2006年08月24日

大正日本の印象記

 植物学者モーリッシュの「大正ニッポン観察記」をご紹介します。このような種類の明治期の本は数多く出ているのですが、大正期のは時代自体が短かかったためなのか割と少ないように思います。
 著者のハンス・モーリッシュ(1856〜1937)は世界的によく知られたオーストリア帝国出身のドイツ人植物学者で、1922年9月から25年3月まで、東北帝国大学の招聘に応じて仙台に赴任し、当時新設されたばかりの生物学教室で植物生理学及び解剖学を講義しました。
 有名な植物学者、牧野富太郎や細菌学の北里柴三郎博士などとの出会いも書かれていたり、一般的日本人の日常の観察が大変興味深い書物です。
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引用開始
【日本の大学】
 学生はみな、所属する学部のちがいにかかわりなく、紺色の洋風仕立ての制服を着て、同じ紺色のお皿のような形の帽子をかぶる。そして革靴か、木でできた日本独特のスリッパ(下駄)をはいている。
 学生たちとはおしなべてとてもよい経験をした。彼らは謙虚で礼儀正しく、勤勉でなかなかインテリジェンスもあり、なかにはたいへん才能に恵まれた者もいる。・・・・残念なことに眼鏡をかけている学生が多い。本当に近視で眼鏡をかけている者もいるが、なかにはインテリ・学者をよそおうために近視のふりをしている者もいることはたしかだ。こんなに近視が多いのも不思議ではない。なにしろ小学校のときから、あの小さな込み入った文字を読み書きすることで、目はたっぷり酷使されるのだから。
・・・略・・・
 日本で生活していると、いろいろな機会に贈り物をもらうことが多くなる。外国人教授も例外ではない。どこへ顔を出しても(客として招かれたときも、施設を訪ねたときも、あるいは学会で講演を行ったときも)かならず贈り物をもらったものである。
 学生が遠慮がちに私の研究室の戸をたたき中に入り、帰るきわになって、さもほんのついでであるかのように、私にほんの小さなつまらないプレゼントを贈ることを許してもらいたいと言うのである。その中身はたとえば、故郷の絵葉書、きれいな漆の箱、日本人形、風呂敷、写真、かわいらしい日本刀の模型、もぎたての柿の入った小箱、有名な魚の薫製などである。
 はじめはこういったものを受取るのに、何とはなしにばつの悪さを感じたものだ。というのも、大学教授たるもの学生からプレゼントをもらうなど、西洋の風習に反することであるし、学生にしてもそのような贈り物をすることは、「人気取り」と見られてしまうからである。しかし日本では別の考え方をする。つまり人々がたがいに贈り物を贈ったり贈られたりすることは、感謝の気持ちのあらわれなのである

【日本人の礼儀正しさについて】
 国や人々について、ほんのつかの間の印象しか持ち帰れない世界漫遊者たちは、かたよった、あるいは大げさな見方で日本について語り、極端に賛美するか、あるいは何でもかんでも片端からこきおろすかしているが、それらはかならずしも日本について真実を伝えているとはいえない。しかし次の点についてだけは、日本を知る者もあまりよく知らない者も、一人残らずみな意見が一致する。すなわち、日本人は世界でもっとも親切で礼儀正しい民族であるという印象である。
[贈り物]
 いかにして贈り物を相手に渡すかという、その渡し方の中にみごとに洗練された手際が映し出される。日本人は贈り物をするために人を訪ねても、決してすぐにはそのことを口にしない。贈り物のことはあくまでも、取るに足らないことのように振舞わねばならない。だからそれを口にするのは最後の最後になってから、それもいわばどうでもよいことのように言う。つまり贈る側は、たとえそれがどんなに立派で高価な品であろうと、つまらないものをお渡しする無礼をお許しくださいと言ってわびるのがふつうなのである。
 小奇麗に包装することにかけても、日本人は正真正銘の名人である。そして包んでから贈り物を送るとき、もしくは直接手渡しするときに、彼らは特別な心配りをみせるのである。高価な置物などは絹の布か上質の和紙につつみ、軽くてつやつや光る桐の小箱に入れる。そうしておしまいに水引と呼ばれる赤と白半々の結び紐でくるめるのである。包みの右側には、先のとがった熨斗と呼ばれる紙片がつけられ、さらに贈り物がたいしたものでないことをそれとなく伝えるために、上半分に「粗品」と書き入れるのである。
[使用人への思いやり]
 
日本人が大変やさしい性格の持ち主であることは、使用人の扱い方を見てもなるほどと合点がゆく。日本では一般に使用人に対してつっけんどんな態度はとらず、おだやかに思いやりをこめて接する。使用人や女中がこっぴどく叱られたり、はずかしめられるような扱いを受けているのを、私は一度も目にしたことはなかった。それどころか、忍耐強さにかけては少しは自慢できる私ですら、とうの昔に堪忍袋の緒が切れてしまっているであろうと思われる場合でも、使用人に対してたいへん物静かに忍耐をもって接し、相手の立場を思いやっているさまを見て脱帽してしまうことさえ珍しくなかったのである
 日本では、たとえ使用人たちの方に罪があろうとも、人前で彼らを叱りとばすのは不作法なこととされている。使用人を叱るときには、誰も見ていないところで、しかもなるべく言葉少なに叱るのである。
[手紙]
・・・日本人は手紙を書くとき、何よりもまずていねいさを心がけ、相手に対する細やかな心配りを忘れない。ふつうまずはじめに、友の健康を喜び、自分のほうはなにごともなく元気でやっているから心配は無用であると述べる。そしておしまいに、この取るに足らない文面に目を通してくれた労に感謝し、相手がこれからも元気で幸福に暮らすことを願う。そして最後の最後に、国家の繁栄のためにも健康にはくれぐれも気をつけるようにと念を押すのである。こうした手紙に使われる紙は、われわれの感覚からすると、浪費としか思われないような分量に達することがしばしばである。
 日本人のていねいさは言葉づかいにもあらわれる。日本人は三通りの話し方をする。すなわち、目下の者に対して、同等の者に対して、そして目上の者に対してそれぞれ言葉を使い分けるのである。このことで、日本語を習得するのがますます困難になる。・・・略・・・
引用終わり

 ハンス・モーリッシュは植物学者らしく、日本人の観察の仕方にも大変興味があります。このような、外国人が見た日本や日本人についての印象記は、日本人では当たり前すぎて、気がつかない点を教えてくれます。
 世界がどんな事に美点を感じ、尊敬するのかを知り、日本人のよき習慣を受け継いで行くことも大切なことでしょう。
posted by 小楠 at 07:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
この本の中で「日本女性は外見的には美しいとはいえないが、内面にもつ女性らしい性格、仕草がのため美しい」のような事を書いた所が有るのですが正しい全文分かりませんか?
Posted by お名前 at 2007年11月18日 11:49
お名前様でいいですか?
お尋ねの件、9章の音楽というところに、「われわれの感覚からすると、日本の娘たちは一般的にとりたてて美しい肉体的特徴を備えているわけではない。しかし彼女らがわれわれに大変好ましい印象を与えるのは、その並外れた謙虚さ、慎み深さ、いかにも女性らしいしぐさのゆえである。」
というくだりがありますが、このことでしょうか?
Posted by 小楠 at 2007年11月18日 15:41
私ごとで恐縮です。
私のブログのアドレスを変更いたしました。恐れ入りますが、ブックマークの変更をお願いいたします。
Posted by かついち at 2007年11月19日 11:30
かついち様
了解しました、早速リンクの変更をしておきました。
お知らせ有難うございます。
Posted by 小楠 at 2007年11月19日 13:54
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