最後に、ソ連共産党内での文書が掲載されていましたので、それを引用しておきます。頻繁に行われる処刑の罪状たるや、裏切り者、地主、工場主、反革命分子、ソビエト権力の敵など、どうにでも言える罪を挙げて、都合の悪い人間を大量に処刑していたことを暗示しています。勿論この例のような曲がりなりにも裁判らしい手続き無しに処刑された人々の方が圧倒的多数でしょう。
同じく共産主黒書(ソ連編)より引用します
引用開始
大テロルの犠牲となった者の大多数は無名の人たちだった。以下は1938年の「通常」文書からの抜粋である。
文書第24260番
1.姓:シードロフ。
2.名:ワシリー・クレメンチェヴィチ。
3.出生地と生年:スィチェヴォ(村)、モスクワ州、1893年。
4.住所:スィチェヴォ、コロメンスキー地区、モスクワ州。
5.職業:協同組合職員
6.所属組合:協同組合職組。
7.逮捕時の資産(詳しく):木造家屋1軒、8m×8m、鉄板屋根と一部屋根のついた7m×20mの中庭、雌牛1頭、雌ヒツジ4匹、ブタ2頭、家禽。
8.1929年当時の資産:同上プラス馬一頭。
9.1917年当時の資産:木造家屋1軒、8m×8m、一部屋根のついた30m×20mの中庭、納屋2,倉庫2,馬2頭、雌牛2頭、雌ヒツジ7匹。
10.逮捕時の社会的地位:職員。
11.帝政軍隊における軍役:1915〜1916年トルケスタン第六建設部隊歩兵一等兵。
12.白衛軍における軍役:無し。
13.赤衛軍における軍役:無し。
14.社会的出自:私は自分が中農の息子だと思っています。
15.政治的過去:無党派。
16.国籍:市民権/ロシア人、ソビエト市民。
17.ロシア共産党(ボリシェヴィキ)所属歴:無し。
18.教育程度:初頭教育。
19.現在の兵役:補充兵。
20.前科:無し。
21.健康状態:ヘルニア。
22.家庭状況:既婚、妻:アナスターシア・フョードロヴナ、43歳、コルホーズ員、娘:ニーナ、24歳。
地区NKVD(内務人民委員会)の指令により1938年2月14日逮捕。
2.尋問調書の抜粋。
質問:1917年前後のあなたの社会的出自、社会的状況と財産状態についてわれわれに説明されたい。
回答:わたしは商家の出身です。1904年ころまで父はモスクワのゾロトロシスカヤ街に小さな店を持っていました。父の語ったところでは、使用人は一人もおらず、一人で商売をしていたそうです。1904年以降は大商店と競争ができなくなって、商売をたたみました。それからスィチェヴォに戻り、耕地6ヘクタールと牧草地2ヘクタールを借りました。ゴリャーチェフという雇い人がいて、長いこと、1916年まで父と一緒に働いていました。1917年以降も経営は変わりませんでしたが、馬がいなくなりました。わたしは1925年まで父と一緒に働きましたが、父の死後、兄弟と経営を分割しました。いかなる点でも有罪とは思っていません。
3.告発状の抜粋。
・・・シードロフはソビエト政権全般、とくに党に対して悪意を持ち、以下のような反ソビエト宣伝を一貫してやってきた。「スターリンとその一味は権力を手放したがらず、スターリンは多くの人を殺したが、政権から去ろうとしない。ボリシェヴィキは権力を保持し、正直な人を逮捕しているが、このことについて語ることはできない。もし話したら25年間、強制収容所に入れられてしまう。」
シードロフ容疑者は無罪だと言っているが、多くの証言がその嘘をあばいた。事件はトロイカによる裁判に移された。
署名:コローメンスコエ地区民警少尉サラハーエフ。
同意:コローメンスコエ地区国家警察分署長、国家警察中尉G.B.ガールキン
4.トロイカの決定調書の抜粋、1938年7月16日
・・・V.K.シードロフの一件。元商人、父と店を経営。コルホーズ員のあいだに敗北主義的言辞で反革命宣伝を行い、共産主義者を恫喝し、党と政府の政策に対する批判を行ったことで告発。
判決:銃殺、シードロフ、ワシリー・クレメンチェヴィチ。全財産没収。
銃殺は1938年8月3日に執行された。
1989年1月24日、死後名誉回復。
引用終わり。
この例は共産主義社会、共産党政権の犠牲者の一人です。日本の共産党は勿論、当初、コミンテルン日本支部です。
日本は戦前から一貫して、対ソ防共が重要な国家の政策でしたが、もし、これを疎かにしていたら、東欧諸国と同じく、ソ連の衛星国となって、国内でも秘密警察や犯罪の捏造による大量処刑、伝統文化の完全破壊が行われ、日本民族が消滅していたかも知れません。
米英は結局大切な防共の拠点である日本を攻め、そのために支援してきた中国は赤化し、朝鮮半島は二分され、東欧はソ連に侵略され、ソ連の勢力を急激に増大する結果を招いたのは、米英の対日戦争は目的からは完全敗北としか言いようがないでしょう。
2006年08月23日
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中坊公平さんを思う
Excerpt: 弁護士さんでそんな人いましたよね。何をやったのかはよく覚えてないけど頑張ってたような記憶はある。どっか活躍の場が今ならまたある気がする。参議院とか立候
Weblog: 元水商売ホステスの大阪アルバイトの求人が…
Tracked: 2009-12-19 02:46
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米英が共産主義の脅威に気づいたのはいつになるのでしょうね?
やはり朝鮮戦争までほとんど無警戒だったのかどうか、そのあたりに興味があります。
でも、ラルフ・タウンゼントの様に気づいていた人もいたのですよね。
最近知った中では、ハルノート作成に関わったハリーホワイトなる人物が共産主義者でソ連と関わっていたというのには驚きました。誰だったか「革命は混乱の中から生まれる」と言っていたそうで、あの大戦はもしかして・・・と考えるとゾッとします。(素人の妄想ですけど(笑))
アメリカ国内で政治の中枢に巣食う共産主義者を徹底糾弾したのは、ご存知のようにジョセフ・マッカーシーでしょう。これは1950年頃のことです。しかし彼は当時は悪者にされてしまいましたが、歴史は彼の言う通りに進みました。マッカーシーについては、著作「共産中国はアメリカが作った」と、アン・コールター著「リベラルたちの背信」が興味ある内容です。
>を攻め、そのために支援してきた中国は
>赤化し、朝鮮半島は二分され、東欧はソ
>連に侵略され、ソ連の勢力を急激に増大
>する結果を招いたのは、米英の対日戦争
>は目的からは完全敗北としか言いようが
>ないでしょう。
当方のブログの『勝利者の悲哀』のレビュー。
余りに引用箇所が少なく分かり難いので新しく書きなおしたんですが
丁度、小楠様と同じ事を徳富翁が指摘していました。
共産主義という幽霊と対決するならば日本を傷つけるのは利敵行為以外の何物でもありませんね。
米国上層部にもコミンテルンの工作を受けていたという話もありますが…。
今また貴ブログの「勝利者の悲哀」を再読しました。今回私が購入した「終戦後日記」の内容と同じ部分もあるようです。数日後には引用掲載してみますので、また見比べてみて下さい。