「共産主義黒書・アジア編」より引用します。

引用開始
【コミンテルン】
レーニンは革命を全世界に及ぼしうるような国際組織をつくるイニシアティヴをとった。共産主義インターナショナル――またの名をコミンテルン、あるいはまた第三インターナショナルとも呼ぶ――は1919年3月モスクワで設立され、ただちに社会主義労働者インターナショナル(1889年に創設された第二インターナショナル)のライバル組織を自任することになった。
・・・略・・・
最初からコミンテルンは、レーニンが国際的な秩序を転覆させる道具のひとつとして構想したものであり――その他の道具には、赤軍、外交、スパイ活動などがあるが――したがってコミンテルンの政治的教説はボリシェヴィキのそれを忠実に下敷きにしたものだった。
・・・略・・・
【中国への浸透】
ヨーロッパにおいてこれら手痛い失敗を嘗めたのち、コミンテルンはスターリンに突き動かされて、新しい戦場を発見することになった。それは中国であり、コミンテルンはその努力を東方に向けることになる。無秩序のただ中にあり、内戦と社会紛争に引き裂かれていたが、巨大な民族主義的飛躍につき動かされたこの大国は、「反帝国主義」革命の機が熟しているように思われた。
・・・略・・・
コミンテルンの責任者たちとソビエト(党)各部局によって、然るべく指導されていた中国共産党は、まだ毛沢東の指導を受けていず、1925,26年には、民族主義党=国民党とそのリーダー、若き蒋介石将軍との緊密な同盟関係へ向っていた。共産党の選んだ戦術は、国民党を包囲して、それを一種の革命のトロイの馬に仕立てあげることにあった。
コミンテルンの密使、ミハイル・ボロジンは、国民党顧問の役割を占めるまでになった。ソ連との協力政策を完全に支持していた国民党左派は、1925年に党指導部を掌握することに成功した。すると、共産主義者はプロパガンダを強化し、社会的興奮状態を促し、その影響力を強めて、国民党第二回大会を支配するまでにいたった。
しかし、やがて彼らの前に障碍が立ち現れた。共産主義者の影響力がたえず拡大することに不安をいだく蒋介石である。正当にも彼は、共産主義者が彼を権力から遠ざけようとしていることを見抜いた。先手をとって、1926年3月12日、蒋は戒厳令を布き、国民党内の共産主義分子と、ソビエト軍事顧問までも逮捕させ――全員数日後には釈放されるが――党内左派の指導者を左遷し、党内での共産主義者の特権と行動を制限するための八項目協定を押しつけた。以後蒋は、押しも押されもせぬ民族主義(国民党)軍隊の指導者となった。新しい力関係を確認して、ボロジンは協定を承認した。
・・・略・・・
【ソビエトのスターリン主義者が見た延安での毛沢東主義者の方法】
党の規律は、批判と自己批判の馬鹿馬鹿しいほど厳格な形式に基いている。だれが批判されるべきか、なぜそうされなければならないのかを決めるのは、細胞責任者である。
一般に毎回一人の共産党員が「攻撃」の対象となる。全員がそれに参加し、誰一人それから身をかわすことはできない。
「被告」には唯ひとつの権利があるだけだ。自分の「誤り」を悔いることである。彼がもしも無実だと考えたり、「悔悛の念を表す」のに生ぬるすぎると、攻撃がまた初めから繰り返される。それはまさしく心理的な調教だ。
(・・・)私は悲劇的な現実であることを理解した。毛沢東が「精神の浄化」と呼ぶ、この残酷な心理的強制方法は、延安の党組織に息詰まるような雰囲気をつくり出していた。少なからぬ数の共産党活動家が自殺したり、逃亡したり、精神病患者になったりした・・・。
整風の方法は「誰もが他人の内面の思想をすべて知るべきだ」という原則に則っている。このように卑しく恥ずべき指令が個々の会議を支配している。最も個人的かつ内面的なすべてのことが、破廉恥にも公の場でさらされ、検討される。批判と自己批判のレッテルのもと、各人の思想、願望、行為が調べあげられるのだ。
・・・略・・・
【安徽省における大躍進の思い出、あるいは、魏京生はいかにして毛沢東主義と決別したか】
・・・・われわれはちょうどその村に沿って歩いていた。
・・・・目の前の雑草のあいだから突然、以前に話を聞いたことのある宴会の一シーンが浮かびあがった。食べるためにお互いの子どもを交換しあう家族たちの情景だ。
自分の子どもととりかえっこした子どもの肉を噛みしめる親たちの苦痛に満ちた顔が、私の脳裏にまざまざと浮かんだ。私には、村の近くの田で蝶々を追いかけている子どもたちが、親にむさぼり食われた子どもの生まれ変わりのように見えた。食われた子どもが不憫でならなかった。しかし、その親の方がなお一層不憫だった。
相手の親たちが泣き悲しむ前で、悪夢の中ですら、味わうことになるなどとは思いも寄らなかったはずのこの肉を飲み込むように強いたのはいったい誰なのか?その時私は、誰がその死刑執行人だったかを理解した。「人類が何世紀もかかって、そして中国が何千年紀もかかって、ただ一人しか生み出さなかったような」死刑執行人とは、毛沢東にほかならない。そうだ、毛沢東とその盲信者たちは、彼らのシステムと彼らの犯罪的政治により、飢えのあまり気が狂った親が、他人の飢えをしのがせるために自分の血肉をわけた子どもを提供するように、そして自分の飢えをしのぐために他の親の血肉をわけた子どもを受け取るようにと強いたのだ。
民主主義を暗殺することにより犯した犯罪の跡を洗い流そうとして、毛沢東は「大躍進」を打ち出し、何千という飢えのため朦朧となった農民に、鍬をふるって昔からの仲間を打ち倒すように、幼なじみの仲間の血と肉のおかげで自分の命を救うように強いたのだ。そうだ、死刑執行人は彼らではない。死刑執行人は間違いなく毛沢東とその一味だ。
引用終わり。
これは毛沢東による人為的な飢餓による影響のことを表しているのでしょう。この当時の内容は、確か「マオ」上下にも詳しく載っていたと思います。
特にアジアは民族共産主義ですから、共産主義国同士で戦争してきた特異な
現象もありますね。
チベットもこの民族共産主義の犠牲に
なっているのでしょう。
>コミンテルンの責任者たちとソビエト(党)各部局によって、然るべく指導されていた中国共産党は、まだ毛沢東の指導を受けていず
えっ!? それは知りませんでした(冷汗)。私はてっきり、毛沢東が農民層の支持を得るため、共産主義思想を利用したと、勘違いしてました。
いやはや、冗談抜きで冷汗です。
コメント有難うございます。
中国共産党については、この本よりも、ユン・チアンの「マオ」上下の方が詳しく書いていました。