この本は、日本軍の侵攻がきっかけになって、オランダが三百年にわたって植民地化してきた、オランダ領東インド(現インドネシア)の没落にまつわる東インドのオランダ人のエピソードをあつかったもので、オランダ人の著者は、スマトラ島東岸のシアンタルに農園事業主の一人息子として生まれ、五歳から十二歳まで(日本軍の東インド侵攻まで)、ヨーロッパ人子弟のための寄宿学校で過ごしました。オランダ領東インドが日本軍の手に落ちて(1942年)、日本軍抑留所に入れられ、抑留所生活を経験しています。

引用開始
【オランダ領東インドの日本化】
・・・われわれオランダ人は、この上なく善良な民のインドネシア人には満足している。それというのも、彼らはとうの昔にわれわれに対する憎しみを忘れて、独立後の自国にわれわれを迎え入れているからである。だが、こと対日感情となると、戦後四十年を経た現在もなお、薄れる気配もなく憎悪に満ち、頑なで容赦がない。自分たち自身については、われわれは“至上の目的”をもって東インドにいた、と記述し、日本人に対しては、略奪欲と侵略熱からのみ東インドに入り込んできた、と非難している。
・・・略・・・
東京裁判でオランダを代表して判事をつとめたB・V・A・レーリング(法学博士)は・・・(「新ロッテルダム新聞・貿易新聞」1980年8月23日付)で、次のように述べている。
「大方のアジア民族は、日本人がヨーロッパ人をアジアから追い出す戦争をはじめたことで、日本人を非難しなかったことは明白である。<アジアをアジア民族に>のスローガンは、アジア民族には非常に納得のいくものであった」
「たとえばの話、英国以外のヨーロッパ諸国が何世紀にもわたって外からの民族の支配下におかれて苦しんでいるとき、何かそこに他の目論見をもっていたにしろ、英国がその他民族の征服者を駆逐したとしよう。その場合、大方のヨーロッパ人は、英国のこの行為を犯罪とは見なさないだろう」と、レーリングは比較例をあげてから、「これと同じことがアジアにおいても言えるのであり、したがって日本の大東亜戦争を平和に対する罪として論証するには、これはじつのところきわめて不適切な事例であった」と述べている。
・・・略・・・
以下のテキストは日本陸軍の教育資料から引用したものだが、これをどう定義すべきだろうか。偽り?欺瞞?思想の鼓吹?政治宣伝?策略?
「われわれは日本国にあっては本能的に白色人種の優越性を認め、中国人および南アジアの民族を軽蔑して成長してきている。それは、とりもなおさず自分たちもアジア民族であるからして、自身を価値なしと軽蔑していることになる。
敵領に一歩足を踏み入れただけで、白色人種がいかにわれわれアジア民族を虐げているか一目瞭然だ。彼らは丘や山の上に建つ、目も眩むような豪華な邸宅に住み、そこから草葺屋根の掘立小屋を見下ろしている。アジア人の血から絞りあげた金は、この少数の白人たちに、ひじょうに裕福な生活を保証している。
何世紀にもわたってヨーロッパの支配下におかれてきた現地人たちは、自己の価値観、誇りというものをすっかり失ってしまっている。現地人たちが一刻も早く自己の誇りをとりもどして前向きの人間になれるよう希望したいが、それをあまり執拗に期待してはならない・・・」
レーリングの見解の正しさは、たとえばつい最近出版されたレオ・ヤンセンの日記にあるように、日本軍占領時に東インドでなされた数々の観察が明白に裏づけている。ヤンセンの日記から引用しよう。
「1942年12月11日。ここで注目を引くことは、日本人のかなり原始的な信念ではなくて、その汎アジア政策なる政治宣伝が日本人に向けてつくられ説かれているという事実である。それゆえにすべてが欺瞞であるというわけではない。日本はその占領地域全体にみずからの反西洋信条をもちこんで、その信条でもってアジアの他民族を教育しようと意欲を燃やす。そのために満洲、北支那、インドシナ、インドネシア、そしてマレーに軍団を編成する。占領地域の青少年への軍国主義鼓吹を、われわれは危険なことと考えるが、日本人は自分たちへの支援のためと考えている。それはインドネシア人に人間としての誇りをとりもどさせもする(たとえ彼らを怒鳴りつけたりしてでも)。インドネシア人をまったく無視し、彼らに劣等感をもたせただけのわれわれとはちがっている」
「真実はわれわれにとってきびしいものだが、オランダ領東インドは、日本軍を喜んで迎え入れたアジアにおけるたったひとつの地域かもしれない。解放軍並みの歓迎ぶりだった。(中略)戦争からの真の解放感と、よりよき将来への希望とがいりまじった気分がそこには溢れていた」
さらに12月12日付の日記には、こうある。「以前にくらべて、現状は何ひとつうまく調整されていないにもかかわらず、インドネシア人はこれを以前より希望に満ちたものとして受け入れているようだ」
ヤンセンは、日本人がインドネシア人に重要な職務および責務をあたえるのに躊躇しなかった点にも注目している。これはオランダ人支配下では考えられなかったことだ。「1943年6月2日。現今は、大蔵省のアフマッツのように、仕事ができ、指導もでき、率先して行動するインドネシア人官吏が各官庁にいる」
インドネシア人のために親身に尽力した日本人がいたことも疑う余地のないところだ。
・・・略・・・
引用終わり。
この著者は、一国の観点や人種にとらわれず、当時のヨーロッパ人と日本人を比較しています。この点は私も感服しました。