫びは、何か私たちに忘れていたものを呼び起させた。
 廣斎の近くで私たちは久方振りに内地からの便りを貰っていた。山口上等兵の血にまみれた上衣のポケットには手紙が二通入っている。私たちはこれを大声で山口上等兵に読んでやる。
「山口、お母さんからの手紙だよ。・・・畑の茄子に花が付いたのはお前様にこの前に御報せしましたかしら。いま畑に茄子が一ぱい出来て居りますよ。茄子はちぎって町へ出しましょう。一本杉の伯父様が毎朝籠に積んで町へせっせと出して下さいます。善吉が戦地へ行ってからはお前もかえって人手がふえたろと伯父様が笑われますよ。だからお母さんはちっとも不自由をしてはいません。ただお前様が一生懸命に、お国のために働いてくれさえしたら、もうそれでお母さんは何も心配することはありません。お前様がこの茄子さえ喰えずに戦地で働いている、とそうお母さんは考えては毎朝大きな茄子をちぎって居ります。お前様が帰る日はこの茄子に、また花が付くころか実がなるころか―」手紙を読む声はつづかなかった。

「お母さん、リスがいるよ・・・」と、また山口上等兵が叫ぶ。海軍機は隼のように突き降りて爆弾の轟音は砂原を震わせた。木が飛び敵兵が飛ぶ。「山口! みろ、海軍の飛行機がお前の仇を討ってるぞ!」
 すでに山口上等兵は返事をしなかった。冷たくなってもう「お母さん、リスがいる」とも叫ばない。風が山から吹いて来た。
 山にはしっきりなしに狂ったような高射機関銃の音が鳴りわめいていた。私たちを苦しめ抜くこの敵陣を、高射機関銃の雨をくぐって急降下で爆撃してくれる海軍機への感謝と声援は、地上の全部隊を蔽っていた。私たちは海軍機に感謝しつつこの隙にと砂原で飯盒炊事にかかった。すると「オヤ、変だぞ!」と誰かが叫んだ。高射機関銃が狂人のようにわめいている。海軍機が一機、友機を離れてしきりと私たちの頭上を廻っていた。エンジンの音がかすれたように変だ。「ハテな?」と思ううちにピタリとエンジンの響が止った。海軍機は空中滑走をするように旋回して下りて来る。「アッ! 墜ちる墜ちる!」とみんな叫んだ。総立ちになった。私たちを助けてくれたこの海軍機を墜落さすわけには絶対にゆかない。どうしょう――といって、地上では何としても手の出しようがなかった。海軍機は音もなく空に舞って私たちの頭上三百メートルほどの低空へ降りて来る。「この砂原へ降りるつもりだ。みんな砂原をあけてやれ!」と坂本大尉が叫ばれた。私たちはバラバラと岸の方へ走った。しかし、海軍機はもう二百メートルもの低空で、砂原に降りるかのような姿勢をみせたが、炊事をしている私たちの頭上へはどうしても降りる気になれないのか、また機首を向き変えてフラフラと風に吹かれるように河の方へ流れて行く。「ア、駄目だ。ここへ降りろ! 俺たちの一人や二人はいつでも死んでやる。ここへ降りろ! アア墜ちる墜ちる」とみんなが手を振って叫ぶ。すると飛行機の上から真白いハンケチがヒラヒラと振られた。あれが私たちへの訣別だろうか――白いハンケチは花弁が風に震えるようにヒラヒラと振られつづけた。

 やがて、砂原から百五十メートルほど横手の河へ飛行機の機首がサーッと突きささった。ガーンと音がして、傍の大木の枝が三つ折れて遠くへ飛んだ。私たちはそちらへ一斉に駆けつける。翼が二つに折れて、プロペラもエンジンも真ッ二つに、そして脚は何処かへふッ飛んでいる。壊れた飛行機から飛行帽と飛行服を着けた海軍の兵隊が二人ノコノコ這い出して来た。私たちは思わず目を瞠る。「やー御心配かけました」と海軍の兵隊は二人とも笑って挙手の礼をした。・・・・
 やがて友機三機が、消えた一機の安否を気づかってしきりと空を旋回して探しはじめた。「オイ、みんな集れ、いま恩返しをしろ!」と坂本大尉が叫ばれる。私たちは上衣を脱ぎ白いシャツだけで原の上へ列んで『ヒトハブジ――人は無事』と人文字を書いた。これが読めたのかグーッと低く下がって来た友機から頻りと手を振って応えていた。「万歳!」と私たちは叫んで駆け出す。人文字の濁点の場所に列んだ連中が真先に駆け出したため、人文字は濁点を失って『ヒトハブシ――人は武士――』となった。
二十四回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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