2008年03月11日

ある兵士の支那事変15

逃げ場を失った敵大軍

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は南京を後にして蕪湖へ向かう途中に見た支那敗残兵の様子と戦場のお正月です。
写真は皇軍の保護に浴する敗残兵の大群
seiya15.jpg

引用開始
 銃も捨て、帯剣もなく、青や黄色の軍服だけの着の身着のままの敵兵が百人、二百人と、軍靴もなく裸足で次から次へと道を進んできた。この場合「進んで来た」という言葉は当てはまらない。敗戦の打撃と、逃走の焦燥からきた絶望は一切を観念してふてぶてしさにまで変わって、逃げるのでもなく、進むのでもなく、一切の意志を捨てただ浪のまにまに漂う浮草のような動きでしかなかった。
 南京から蕪湖への街道はこの絶望的な敗残兵で一ぱいだった。しかも彼等が戦いの意志を捨てて漂泊するこの街道の左右には、驚くべき堅固な近代的銃座をもった防禦陣地で一ぱいだった。街道の両側、畑の中に掘られた蜿蜒たる塹壕、草をかむったトーチカ、無数に張りめぐらされた鉄条網。
「よくもこの陣地が抜けたもんだなァ!」と自分たちがやったことではないように思われて、いまさらながら驚嘆する。
 この堅固な陣地はいずれも蕪湖方面に向って構築されてあった。

 敵はわれわれの一部が蕪湖方面から南京へ向って進撃するものと考えていたらしい。ところが南京は他の側面を衝かれ、とっくの昔に陥落して、われわれはいま敵の陣地の裏を見ながら蕪湖へと進撃しているのだ。驚嘆すべきこの堅固な陣地は、一発の銃声を放つこともなくして街道の上へ武器を捨て困憊に打ちひしがれた敵兵を追い出す『敗残の陣』となっていた。自分たちが当面したところにしか戦争を感じない私たちは、いまここに大きな総合的な戦争というものの大局の一部を見てとったように思った。・・・
 逃げ場を失った敗残の敵部隊は、限りなく街道につづいていた。私たちもまたこれに一発の銃弾さえ用いる必要はなかった。二百人、三百人と集団をなした敵を素手で捕えてしまう。そして――私たちはハタと当惑したのだ。自分たちでさえ糧食の補給がつかない、蕪湖への進軍だけで手いっぱいだった。それだのにこの千に余る敵敗残部隊をどうして養い、そして処理したらいいのだろうか。私たちに抵抗した南京城内の幾万と知れぬ敵は、一瞬にして南京城内外の骸の山を築いてしまった。それだのにこれは――ハタと当惑したのである。


 クリークは生々しい敵の骸で溢れ、私たちは汚れた手を洗う水さえなくなってしまった。太平に着いて一夜を明かすと、しとしとと雪が降っていた。凍った飯盒の南京米はポロポロポロと玉砂利のようにころがってどうしても咽喉をを通ってゆかなかった。銃は氷よりも冷たく、そして重く霙に濡れて、どんなに銃把にタオルを巻いても手はすぐ凍えて感覚を失ってしまった。手はしびれてもこの銃を取り落してはならない。つい取り落しそうになるのをしっかり握りしめていると、やがてどこまでが銃でどこからが手かわからなくなってしまう。休むのが辛かった。寒風と横なぐりの雪にうたれて休憩するのは堪えられなかった。どこへでもいいから、せめて歩いていたかった。歩けば足が重かった。そして背嚢が肩に喰い込んだ。すでに足にも感覚はない。シャブシャブと雪と氷と水と混じった低地へ入ったり、横たわった材木にしたたか足の爪を打つ。それでも――希望はあった。なにか底の底から烈々と湧き上ってくる希望があった。勝利の希望だろうか。次に来るものへの期待だろうか。いや――おそらく日本の国民全部が持っている、なにかはわからぬが、ほのぼのと押しあがって来るあの希望だった。これが大和魂といわれるものだろうか、私たちは言葉は知らない・・・が、この希望のようなものは「エイ! エイ!」と腹の底の方で私たちを叫ばせ、「畜生、畜生!」と歯を喰いしばらせて、与えられた当面の任務を遂行させてゆく。・・・

 宿舎に入ると、もう正月が来る戦地で、正月の用意をしなければならない。命令が出た。
「○隊は餅米を見つけて来い。×隊は石臼を見つけて来いッ」
お正月がくる! まったく忘れていたものが目の前へ突然に飛び出してきたようなものだった。もちろんお正月を忘れていたのではない。季節についてはみんな毎日毎日「いまごろ故郷では・・・」と日にちを繰っては不思議なほど敏感だった。しかし、ただその季節の行事が、この戦場でも行われる――ということについては、なんら考えてもみなかったのだ。唐突として目前に故郷の行事が甦った。「自分たちにもお正月が来る――」とみんないまさら思いなおした気持だった。・・・・

 餅つきがはじまった。今日は十二月三十日。ペタンペタンと向う鉢巻の石原上等兵の指揮下に威勢のいい杵の音が銃剣の間から聞えて、街へと伝わって行った。その街々には住民たちが大半帰って来ている。リンゴや葱など抱えた物売りの子供たちが兵隊にしつこくつきまとっていた。私たちは子供のようにうれしかった。正月が来る、お正月が来る! 幾年間か忘れていたあの少年時代のうれしさが、この戦場に来てはじめてゾクゾクと体の中に甦ってきたのだった。
「オイ、コラコラ、まだ手を触れちゃいかんぞ」と向う鉢巻の石原の兄さんが、元気のいい声で、でき上った餅に触れたがる戦友たちに、子供を叱る親父さんのように怒鳴っている。その湯気の立ちそうな餅は、もち米が足らないので普通の米が沢山入っていて、ブツブツが一ぱいあったが、それでも立派に鏡餅の形をして、指で押すと靨(えくぼ)のように穴が引っ込んだりした。
 夜が明けて正月がきた。きのう搗かれた小さな鏡餅は部隊全部に配られて、室々の銃の前に一つずつ飾られた。するとまた内地からの切餅とリンゴが送られてきて、一人に切餅二つ、リンゴが一つずつあてがわれた。敵がいることなどはみんなが忘れてしまっていた。・・・
 晴れの石原上等兵が高々とラッパ『君が代』を吹き鳴らす、捧げる銃にも陽は映えて銃剣が頭上でキラキラと光った。「天皇陛下万歳!」腹の底から絶叫した。祖国よ、祖国よ! じいっと銃を捧げつづけていると、私たちの顔にはぼろぼろと涙が流れてきた。
十五回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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