2008年03月12日

ある兵士の支那事変16

支那敗残兵の従卒

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は支那敗残兵との戦場交際の様子です。
写真は雪中の猛攻撃
seiya16.jpg

引用開始
 この楽しいお正月は、私たちにもう一つ素晴らしい春の贈り物をもってきた。それは『敗残兵李君』だった。南京から遥々とやって来た衛生隊が、二人の敗残兵をつれてきた。一人は南方人らしい面がまえで丈は小さかった、ピチピチ動いてよく気の利く悧巧ものだったし、他の一人は北方人のように丈は恐ろしく高くて見るからに力のありそうな巨大な体をしていたが、どこを風が吹くというような顔で少しボーッとしていた。・・・・
「大きい方がいいな」というと、衛生隊は「じゃ、この大きいのを一時貸してやろう。君の隊へくれてやるんじゃないぞ、貸してやるんだぞ」と馬鹿に念を押して、この大男を私の隊において行った。大男は名を『李』といって、とって二十三歳、支那の軍隊に三年いたという。背丈は五尺七、八寸もあって、暮れに餅を搗いた大きな石臼を一人で持ち運んだ。アッと部隊の連中は驚いていまさらその大男を眺めかえした。・・・・たちまち『ノッポノッポ』と部隊の人気を集めた。この『ノッポの李』を私の従卒にして、荒木准尉の当番の用を手伝わせた。・・・・
 『ノッポの李』は毎晩私と一緒の室で、おなじ寝台で寝た。私は李に室の隅に机を一つ与えてやった。すると李は、どこから探してきたものか布でフキンを沢山作って、ボロ屑屋の帳場のようにこれを机の上いっぱいに列べたてた。フキンはまだいい、こんどはどこをどう堀りだしてきたものか、卓上電灯やラジオなどいくつも持ち込んできて、これをフキンの間へ古道具屋の店先のように列べて得意である。

 蕪湖の街はたちまち復興して物売りの数は一日一日と増えていった。女や男の子供が、玉子や葱などいっぱい籠に入れてしつこくつきまとう。ベラボウな掛値をいって、葱一束で「拾銭」という。「二つで拾銭」と指二つだしてみせても、首を振ってなかなかまけない。私たちは早速、李に十銭もたせてこれを買いにやる。李は「ウンウン」と合点してすぐ走って行く。しばらくすると真ん丸い顔の大きな鼻をピクピクさせながら葱を五束も六束も抱えてきた。「これで十銭か?」というと、平気な顔で合点いて煙草をスパスパふかしている。
十銭でも金をやったのがめっけもの、李は土民から金をやって物を買ったためしがなかったらしい。私はキャラメル一箱下給されればそれを半分に割って李にやる。煙草は私が少しも喫えないので、全部李にやる。するとしまいには、李は下給品を自分で勝手に半分に割って、フキンでいっぱいの机の上にならべたてた。李はフキンのほかに徴発してきた青や黒の服を沢山持っていた。
「李、それをどうした」ときくと、持っているのが当たり前のような顔をして黙って笑っている。李はなんでも持ってきた。どこをどう探すものか、私たちが知らぬ支那街の秘密でも知っているのか、馬糞と小便壷のほか何もない筈の小屋からも必ず綿入れの一枚、銀の水ギセル一つくらいは探し出してきた。

「李、どこから持ってきたッ」ときめつけても、徴発の水ギセルで早速スパースパーとやってそっぽを向いている。
「コラ! あったところへ返してこい」といって銃剣をとってみせると、なぜおこるのかという風に、真ん丸い頭をひねって不審そうに考えたりする。いくらひねってもこの真ん丸い大きな頭からはなにも出ないらしいが、ともかく銃剣が恐ろしくて、やがて素直に返しに出て行く。李はとても可愛かった。
 正月もすぎると部隊には蕪湖北方山岳地帯への討伐命令がでた。・・・クリークを進んで山の麓までくると、突然、山上からチェコ機銃が鳴って弾が舟の上を流れて行った。私たちは舟から飛び出して土手から山へ向う。雪の土手に伏せると、雪の下にツクシンボウやレンゲ草の小さい芽が頭をもたげようとしているのが目についた。・・・・
李は頭をかかえて舟の中へ縮こまったきり出てこない。・・・・
 山の壕に躍りこむと、チェコ機銃が十挺も転がっていた。壕を出てさらに山を下って行くと、突然、側面の山腹から一斉射撃を受けた。ただ突撃する前面だけに気をとられてまったく予期しなかった側面の敵だった。ハッと伏せる。ころを見てまたパーッと飛び出す。側面の機銃は雪をはねあげて飛び、コナゴナになった雪が煙幕を張ったようだった。五十メートルも走ると「佐々木! 衛生兵、いないかッ!」と叫ぶ声がした。私の横で、たったいままで目で進退を知らせ合って走っていた佐々木一等兵がクタクタと足膝ついている。私は駆けよって見ると、左足の関節のところがはぜて、噴き出す血の中に真白な皿が現れていた。
「ここへ弾が入った入った」といって佐々木一等兵は、左手で関節の皿を引きちぎってとろうとする。「入っちゃいない、弾は抜けたッ!」と私は叫んで佐々木一等兵の左手を後へねじまげた。・・・・入隊以来の永い戦友だ。内地から、そして北の戦線、南の戦線と、ずーっと一緒に闘ってきた残り少ない初めからの戦友の一人だった。・・・・

「李ッ! 李いないかッ!」と私は叫びつづける雪が山腹に渦を巻くようにして降り出してきた。抱いて歩くと雪と弾丸が足をとる。私たちはパタンと雪の上へ転げる。転げたまま抱き合ってじーっと伏せた。
「谷口シャーン谷口シャーン」と呼ぶ声が降りしきる雪の中から聞えた。「李ッ!」と私がよぶ。李は駆けてくるなり私たちの前でペタペタと坐った。「谷口シャーン、恁啊恁啊(あなたかあなたか)」と李が泣くように喘いだ。そして私の体に手を抱くようにかけた。
「射たれたのは僕じゃない、李ッ、お前はこの人を山の下まで連れて行ってくれ」と私がいった。
李は露骨にホッと安堵した顔色をした。だが、やがて、李は肯いて佐々木一等兵を背に負った。馬鹿力のある李は、馬のように岩山を登って行った。これを見付けてチェコが鳴りわめく。李は我武者羅に駆ける。真ん丸い顔が真赤になって、降りかかった雪が鼻の頭でポーッポーッと溶けているのだろう。「佐々木ッ! いつかまた会うぞ!」と私はあとから吹雪の中へ叫んだ。
十六回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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