2008年03月15日

ある兵士の支那事変19

支那兵宿命の盗癖

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回はノッポの李の盗癖を憐れむ谷口上等兵。
写真は嬉々として行糧を運ぶ捕虜
seiya19.jpg

引用開始
お正月に『ノッポの李』を私たちにあづけて行った衛生隊の隊長がきて、「僕達は明日寧国へ出発する。李を明日までに返してくれ」といってきた。・・・・
「谷口しゃん・・・」李が突然、顔のブクブクした筋肉をピリピリと動かした。「私、あなたと離れてどこへ行きます」
李の顔にポロッと涙が転がった。
大きな掌を真ん丸くして、大きな顔に子供のようにあてた。宿舎の空を友軍の飛行機が幾台か飛んで行く爆音が聞えている。荒木准尉が酒をさげて入ってこられた。
「いよいよ李ともお別れだそうだのう。今晩は李とこの酒でものむといいや」そして李の肩に手をかけて、「李、向うへ行ってもたっしゃで、しっかり働くんだぞ」といわれた。李は濡れた顔を黙って振って合点合点していた。そこへ坂本大尉が訪ねてこられた。荒木准尉は大尉と自分の室へ入ってなにか話していられたが、やがて私を呼んで「ビール一ダース買ってきてくれ」といって五円紙幣を渡された。私は早速ビールを買ってくるとおつりの一円八十銭を荒木准尉の机の上においた。夕方坂本大尉が帰って行かれたので、荒木准尉と私は宿舎の外まで送りにでた。再び室に引き返してみると、悲観しきってしまったのか、李は一人でグーグー寝ていた。しばらくすると荒木准尉が私を呼ばれる。

「谷口、お前さっきのおつりをどこへ入れた?」
「ハッ、この机の上におきました」「机?・・・ない」私たちは眉をひそめて顔を見合わせた。
「さっき坂本大尉殿を送りに行ったとき李はいたかな」
「ハッ、李は室に一人残っていましたが・・・」
ハッと胸を突かれて荒木准尉を見る。准尉はうなづいて黙って大きく溜息された。
「いままでどんなことをさせてもそんなことは決してなかったがなァ、いよいよ別れるというんで、また昔の里心が出たかな・・・」
淋しい声だった。あれだけ教育して手なづけてもやっぱり李は支那兵でしかなかったのだろうか・
・・淋しかった。裏切られたと思った。
「荒木准尉殿! 私が責任をもちます!」
「いや、君が・・・」「いいえ、私が責任をもって李の黒白をつけます!」私はそういい切った。いっているうちに涙がポロポロでてくる―。・・・・


 私が自分の室に入って行くと、『ノッポの李』は自分のベッドの上にグーグー寝ていた。・・・・
 自分は喰うものも喰わず、なんでも半分にして李にはやっていた。李は李で、私の心を十分知って、「谷口しゃんと離れて私どうなります」といって泣いたではないか。それだのにこのざまはなんだ。李だけは完全に善良な人間の本質を洗い出してやったとばかり信じていたのに。三つ子の魂百までとはいうが、李はやっぱり『支那兵』だったのだろうか。
私はいろいろと思い返してみた――蕪湖北方の雪の山岳戦で、李は傷ついた戦友佐々木一等兵を助けようとこれを背にして、集中銃火の中を血まみれになって走り去ったではないか。石キ鎮では、クリークの中へひっくり返った私を溺れさすまいと一生懸命になって私を救いあげた。あのときの李の顔色、私が死ぬかと心配したあの顔色、そして救いあげて安堵したあの子供のような満足した顔・・・
どうしても私には信じられない。李が今更金を盗ろうとは信じられない。私は李の肩を叩いた。李は物に憑かれたように驚いて目を開いた。そして、私を見たが、すぐ視線を外らした。
「李、ちょっと起きてくれ」李は寝台の上に腰を下して、キョトンとして私を見る。私は腰の帯剣を抜いた。壁によせかけてあった銃を取ってこれに帯剣を付けた。突然、李が寝台を飛び降りた。「李! なぜ逃げる?」李は子犬のように寝台の下にもぐって行った。
「李! お前を殺して僕は荒木准尉殿にお詫びしなければならないぞ」
 李は、黙って寝台の下から、私のほうを盗人のようにうかがっていた。
「李、盗人盗人」すると李が突然大きな声を出した。
「盗人没有、盗人没有!」――ちがうちがう――
「嘘だ! お前の持っている金を見せろ!」

 銃剣を寝台の下へ突き込むと、李は慌てていざって寝台の上へ逃げる。上の方へ銃剣を突きつけると、下の方へいざりよる。
「谷口しゃん・・・」李は泣いた。いきなり私の銃剣を握った。そして、両手を血で真赤にしながら寝台の下から出て来た。
「谷口しゃん・・・」日本の五十銭玉三つと十銭玉三つが血に塗られた李の掌に乗っていた。私はいきなり銃を室の中へ捨てて、李の前へペタペタと坐った。

「李、わしは貴様をよう突かん。貴様が泣くよりわしの方が泣けるわい」李はヒーヒーといって泣くし、私も声をあげておいおいと泣いた。裏切られた私が悲しかったし、憐れな李の宿命的なものが悲しかった。
 真剣になって散々いためつけてみたものの、綺麗に白状して泣いて謝ってみられると、また李が可愛かった。
 いよいよ明朝はお別れだ。私は昼の間に酒保から買って来て用意していた煙草一箱と、羊羹十本と、タオルや靴下や、妹が送ってくれて李がいつでも欲しがっていた私のスエーターもくれてやった。まだ李が欲しがっていたものがある。ワラジしかはいていなかった支那兵としては、私たちの軍靴が何よりも欲しいものの一つだった。私はこれも新しいのを下給されたので古いのをくれてやった。それにシャツやズボンも一着づつやる。荒木准尉が泣き声を聞いて入って来られて、「李、二度と二たび盗み心は起こすなよ」といって、盗んだお金のほかにまだ別にお金を渡してやられると、李は大声をあげて泣きわめいた。
十九回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 書棚の中の支那事変
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