2006年09月07日

共産主義黒書アジア編終

 今回はチベットと北朝鮮についての部分を引用します。しかし共産主義者は闘争、戦争、暗殺など、絶えず悲劇を巻き起こす張本人です。最近は北朝鮮の収容所事情などが脱北者によって少しずつ知れるようになっていますね。
「共産主義黒書・アジア編」より引用します。

引用開始
【チベット:世界の屋根でのジェノサイドか?】
 1950〜1951年の中国共産党人民解放軍の到着以来、チベット人が悲劇のうちに生活してきたことは異論の余地がない。しかしその悲劇は、地方によって不可避的に差はあるものの、たいていの場合、高原のこの「遅れた野蛮人」にたいする中国人の、言い換えれば、人民中国の住民総体の軽蔑によって、一層深刻になったといえるのではなかろうか。
 たとえば、反体制派によれば、七万人のチベット人が1959年と1962〜1963年のあいだに飢えで死んだといわれる。七万人といえば人口の2〜3%にあたり、国全体がこうむった損失より、人口比でいうと、むしろ少ない損失であった。とはいえ、ベッカーの最近の研究はこれよりずっと高い数字をあげており、青海省のダライラマが生まれた地区では、死者は住民の50%にまでのぼるという
・・・略・・・
 チベットは文化大革命でも無傷ではすまなかった。1966年7月以降、紅衛兵は、私的な住居を家宅捜索し、仏壇の仏陀を毛沢東の写真に置き換えた。僧侶は度重なる「闘争会」で吊るし上げられ、そこから生きて帰れない者も出るほどだった。
・・・略・・・
 現代チベットの最大の悲劇は、50年代と60年代における数十万にのぼる被拘禁者――合計してチベット人十人に一人にあたるだろう――の悲劇である。調査された166か所の収容所の大部分はチベットと近隣諸省にあるが、そこから生きて出られた人はごくわずか(2%という数字があげられることがある)しかないように思われる。
 1984年にダライラマの亡命政府側は、拘留中の死者の数を173000人と発表した。多くの僧院共同体がまるごと炭鉱に送られた。寒さ、飢餓、酷暑など、拘留条件は全体として恐るべきものだったように思われる。 チベット独立の思想を放棄することを拒否した被拘禁者の処刑については、大躍進期の飢餓の折の囚人同士の人肉食のケースと同じように今も語りぐさになっている。
・・・略・・・
 死者の数から言っても、残虐行為が規則的に繰り返されたことから言っても、ここで起こっているのはジェノサイド的殺戮だと言ってよいだろう。公式の数字によれば、チベット自治区の人口は1953年には280万人だった住民が、1964年には250万人に減少した。亡命者や出生率を考慮すると、80万人にのぼる「過剰な死者」を出したことになるだろうが、この人口損失率はクメール・ルージュのカンボジアを思わせるものがある。
・・・略・・・

【北朝鮮における犯罪、テロル、秘密】
 朝鮮民主主義人民共和国(RPDC)は、1948年9月9日、朝鮮のうち北緯38度線の北にひろがる部分に建国された。1945年8月に米軍とのあいだで調印された協定により、合衆国が同じ38度線以南の南朝鮮を管理するあいだ、ソ連がこの地帯を「暫定的に」管理することを引き受けていたのである。
 じきに北朝鮮は、世界で最も閉鎖的な共産主義国家であることが明らかになった。実際、まもなくソビエト当局は、国際社会のいかなる代表者も北に入るのを禁止したのだった。
 最後に、1950年6月25日に北が起こし、今なお形式的には終了していない朝鮮戦争――なぜなら1953年7月27日、国連軍とのあいだで休戦協定が調印されただけであるから――によって、国家機密におおわれた分野が拡大するとともに、うそと情報の歪曲とプロパガンダの重圧がのしかかることになったのであった。
・・・略・・・

【共産主義国家の成立まで】
 北朝鮮の住民が幼少時代から頭に詰め込まれる聖人伝とはちがって、朝鮮の共産主義は金日成によって創設されたものではない。その誕生はもっと古い。なぜなら1919年にはすでに、ボリシェヴィズムを標榜する二つのグループが存在していたからである。モスクワはそのどちらの分派をもすぐに承認しなかったため、両者間の闘いは容赦ない形態をとった。
・・・略・・・
 次に、日本の敗戦につづいて、国が南北二つの地帯に分断された時点での分派闘争で倒れることになった共産主義者もいる。
 ソ連は、国内で長いあいだ闘ってきた共産主義者を犠牲にして、満洲国境付近の抗日ゲリラ部隊の指揮官にすぎなかった金日成を権力の座に就けた。1945年9月以降平壌では、玄俊赫のように金日成に反対するかなりの数の共産党幹部が暗殺された。
・・・略・・・
 この体制の確立にともなって、少なくとも初期の段階では、流血の事態よりはむしろ、今列挙した社会階層(政治的反対者、すべての地主、農地改革へのすべての反対者、日本と協力した疑いのあるすべての市民)にとどまらず、もっと広く自己の生命と財産を心配の種とするすべての人々が、数十万の規模で南部地帯へ逃亡したのだった。
 国際的な機関、あるいは南部地帯に由来する公式機関にたいし、北はただちに鎖国を実施したが、北から南への移動は1948年までは比較的容易であった。
【武装闘争の犠牲者】
・・・略・・・「南の住民は私と私の軍隊を信頼している」金日成はそう考えていたし、いずれにせよ、そう語ったのは事実だ。 そういうわけで金日成はスターリンに懇願し、スターリンはついに1949年から1950年にかけての冬の終わりに、ゴーサインを出した。1950年6月25日、計画的な侵入作戦が実行され、北朝鮮軍部隊は奇襲的に南を侵略した。これが恐るべき戦争の始まりだった。
 この戦争で、朝鮮の全住民のうちに50万人を超える死者を出すことになる。マッカーサー将軍率いる国連軍部隊によって北朝鮮軍が全面敗北の危機に瀕した時、彼らを援助にやって来た中国人兵士の中で、約40万人の死者と、それをやや超える負傷者が出た。・・・略・・・
 みずからの影響圏を拡大しようとする共産主義者の意図と、これほど明白にその発端が結びついた戦争は稀である。・・・略・・・
 三年間の戦いの後、1953年7月に休戦協定が調印され、両朝鮮のあいだに、ほぼスタートライン、つまり北緯38度線に沿って非武装地帯が設けられたことは知らされている通りだ。
引用終わり。

 北の成立過程も北の国民は全くの嘘を教えられています。共産党が政権を維持するためには、数多くの大嘘が必要です。隠し事をしなければ政権を維持できないところに、共産主義が自らその悪辣さを表明しているようなものです。
「朝鮮民主主義人民共和国」と、つい最近まで報道していたマスゴミ諸君のご感想を拝聴したいものです。
posted by 小楠 at 07:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 共産主義の実態
この記事へのコメント
本当にチベットの方々は、お気の毒でなりません。また、北朝鮮の一般民衆の方々も、同様にお気の毒です。
まったく「共産主義」というやつは、罪つくりな「悪魔の思想」です(怒)。
Posted by おしょう at 2006年09月07日 22:49
おしょう様
>>まったく「共産主義」というやつは、罪つくりな「悪魔の思想」です

共産主義は、政権をとるのも暴力で、とった後も脅迫と暴力なしでは統治できないことが分かりきっていますね。
日本に未だにこのような悪魔の思想を信奉する輩がいることが不思議です。
Posted by 小楠 at 2006年09月08日 07:39
NHKの公共放送資格違反も追及しましょう。
Posted by 溝口 郁夫 at 2006年09月13日 22:02
溝口 郁夫様
コメント有難うございます。
NHKは本当にどうしょうもないですね。
嘘を垂れ流すに至ってはもう公共放送の資格なしですよ。
日本国中でこれが問題になるよう、どんどん追求しましょう。
Posted by 小楠 at 2006年09月13日 22:25
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