2006年09月08日

明治日本見聞録1

英国人家庭教師婦人の見た明治の日本の記録
エセル・ハワード著「明治日本見聞録」をご紹介します。
 エセル・ハワードは、明治三十四年(1901)から同四十一年(1908)まで七年間にわたって島津家(薩摩)の家庭教師として渡来したイギリス人女性です。明治後半期の我が国上流社会の姿が詳しく描かれています。
 歴史上有名な人々との出会いが、そこに出てくる名前でわかります。
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引用開始
【日本に来て】
 ある朝、私は一通の手紙を受取った。それは私に日本に行って家庭教師をする意思はないかという手紙であった。それまで私が日本に対して抱いていた印象といえば、日本人はいつも笑いを絶やさない陽気な民族で、住む家は地震がくればトランプで作った家のようにすぐ壊れてしまうが、たちまちのうちに建て直されるといった程度の知識しかなかったのだが、しばらくためらった後に、日本へ行く決心をした。
・・・略・・・
 先方の申し出では、私の教育するのはある貴族の息子たちで、両親がなく、その長男は「大名」だとのことであった。・・・略・・・
 日本の貴族中の貴族ともいうべき薩摩の殿様の家庭に住み込んだ最初の外国人女性として、この本を書く資格があるのではないかと思っている。
・・・略・・・
 日本での最初の寄港地は長崎で、そこでは英国領事の温かい歓待を受けた。次の日は神戸に停泊したが、そこで見たものが私の日本での第一印象となった。
 一人の日本人の男を見て、大層気味悪かったのを覚えている。彼は苦力が泥だらけの道で履くような木靴を履いていた。それはスリッパのように爪先を防水紙で覆ってあり、五〜六インチの木片が二つ底に取り付けられていた。そのためそれを履くと大変背が高く見えるのである。この男は普通より背が高かったが、寒い時に着るようなねずみ色の綿入れを着ていた。・・・略・・・男は手を暖めるため着物の中に両手をたくし入れてしまうので、まるで手がないかのように袖がぶらりと下がってしまうのである。その男がわれわれのほうに駆け寄ってきたとき、両袖がぶらぶらと揺れて、どうみても腕なしとしか見えない恰好であった。私は驚きのあまり飛び下り、この国にかつて長く住んでいた同行の船客たちに大笑いされてしまった。
 もう一つの光景は、その後一度も見なかったが、私にとっては一層のショックであった。大勢の子供たちがお寺の境内で赤ん坊を背負って遊んでいたが、それはそんなに珍しいことではない。しかし、女の子の一人が着物の中に小さな犬を入れており、まるで赤ん坊のように背中に背負っていた。そして、頭しか見えなかったので、初め見たとき、私はそれが奇形児だと思って、驚いて真っ青になった。
・・・略・・・

 われわれは、二月十七日早朝横浜に到着した。同行の友人たちが日本で一番美しい山である富士山を見ましょうと誘ってくれたので、甲板へ出てみた。山はすっぽり雪に覆われ、その斜面に朝日が輝くのが見えたとき、なんとすばらしい景色であろうと思った。この時の印象は、おそらく一生忘れられないだろう。
・・・略・・・
 船で御一緒になったサンドイッチ卿はとても親切な方で、私のこれからの生活が寂しいものになるであろうことをよく理解されていた。彼は、その後数ヶ月日本に滞在し、各地を旅行されたが、その間、私に同情と支援とを惜しみなく与えていただいたことに深く感謝している。
・・・略・・・
 (島津家の屋敷の)ドアが開いて最初に迎えてくれたのは、ホワイトヘッド(英国公使館一等書記官)夫人だった。彼女にはベルリンの英国大使館で会ったことがあり、先に亡くなられたビクトリア女王を偲び、喪服を着ておられた。彼女の後ろに一歩下って、これから私の教え子となるかわいい四人の少年たちが並んでいた。
・・・略・・・
 その傍らに14歳ぐらいの若者が立っていた。彼は紺の制服を着て、襟には金色の桜の花びらの徽章が付いていた。これが公爵であって、私が彼と握手を交わした後、式部官の長崎(省吾、のち宮中顧問官)氏が進み出て、その場の紳士たちを紹介してくれた。
・・・略・・・
 私は、家具や食器類がなぜありきたりの物を使っているのか大いに疑問に思っていた。公爵家は裕福だと聞いていたので、経済を節約している様子らしいのがどうも理解できなかった
 後になって本当のことがわかった。それにはちゃんとした理由があったのであり、確かに立派な理由だった。ここに西洋教育を採り入れようとした目的は、その中から可能なかぎり最上のものを学びとろうがためであった。この子たちのような立派な武士の子弟に、贅沢な家がなぜ必要なのか?勇気と剛健を養うためにそんなものが役に立つのか?人格は日常生活における質素と克己によってのみ陶冶されるのである。家具や装飾がなくとも、家さえあれば十分ではないか?これが彼らの考え方なのであった。
・・・略・・・
 私は、この家の長男がいつもどんな扱いを受けているか初めてよくわかった。
 一人の召使いが入って来て、公爵に私が馬車を使ってよいかどうか伺いをたてた。公爵は威厳に満ちた顔で黙ったままであり、彼の椅子の後ろに立っていたお付の人が彼に代わって答えた。後になって重要な事柄はすべて彼の許可を得る必要があることがわかった。
 不思議に思われるかも知れないが、私にはこの若い公爵が普通の14歳の少年のようには感じられなかった。ある点では彼は大人であった。私のような外国人にさえ、彼の権威といったものが微妙に感じられた。彼は私の教え子という立場にあり、私の言いつけはすべてよく守り、厳しい服従も決して辞さなかったが、それにもかかわらず、彼がこの家の主人であることがなんとなく常に感じられた。
引用終わり。

 彼女はこの仕事について、まだ十分な自信がなかったので、契約にサインせず、一か月間様子を見てから決めることにしていました。
 14歳でありながら、自然の振舞いの中に、外国人にも威厳を感じさせるものを持ち合わせていたのには感心させられます。
 幼児からの教育がいかに大切かがよくわかりますね。
 初来日の彼女の目に映った日本と日本人を、感じたままに表現しているので、読んでいて、思わず笑ってしまうことが多い本です。
posted by 小楠 at 07:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
おはようございます。
エントリーと関係のない話題で恐縮ですが,てっく様とはご連絡がつきましたでしょうか?,あちらの掲示板へのご訪問が無いようですので心配をしております。
一応,他のこともあり,てっく様への連絡も入れておきましたので,もしご連絡がついてないようでしたら,暫くお待ちいただけますと幸いです。

お目汚しをしまして申し訳ありませんでした。
Posted by kousotsudr at 2006年09月08日 10:07
kousotsudr様
有難うございます。
先ほどそちらへメールさせて頂きました。
お気遣い申し訳ありません。
Posted by 小楠 at 2006年09月08日 11:12
こんにちは。

>人格は日常生活における質素と克己によってのみ陶冶されるのである。

ちょっと「ドキッ」としますね。今の日本人に、欠けているもののひとつでしょう。

>私にはこの若い公爵が普通の14歳の少年のようには感じられなかった。

幕藩体制のころであれば、ちょうど元服を済ませたころの歳ですね。武士の子息であれば、当然、大人として扱われますものね。

また、遊びにきます(笑)。

Posted by おしょう at 2006年09月08日 16:52
おしょう様
>>武士の子息であれば、当然、大人として扱われますものね。

当時と今を比べれば、平均的な体格は今の方がずっと上でしょうが、今は知育と体育のみで徳育が皆無ですね。
当時は人格に最も大切な徳育が最も重要視されていたのでしょう。人に与える印象もこれで決まるのではないでしょうか。

Posted by 小楠 at 2006年09月08日 17:25
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