2006年09月17日

現代版「葉隠(はがくれ)」

「葉隠」は、佐賀鍋島藩士・山本常朝(つねとも、1659〜1719年)の七年間にわたる談話を同藩の後輩・田代陣基(1678〜1748年)が筆録し、編集したものです。
 「葉隠」といえば、【聞書第一 教訓】の「武士道というは死ぬ事と見付けたり」を真っ先に思い浮かべられるでしょうが、これは当時の武士の価値観に同化しないと理解できないと思います。何かと批判の対象にされることが多いですが、今の考えでこれを批評することはできないでしょう。
 「葉隠」はこの項以外は、ほとんどが処世術、それも主君に仕える武士としての物の考え方が、日常の出来事などを引用して丁寧に述べられており、およそ「武士道というは死ぬ事と見付けたり」だけから連想するような内容ではありません。
 今回引用する「序章 夜陰の閑談」は、「聞書第一」から「聞書第十一」までの現実的な処世訓の前提となる文章と考えられます。

【序章 夜陰の閑談】より
 この内容を現代に当てはめて記述し直したら、どんなことになるのかと、ふと思いついて試してみることにしました。
「藩」を「日本国」にあてはめて見たものです。

 ≪およそ日本の政治家、官僚であるからには、国学、すなわち日本国の伝統、精神をしっかりと心得ておかなければならない。戦後はこのことがおろそかにされている。
 国学の根本は、まず日本国の成立の歴史を理解し、ご先祖、諸先輩方のご苦労とお慈悲によって、国が長く栄えてきたのだということを、心に刻み込んでおくことにある。
・・・略・・・
 近頃の人々は、このようなことをすっかり忘れはててしまい、他国のことばかりを有難がっているのが我々にはどうにも納得がいかない。
 釈迦、孔子、キリスト、ソクラテスも、たとえどれほど立派であろうとも、日本の建国からの歴史に貢献したことは一度もないのであるから、その教えをそのまま持ってきても、日本の国柄とは合致できない。
 わが国においては、戦時にも平時にも、日本の伝統精神をあがめ、その教えに従うことによって、各人の立場にかかわらず、十分に足りるのである。 さまざまな宗教、学問、技芸にあっては、それぞれの本尊、本家を尊ぶことは当然であろう。しかし日本国民としての生き方の道にあっては国学以外の学問は無用である。国学をよく身につけた上でならば、慰みとして他の道を学ぶのもよいだろうが、よくよく考えてみれば国学だけでは不足ということは何一つとしてないのである。
 いまかりに、他国の人から、日本国の成立、国土の由来などを問われたときに、国学をわきまえぬ者は一言も答えられないであろう。
・・・略・・・
 
 さて、国政に携わる者の本分はといえば、自己の職責を果たすことよりほかにはない。往々、自分の職務を忘れて、他の事業にばかり興味をもつ者がいるが、こうしたことでは本末を見失って、さんざんの失敗をおかすものである。
 ご自分の職責を果たされたお手本は、維新からの明治天皇である。この時代の側近は、みなよくその本分をつくされたものである。
 上からは国のご用に立つものを探し求められ、下からは進んでお役に立とうとし、上下の心が通い合って、国の力は充実したのである。
・・・略・・・
 諸先輩がうちたてられた国を粗末にするようなことがあっては、国民としての責任は果たせない。国が子々孫々まで栄えるようにならなくてはならぬ。
 今日は泰平の世であれば、世間は次第に華美に流れているが、この中にあって武勇の道を心得ず、ぜいたくに染まっていくならば、失敗は多くなり、国民ともに困窮して、国の内外に恥をさらし、ついには国を亡ぼしてしまうであろう。いまや、国中の老人は死んでしまい、若い人々は当世の風ばかりをまねるようになっている。
・・・略・・・
 戦後このかた、多くの政治家や官僚は、先生とかエリートとおだて上げられてしまったので、何の勉強もせず、国学も知らず、自分たちの好き勝手ばかりして、国としての大切な仕事をおろそかにしているので、国内の体制が弱まってしまった。このような時期に、小才のきく連中が、何の心得もないままに、知恵自慢をして新規のことを考え出し、マスコミなどのお気に入りとなってのさばり出て、よろず勝手放題なことをしてしまっている。
・・・略・・・
 日本国政官には気力も才能もいらぬ。一口にいって、国を一人で背負って立つ覚悟をつくればよいのである。同じ人間として、誰が劣るということなどない。すべて修行は大高慢の心がなければ、ものにならない。おのれ一人で国を安泰にするのだとのつもりでかからねば、修行は実を結ばないのである。
 もっとも、このような覚悟というものは、ヤカンのように熱しやすく、さめやすいということがあるものである。これにはさめぬ工夫がある。
・・・略・・・≫

★この項は、全巻の序論にあたります。
 時代が時代だけに、封建的要素は否めないものの、本筋としては今も十分通用し、いや今では失われたような大切な教訓が見出せると思います。
posted by 小楠 at 09:40| Comment(5) | TrackBack(0) | 日本人の独り言
この記事へのコメント
>「武士道というは死ぬ事と見付けたり」
おフランス版『Noblesse oblige』ノーブレス・オブリージュですね、まさに。
17世紀の精神を21世紀の日本に置き換える考証、さすがですね反日Vaccineさん(拍手)。現代にある事は凡そ古人が言い尽くしていたんだと改めて思い知らされます。(今あることは諸子百家に言い尽くされている)。戦後、階級社会を好んで破壊してしまった現代日本人はどんどん軽薄短小になってしまいました。外来物を有り難がり自国の文物を疎かにして挙句の果ては日本の歴史にも蓋をしてしまい亡国の徒になりました。自国の歴史が判らずにどうして他国の歴史が判るんでしょうか? 言われるままに有りもしないことしても居ないことを鵜呑みにした猪口才(小才)が現れ、それに染まる愚衆が現れたのもむべなるかな・・・ですね。
>おのれ一人で国を安泰にするのだとのつもりでかからねば、修行は実を結ばないのである。
・一億平民の日本人にそれを求めるのは至難の業ですがその真似事でも良いから次期総理にやってもらって日本再生の糸口としたいものです。本論が楽しみですね。
Posted by ケイさん語録 at 2006年09月17日 14:42
う〜ん。序論で早くも唸らせてくれますなぁ。つづきを愉しみにしています。
Posted by おしょう at 2006年09月17日 17:20
ケイ様、いつも有難うございます。
>>Noblesse oblige
この社会構造が実現できるには、教育改革が必須ですね。年月はかかると思いますが、絶対に必要なものと考えます。で、本文のほうは「酒席の心得」などのような事項ですので、引用の予定はないのですが、もしいい項があればまた引用してみます。

おしょう様
ケイ様も言われている通り、
「凡そ古人が言い尽くしていたんだと」
思います。
で上にも書きましたが、本文の引用はちょっと考えてみます。
Posted by 小楠 at 2006年09月17日 18:46
再びこんにちわ(/は)。
いまさっきよそ様のBlogにも散々某NHKの悪態をついて来ました。怒りがまだ収まりません。貴Blogに不肖、私のNHK考察をTBさせていただきました。お邪魔だったら切り捨てていただいてもかまいません。悪態をつきすぎたせいか昨日から私の電脳のMS-IMEが暴走しだしました。文字化けしたらお許しください。
Posted by ケイさん語録 at 2006年09月17日 20:01
ケイ様
まだ怒りがおさまりませんか。ってそれを聞いて私もまた腹が立ってきました。
さっきもアメリカのO157のことをやっていたそうですが、中国の食品汚染はやったことがないのでしょうか?
本当に狂った局です。
Posted by 小楠 at 2006年09月17日 20:12
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