2006年09月09日

明治日本見聞録2

英国人家庭教師婦人の見た明治の日本の記録今日も、エセル・ハワード著「明治日本見聞録」からご紹介します。
彼女は当時東京の永田町にあった島津家の屋敷に住み込むことになります。英語ができると紹介されたはずの女中さんも、当初全く言葉が通じないので、がっかりしますが、覚悟を決めて仕事に取り掛かったようです。
引用開始
【公爵と四人の弟たち】
 最初の日、私に渡された書きつけには、私の教え子たちの名前と年齢が次のように書かれていた。
公爵 島津 忠 重 14歳5ヶ月
男爵 島津 富次郎  9歳9ヶ月
男爵 島津 諄之介  8歳5ヶ月
    島津 韶之進  7歳2ヶ月
    島津 陽之助  6歳2ヶ月
 私は最初、子供たちがひどく内股に歩くのが不可解だった。その時は知らなかったのだが、日本の貴族社会での古くさい行儀作法では、内股のほうが行儀よいとされていたのである。
最初のうちは、子供たちにこの癖をやめさせようとする努力で、他の仕事よりも何にも増して疲れ果ててしまった。しかし、他のことと同様、まもなく彼らは躾にすばらしく早く順応するようになった。何分おきかに絶えず「足をもっと開いて」というのが、私の口癖になってしまったので、大変疲れてぼんやりしていたある日のこと、われわれの訪問客であったドイツ大使アルコ・ヴァレー伯爵が、何かの拍子で足を内股にして腰掛けているのを見て、ついうっかりと「足をもっと開いて」といってしまったほどだった。
・・・略・・・
島津家は顧問の選定に関しては、ほんとうに恵まれていた。というのは、日本の重要人物が何人もその中に含まれていたからである。著名な元帥大山公爵をはじめとし、卓越した政治家で、経済界や政界で大きい勢力を持っていた松方(正義、のち公爵、政治家)侯爵、歴史的に武功の名高い西郷(従道、隆盛の弟、元帥)侯爵、世評高い海軍大将樺山(資紀、海軍大将)伯爵、それに皇太子(大正天皇)や弟君たちの御幼少時代の養育係であった海軍大将川村(純義)伯爵、以上五人の人たちが、私の着任当時、子供たちの後見人である叔父を補佐して、顧問に選ばれていたのである。
・・・略・・・
【通 訳】
 東京には津田(梅子)女史によって設立されたすぐれた女学校があったが、女史は非常に利口な愛嬌に富んだ婦人で、偉大な教育者であった。私の通訳の優秀な者は、皆この学校の卒業生であった。これらの通訳を通じて、私は日本の学生の生活の内情を知ることができた。
学校を卒業してからも彼らの目標は、自分自身の向上に向けられていた。稼いだ金は外国語を完全に習得するためか、職業につくための準備教育を受けるに必要な費用にほとんど費やされていた。
・・・略・・・
克己的な生活は娘たちだけに限ったわけではなかったようだ。日本の学生たちの生活はすべて勤勉そのものであり、賞讃や尊敬に値するものが多々あった。
・・・略・・・
【子供たちとの生活】
 自分の仕事が済むと、私はときどき二階へ上がっていって、子供たちの寝顔をのぞき込むのだった。夜はことさらに孤独を感じるので、これは私の寂しさをまぎらせてくれた。
 彼らは髪の毛を短く刈って、私の作ってやったピンクと白のパジャマを着てとてもかわいらしかった。私は自分の腕の中に、かわいい子供を抱きしめたい気持ちに何度もなった。しかし、ここへ来た最初の日から、子供たちにキスをしないという日本の習慣を私は固く守ってきた。
・・・略・・・

 キスのことと言えば、日露戦争当時のある出来事は記録に留めておく価値があるだろう。
 日本の軍司令官の前に、一人の兵隊がロシア人の捕虜の両手を縛って連れてきたので、司令官は驚いていった。「どうして捕虜にそんな扱いをするのだ?」「閣下、彼は私を咬もうとしたのです」というのが答えだった。事の真相は、捕虜がその兵隊からお茶やよい食べ物やたくさんの煙草などをもらったお礼に、侮辱になるとは露知らず、感謝のつもりでキスをしようとしたのだった。
・・・略・・・
 自分の仕事を進捗させたい熱意に燃えて、私は日本語の会話を習う決心をした。そして、手始めに日常使われる「ありがとうございます」という言葉を、私の女中から教わった。
・・・略・・・
 最初の頃の私の会話の試みは、女中の言葉を借りれば「まるで、あぶなっかしい」ものだった。・・・それは彼女が私に、日本人の習慣や意向についてなんらの助言も説明もせずに、日本語を全く言葉どおりに通訳したからである。
 その一例として、陛下の侍従のある夫人が私の家を訪問した際、きわめて礼儀正しく日本の習慣に従って、自分の家および家族やそれに関することを謙遜し、そして、私に関することすべてを賞めそやした。そして、私をお茶に招待してくれたのだが、私の通訳はその招待をこう伝えたのである。
「奥様は貴女に来ていただくように、そして貴女の御光来によって、家が清らかにされることを願っています。彼女の家は大変きたなく、住居は全く荒れ果て、醜い子供たちがいます。どうか貴女が来て、きれいにしてください」。
 これを聞いた時の私の驚きと心配とは、どう表現してよいかわからないほどだった。私は彼女が私を家に招んで、家の掃除を手伝ってもらうように頼んでいるのだと思い込んだ。
 未だサインされていない契約書のことが心に懸かり、仕事がだんだんに増えていきそうな気配があるのに、こんな申し出でを受けて、私はすっかり不安になってしまった。後になって、これが誤解だったとわかって、われわれは大笑いしたものである。
・・・略・・・
 贈り物そのものについていえば、その贈り方はきわめて優美なものであった。私は最初の贈り物を受取ったときのことを覚えているが、それを開けるのがもったいないと思ったほどである。
 それは真っ白な紙で包まれ、とても綺麗な紅白の紐で結わえられ、斜めに折った紙切れが上のほうについていた。その紙切れには、干した魚の妙な小さい切れ端が包んであった。日本文字が上に書かれていたが、私にはそれが私の名前か贈り主の名前かわからなかった。
 贈り物は全部こんなやり方で包装されているので、いくつももらうとそれを解くのはさぞ大変な仕事になるに違いない。しかし、このやり方は贈り主の深い心尽くしを必ずや相手に大変好ましいものとして印象づけるに違いない。
引用終わり。

 全く習慣の異なる日本の家族と同居したエセル・ハワードは、外国人の目で見た日本人との習慣の違いなどを、そのまま書いているので、我々が気づかなかった日本を教えてくれます。
 贈り物に水引をつける習慣も珍しそうに述べています。
posted by 小楠 at 08:08| Comment(3) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
こう言っては女史に失礼かもしれませんが、
実にユーモラスな体験談ですね(笑)

当時の日本人が欧米に旅行して
西洋文化や科学技術に触れて、
失敗をするのにも似た愛嬌さがありますw

異文化体験をユーモラスに描く女史の文章からは愛情が窺えます。
Posted by 何某 at 2006年09月09日 19:48
こんにちは(礼)。

日本史の中でも、とりわけ「中世史」を好んで研究している私は、「ルイス・フロイス」の著書を幾度となく読み返しています。

>外国人の目で見た日本人との習慣の違いなどを、そのまま書いているので、我々が気づかなかった日本を教えてくれます。

本当にその通りで、客観的であるがゆえ、とても参考になりますね。
Posted by おしょう at 2006年09月09日 21:20
何某様
>>女史の文章からは愛情が窺えます。
そうですね、何となく母親のような愛情をもって臨んだようで、楽しい雰囲気が随所に現れています。

おしょう様
日本の中世のご研究をされているのですか。また色々教えて下さい。
>>ルイス・フロイス

ザビエルに影響されて日本の布教に来ましたね、以前に拙ブログでも著書から少し引用しました。
>>客観的であるがゆえ、とても参考になりますね

私もこれを考えて、できるだけ外国人から見た見本評を紹介しょうと心がけています。
Posted by 小楠 at 2006年09月09日 22:18
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