2008年03月07日

ある兵士の支那事変12

南京への行軍を知らされる

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は南京へ向うことを知らされて喜び勇む部隊の様子です。
写真はクリークを距てて機関銃隊の猛射
seiya12.jpg

引用開始
崑山を出るとまた爆破された鉄橋があった。この鉄橋を渡って前進をつづけていよいよ蘇州へ入るんだ、と誰かがいいだした。おぼろげながらも伝え聞いている『蘇州』――そこへ行く、ちょいとした感慨だった。この感慨にふけりつつ鉄橋を渡っていると、「前進停止」の命令が来た。「ハテ?」とみな首を傾げる。私たちの不審には一切おかまいなしに部隊は鉄橋の近くに集結した。そのまま崑山に二日泊まって再び行軍を起こして気がついてみると、私たちは崑山を抜け、あの苦戦の鉄橋も過ぎ、さきに来た道をまたどんどん逆もどりしていた。・・・・

 一体私たちは何処へ進むのだ。なにもわからなかった。蘇州を攻めるのをなぜ他の部隊にゆずった。腹がたって来た。黙りこくってただ下を向いて歩く。お得意の饒舌はもう何処にもなかった。時々どうしても喋らなければならない時にはプンプン腹をたてたように怒って喋る。なにを見てもなにを考えてもただわけもなく腹が立ってきた。石原上等兵など大ムクレな顔をして何をいっても、「知らん」といって河豚のようになっている。おかしくて笑い出すと、石原上等兵もプンプンしながら笑ってしまった。
 
 雨に打たれてクタクタになって嘉善へ着くと、「南京に向け前進する!」といって来た。「アー」とみんな目を瞠る気持だった。南京――敵首都の南京、これを私たちが攻める。もう腹などはたてていられない。それ飯を炊け、しっかり炊け、うんと腹を作れ、と大変なはしゃぎようだった。みんなが立ったままで葉書を書いたりした。どうしてもこれを故郷へ知らせないではおけない気持だった。私たちが北から中支の戦線に廻ったとき、誰が南京を攻めると考えたろうか。石原上等兵が飯盒を持って水でも汲みに行くらしかった。「オイ、何処に行くんだイ」と私が声をかけると、石原上等兵は「南京だイ」と言って昂然と肩を聳やかした。こうして前進の準備をはじめていると荒木准尉が来られた。准尉は情けない顔をして、「われわれの部隊は南京へ前進する。・・・が、わが部隊は○○の予備隊となった」と告げられた。戦友たちはまたみんな腹を立ててしまった。南京戦に予備隊とは何だ。それでは戦争がすんでも故郷へは帰れない――という。


 再び行軍がはじまった。行軍は猛烈をきわめた。ほとんど休憩というものがない。ただ走るようにして行軍する。漸く私たちに部隊の意図がわかって来た。一線部隊に追いつき、これを抜いて予備隊から脱しよう、自ら一線の戦闘を買って出よう――それだった。みんなが歩いた。歯を喰いしばって歩いた。一線部隊を越せ、一線部隊に追いつけ、そして――南京へ南京へと進む。
 前方を二人、三人と足を引きずりながら友軍の歩兵が歩いている。その歩兵たちは竹を切って作った杖をついたり、或は路傍に腰をおろして溜息をついたりしている。近よって、「お前さんたち何部隊か――」と聞くと、「千葉部隊だ、豆で歩けァせん」と答えた。私たちは晴れの南京戦に○○の予備隊という閑職から逃れるために、湖州への街道を第一線に出た他の部隊を追って猛烈な行軍をやっていた。
「しめしめ、そろそろ一線部隊の落伍者に追いつき出したぞ」とこの豆で歩けぬ兵の部隊名を聞いてみなが思った。
「もう一息だ」と考える。空は晴れていた。砂塵がもうもうと街道に巻上って顔も服も靴も埃で一緒くただった。一線を落伍した兵たちは次第に殖えてきた。そしてドンドン私達の後へまた落伍して行ってしまう。行軍の激しさの労苦はすでに問題ではなかった。無言の中に全部隊が一つの目標をはっきりとみつめた。ただ、どんなことがあっても一線に出ようと思い詰める。これを知って○○から、「部隊はその部落に停止せい」といってくる。すると部落に一時止まって、夜中にまたコソコソと進軍し出した。竹杖をついて部隊長が真先に進まれる。兵たちはみな目頭を熱くして、これについて行くのだ。「糞!」と思う。どんなことがあっても南京へは一線だ、と考える。どれだけ敵がいてもいい、私たちでみんなこれを引き受けてやろう――そして、ただ一心に行軍した。ただ一心に一線部隊を追いかけた。

 廣徳へ着くと、千葉部隊や矢ケ崎部隊の第一線部隊がいた。私たちがゾロゾロと街へ入るのを見て、「お前さん達、何処の部隊だね」と驚いて聞いている。「岡本保部隊だァ」と大声で答えてやった。「ヘエー、岡本部隊って何処だ。○○の部隊だって?」といってみんな首をひねっている。
 この部隊を追い越して、右の岩と雑草ばかりの山中へ入って行った。山の中は敵がたったいま逃げた後らしく、飯盒や皿やが岩陰の陣地に飯を入れたまま放り出してある。・・・・この山を抜けると小さな部落があった。・・・部落に宿舎をきめていると、突然、部落の端のクリークを越えて迫撃砲弾が飛んで来た。迫撃砲弾は部落の道路の上に飛んで民家の壁を半分崩した。私たちはすぐ散開してクリークの岸へ進んで行った。対岸でチェコ機銃が鳴って弾が岸の草を薙いだり、砲弾が私たちの頭の上を越えて後方で土煙をあげたりする。友軍の機関銃隊が岸の土手に重機を据えて対岸を射ち続けた。・・・
 私たちは射ちながら、「とうとう敵に追いついた。一線に出たぞ」と思い合う。この敵を追いまくればもう目の前に聞き知った南京の城門が口を開いて待っているような気がするのだ。
 私たちは突撃してこの敵を追いまくりたいと思った。射ち合っていたのでは犠牲が出るばかりでらちがあかない。みんな突撃しよう、突撃しようと焦った。しかし目の前にクリークがある。なんとしても突撃できなかった。
十二回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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