2006年08月30日

蘇峰の終戦後日記2

 ここでは侵略について書かれていますが、世界でも侵略国の筆頭たる国々が、よくもまあ日本の行った戦争を侵略などと言えたものです。
続けて「徳富蘇峰終戦後日記」より。

引用開始
【日本は侵略国に非ず】昭和20年9月24日
・・・また室町時代から戦国時代にかけて、倭寇なるものは、朝鮮、支那沿岸、延いて南洋のスマトラ方面迄も進出した。これを以て日本は他国を侵略するという者もあろうが、元来倭寇の根元は、蒙古襲来に淵源する。蒙古が日本を襲い、ここに於いて日本は事実に於いてほとんど総動員をなしてここに備えたが、文永、弘安の役終わって以来は、蒙古も幾度か日本を襲わんとしたが、遂に果たさなかった。その為に、準備したる者共は勢い失業者となり、その為に銘々勝手な方角に出掛けたのである。これが倭寇の初まりといってもよかろう。
 その後倭寇には、朝鮮では朝鮮人が参加し、支那に至っては、むしろ本家本元を凌ぐ程支那人が参加して、倭寇の名によって支那人があらゆる窃盗強盗を逞うしたる事実は、これまた争い難き事である。即ち王直とか鄭芝龍とかいう海賊の大頭目は、正真正銘の支那人であって、彼らがある時には倭寇の仲間となり、ある時には倭寇を向うに廻し、その時相応の仕事をしたものである。
・・・・略・・・
 また、明治維新以後、明治六年の征韓論の如きも、本来は朝鮮と平和的交通を開くに在ったが、朝鮮人がその国書を冒涜し、我が使節を侮辱し、国家の体面上堪忍が出来ぬからこれを討つべしという論と、否それは大早計である、まず改めて使節を出し、その使節に対する彼の方の出方如何によって、和とも戦とも決むるがよかろうというのが、西郷隆盛の議論であった
 それさえも閣議では否決せられた。若し日本国民が好戦的であり、また侵略人種であったなら、明治六年の内閣破裂などのあるべき筈はなかった。
・・・略・・・
 例えば樺太の一件でも、露人が横車を押して、飽く迄樺太全体を我が物にせんと欲し、そこで日本もこれを南北に中分せんとしたが、それさえ露人が異議を生じた為に、この上は詮方なしとて千島と樺太を交換したのである。
 いって見れば千島も樺太も当然日本に属すべきものであり、地理的から見ても、歴史的から見ても、また経済的から見ても、誰も異存のない所だ。  千島樺太交換などという事は、日本の物を以って日本の物と交換したようなものであって、外交の拙劣もここに至って極まるといってもよいが、しかし平和的日本人にとっては、それさえも賢明の方法として若干の反対者はあったが、一般には受け入れられた。
 二十七、八年の役は、清国が朝鮮を占有し、日本を除外せんとしたる結果から起こり、三十七、八年の役は、露国が朝鮮の過大半を占有し、日本を排除せんとするより起こったものであって、その歴史は今ここに予が言を繰り返す必要はない。
 当時の支那も当時の露西亜も、世界では皆日本にとって勝ち目のない大敵であり、剛敵でありと認めていた。もし日本が侵略国民であったならば、かかる危険なる戦争を試みる筈はなかった。しかし両つの戦争ともに日本自衛の為に、活きるか死ぬるかの問題であったから、座して滅びんよりも進んで戦うにしかずと考えてやったのである。その意味において、今度の大東亜征戦も、また同様である。
・・・略・・・

 今少しく日本国民が好戦人種であり、侵略的欲望があったならば、まさか今日において、かかる惨めな境遇に陥ってはいなかったろうと思うが、あたかも長脇差の博徒の真ん中に、風流閑雅な紳士が立ち交わったようなものであって、余りに綺麗に、余りにお立派であったために、遂に今日ではつまらぬ状態に陥り、却って長脇差の連中から、貴様こそ博打うちの大親分であるなどと、柄にもなき名号を付けらるるに到った事は、笑止千万といわねばならぬ。
・・・略・・・
【日本の地理的条件】昭和20年9月25日
 ・・・侵略などという言葉は、自分に食うだけの物は持って尚その上に物を欲しがるものをいうことであって、食えぬから何処かに食を求めに行くものを称して、侵略などという言葉はまことに事実を誣いるものといわねばならぬ。
 日本は国が狭く、地形も地味もその国民を養うに不足して、食うに困る状態である事は世界は皆よくこれを知っている。しかるにその日本人が、世界の何処に行ってもやがては日本人入るべからずとして高札を立てられ、一切合切その財産をも取上げられ、日本人出て行けというような待遇を受けている。
 ハワイの砂糖畑やコーヒー畑は誰が作ったか。カリフォルニア州の砂漠を楽園となし、あるいは馬鈴薯、あるいは玉葱、あるいは葡萄その他の果物、あるいはあらゆる草花類などを栽培し、アメリカ人に供給したのは誰であるか。
 カナダの木材もしくは漁業等に貢献したるは誰であるか。しかるに彼等は働くだけ働き、作れるだけ作った上に、一応の挨拶もなく、逐っ払われる如き状態に立ち至ったのだ。
・・・略・・・
 日本は決して満洲を横領せんとするではない。ただ満洲において、三十七、八年戦役によって条約上得たる所の権益を、そのままに実行せんとしたるに外ならない。しかるに支那側では種々の苦情を並べ、張学良の時代となっては最早満洲において条約上の権益は蹂躙せられ、この上は日本人は皆鞄を提げて日本に舞い戻る外はないという事までに至った。その極所が即ち満洲事変の起こりである
・・・略・・・
 自分の土地で食って行けぬ国は日本ばかりではない。英国の如きも交通が二週間停まれば、ロンドン市民は飢餓に瀕するというではないか。しかるに英国の如きはほとんど世界の三分の一をその大帝国の内に抱え込んで、それで今日の状態を続けている。しかるに我が日本は、今度は朝鮮、台湾、樺太、琉球さえも奪われ、満洲からは追い出されるという状態になっては、如何にすべき。
・・・略・・・
 日本からあらゆる領土を剥奪したる事は、人道問題の上から見ても、原子爆弾以上の非人道ではあるまいかと思う。
・・・略・・・
引用終わり。

 大東亜戦争終結の頃の政策や秘密協定にも、まだまだ人種的偏見は強く現れているように思います。これの最たるものが東京裁判と言われる、およそ良識のある大人なら恥ずかしくて裁判などとは呼ばない茶番劇をやらかしたことでしょう。
 朝日を始め、日本の反日左翼は、東京裁判の非文明的な内容を受け入れて、それを根拠に反日、侮日を煽っていますので、彼らに何か裁判沙汰が起こった時には、東京裁判と同じ方法で裁判を行い、被告席に立ってもらおうではありませんか。
posted by 小楠 at 07:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係
この記事へのコメント
知れば知るほど、今の「自虐史観」に対する怒りが込み上げてきます。
日本の領海内には無人島が7000ほどもあるといいます。
反日日本人たちには、そこに移り住んでもらうことを提案したいのですが、いかがでしょう?
Posted by おしょう at 2006年08月30日 18:22
反日、左翼、日教組は島流しですか。
日本の島に住ませることさえもいやですね。
彼らの好きな共産国へでも行ってもらいましょう。
Posted by 小楠 at 2006年08月30日 20:54
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