2008年03月19日

ある兵士の支那事変22

決死の伝令

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は「弾薬一発もなし、肉弾をもって死守する」との丸尾隊からの伝令に弾薬を運ぶ谷口上等兵の様子です。
写真は敵弾を浴びながら弾薬を運ぶ勇士
seiya22.jpg

引用開始
右側の山をとった丸尾隊は隊長以下負傷するし、前面の歌野隊もまた弾薬がなくなって、ただ肉弾で山を死守している。左方の倉本隊は夜明けとともに山麓の軍用道路に伏せたまま一歩も前進できず、とうとう午後の四時になった。本部には私を除いて伝令は一人もいなくなってしまった。・・・
 やがて○隊本部へ弾薬をとりに行った伝令が、弾薬箱を背負って血まみれになって這い転がって来た。
「もらったか!」「ハイ、小林一等兵、○隊長殿にただいまこれだけ貰って帰りました。終りッ」「有難う、坂本大尉心から礼を云うぞ」そしてみんなが手をとって泣いた。
「谷口!」坂本大尉が呼ばれる。「御苦労だが丸尾隊にこれを届けてくれんか」
 もちろん私が持って行こうと待ちかまえていたものだった。これで丸尾隊も歌野隊も救われるのだ。弾薬を届けてそのまま箱の傍に骸をさらすとも何の思い残すことがあろうか。

「谷口上等兵、弾薬を持って丸尾隊へ連絡に行って参ります」「御苦労、頼むぞ」弾薬は○○発あった。私はその箱を左手で背にかつぐ。右手に銃を持って山を伏せて降りて行った。前方の二段に高くなった山頂へは一切が目鏡に写ってしまう。たちまち機銃弾が飛んで来た。迫撃砲弾も落ちて来る。砲弾は岩をコナゴナにはね上げて、顔や手や咽喉や、肌の服から出た部分はところ嫌わずチクチクと刺した。・・・・
 岩に跳ねた銃弾はブルーンと呻って背の弾薬箱にピシリッとぶつかる。斜めに飛ぶ跳弾が鉄兜をカンカンと打って棒で帽子を殴るような衝撃を与えた。箱の重さも銃の重さもなにもわからなかった。ただこれを届けてよろこぶ戦友の顔がみたい。・・・
 山頂に這い上がると、一切をなすにまかせて寝転がっている戦友の姿が見えた。「誰かッ!」「谷口上等兵!」丸尾少尉も戦友もみんなどこかを血に染めて昼寝でもするように山の上に寝ている。「谷口!」丸尾少尉が走って来られる。戦友が二、三名バタバタと駆けて来る。
「谷口上等兵、ただいま弾薬を持って参りましたッ!」「オ、!」と叫んで丸尾少尉が私の両手をしっかりと握られた。少尉の血が私の手にベットリと付いた。「谷口うれしいぞ! 谷口うれしいぞ!」子供のように叫ばれた。
・・・・
「谷口、これをよーく見てくれ。坂本大尉殿に頼むぞ!」そして丸尾少尉がサメザメと泣かれる。私を囲んだみんなが鼻をすすった。
 どれだけの敵軍かほとんど推知されなかった。敵は更に左斜後方の山にも登って私たちの背後を襲おうとする。友軍の○砲☓砲○○砲らが後方でズラリと放列をしいて、猛烈な射撃を開始し出した。○○砲はたてつづけに敵の掩蓋銃座に命中して、線路や材木を重ねた掩蓋を空高く吹きあげる。生き残った戦友たちが手を打ち涙を流してよろこんだ。

 しかし、射てども射てども敵は次から次へと新手を入れかえて来た。幾十倍の敵かほとんど予測がつかない。左斜後方の山から私たちの背面を衝こうとする敵陣へ、他の部隊が突撃を開始している。私たちの山からこれが手にとるように眺められた。銃剣や軍刀がキラキラ光って、壕の中へ躍り込む姿が豆人形のように見える。敵が壕から飛び出してバラバラと逃げて行く。○○砲がその上へ黒煙をあげている。・・・・
 大関を抜いてさらに桐城へと本道上を急追すると、橋を落された幅百メートルほどの河が行手をさえぎっていた。空は晴れていたが、数日前の降雨のため河は増水して濁流が土手スレスレに渦を巻いている。河の対岸には本道をはさんで左右にひろがる丘陵の上に掩蓋機銃座がズラリとならんで、河から向うへは一歩も私たちを近づけさせまいとした。このままで強行渡河は到底不可能だった。夜を待ってまたもやこの対岸に夜襲が決行されることになった。・・・・

 そーッと小さな水音にも気をくばって河を渡る。弾薬箱を積んだ驢馬が河に入ったとたんに水を首で泡だてて形容し難い声で切々と嘶いた。鳴き声は河を越え、月夜の戦場に私たちの腸をえぐるように響いて行った。
「シマッタ!」と胸をつかれる。「射て!射て!」と誰かが叫ぶ、が、営々として私たちの行軍を助けてきたこの驢馬を、ただ水冷たさ一声ゆえにどうして殺せよう。
・・・・
 正面からの夜襲が失敗したので、私たちは背後へ廻るため敵陣の左端十メートルほどのところを一人づつそーッと這って行った。泥が服にすれる音さえ気にして息を詰めて這うと、頭の上二間ほどのところに敵の最左端の機銃が月の光をうけてチカチカと光っていた。敵は子供と犬が泣いている前方だけ気にして左端すれすれに私たちが這いよっていることを知らない。銃座のある丘陵の左を廻って敵陣五百メートルほどの背後を通り、私たちはグルーッと敵陣を半廻りして本道に出た。本道から二尺ほど横の丘に重機を据える。私たちは本道の土手にピッタリと喰いついて待った。やがて土手から敵銃座へ擲弾筒を続けざまに打ちこんだ。
 チェコ機銃を担いだ敵兵を先頭に本道の上へ敵が駆けてきた。私たちは飛び出そうと焦った。すると坂本大尉が手でこれをじーっと止められる。敵はバタバタバタし私たちの前へ近づいてくる。一尺と離れまい――と思われたとき、突如、坂本大尉の左手がパーッと挙がった。同時に丘の重機がダダダダダと鳴った。約五分間ほどは絶え間もなく次々と唸りつづける。
 ピタリッと重機が鳴りを静めた。立っている敵の影は一つもなかった。ただ呻き声が道路一ぱいに溢れて、累々たる死骸が本道上に二列に月光に照し出されていた。同時に道路右側にひろがった丘陵の敵陣から敵が一斉に逃げ出した。重機が再び鳴る。私たちが躍りかかって行く。月夜の丘陵一ぱいに思う存分の戦いが展開されて、やがて月が消え夜が明けて行った。
二十二回目引用終わり
posted by 小楠 at 09:06| Comment(0) | TrackBack(1) | 書棚の中の支那事変
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