2008年03月01日

ある兵士の支那事変7

慰問袋の草鞋(わらじ)に泣く

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は行軍途中のひとときと第一線から送られてくる負傷兵を見ての感情。
写真は野戦局で慰問袋を受取る勇士たち
seiya07.jpg

引用開始
霙(みぞれ)ふる中の慰霊祭
 『拝啓 当地は早秋冷の候となり候が御地は如何に候や、御前様にもその後御変りもなく勇奮転戦されていることと存じ候、御蔭様にて留守の方は私をはじめ弟妹とも皆々元気にて候間御安心下されたくただお前様が元気にて男子の本分を尽くされることを日夜祈り居り候、何卒しっかりやり下さるようただそれのみ御願申上候、 父より、勝様へ。』
 これだけである。幾度読み返してみてもこれだけの長さでしかない。巻紙に筆で太々と書かれた父の戦地へ来て初の便りは、石家荘のすぐ前、花園村にはいって一週間したとき漸く私の手に入った。
 父の手紙と一緒に妹と弟の寄せ書きや友人からの便りなど十二通が一度に私の手に入った。妹と弟の寄せ書きには『保定占領万歳』とか『小学生が提灯行列をやって全村を廻った』とか、『兄さんも保定へ入城したのか』などと書いてあったが、もっと何か細々と云ってくるだろうと思った父からの手紙は、一尺にも足らない巻紙に五、六行の書きなぐりだ。「父の手紙ってこんなもんかなァ」と私が小林伍長にいうと、小林伍長も幾度もその手紙を読み返しながらしきりと頭をひねった。やがて
「しかし・・・」といった。「しかし、ようく読んでみると実に要領を得とるぞ、ウチは元気じゃ、そちらは元気か、しっかりやれ――と」

 確かにそうだった。それだけでしかない。ウチは元気じゃ、そちらは元気か、しっかりやれ――と。私は幾度も読み返した。読み返すうちに父の体臭がプーンと匂って来たような気がした。「こちらは元気だ、そちらも元気か、しっかりやれ」――これ以外に父としていい得ることは何があるだろう。これ以上の何を父は戦場に捧げた息子にいいたいというか。ここは戦場だ。改めて読むとこの簡略で常套きわまる手紙は万感溢れるものを私に語っていた。私は洟をかもうとした、すると「出発!」の命令が出た。・・・・
 霙は大陸に来てはじめてだった。この霙の中で部隊の慰霊祭が行われた。・・・初の戦闘に参加して以来ほとんど沼と泥にひたりつづけて来た体だがこの時初めて心の底から寒いと感じた。霙に打たれる旗の下で、石原上等兵が必死と『君が代』を吹いた。銃を捧げて、正面の壇に列べられた幾つかの白木の箱を見つめていると、深い溜息のようなものが心の底から出て来た。倒れて行った戦友の幾人かに、煮えくり返るような口惜しさを感じたものだったが、それは慌ただしい弾雨の中でだった。突撃のさ中に「ア、あれがやられた」と思いながら自分は先へ先へと進んで行く。そして、そこに起きた新しい事態に全心を奪われて死んだ戦友を忘れて行った。いまその戦友が小さな白木の中に入って、ふたたび私たちの前へ還って来た。・・・・


汚れた戎衣に誇り
 汽車は私たちがニケ月余を泥と弾雨に戦って来た大陸の野を一瞬に走って、大きな街に入って停った。「天津だ天津だ」といってみんな騒ぎたてた。実にニケ月ぶりに見る天津だった。私たちは懐かしい天津の駅に見惚れる前に、ドーッと売店へ押しかけて行った。天津をニケ月ぶりで見ると同じに甘納豆やパイナップルの缶詰などもニケ月ぶりの味覚だった。私たちの軍帽も軍服もみんな泥と埃でクチャクチャになっている。それを見て駅にいた新しい兵隊や邦人たちが「前線の兵隊だ前線の兵隊だ」といって騒ぎたてた。私たちははじめて汚れた自分達の服を顧みて、何か誇らかなものを感じるのだった。楽しい騒ぎも僅か五分間だった。再び列車は走って大沽に着いた。
 ここで汽車を捨てると私たちに戦地へ来てはじめての慰問袋が渡った。慰問袋は四人に一つ平均だったのを、私は石原上等兵と小林伍長と三人で一つだけを貰った。石原上等兵は慰問袋を手にして「俺はよう開けん、誰か開けてくれ」といった。全くその感じだった。何か開けるのに手が震える思いだった。小林伍長が慰問袋を開けにかかった。額を集めた三人の目の前へ慰問袋が口を開くと大きな足のワラジがコロリと転がり出て来た。しばらくは三人とも誰も声を出さなかった。やがて三人が次々と顔を見合わせた。そしてまた黙ってワラジを見つめた。ワラジは藁の匂いがプンプンするように真新しかった。そして足袋だったら十一文のを履く足にちょうどいい程に大きかった。ワラジには一通の手紙が添えてあった。

『(前略)靴は豆が出来ます、地下足袋は水虫になります。若しやと思ってこのワラジ御入れしておきました、いま母と一緒に作ったばかりのところです』・・・・
 一足のワラジはどうして三人の足にあてがおうか。これは三人のお守りにしよう。新戦場へのマスコットともなろう。石原上等兵が呼びたてられてラッパを吹いた、ドヤドヤと集った戦友たちはみんな目を真赤にしていた。それぞれの慰問袋でそれぞれ兵隊が、みんな泣かされたに違いない。
 慰問袋が持って来た新しい感激を体の中にしまって、部隊はぞろぞろと船に乗った。船尾には『○○丸』と白い文字が太々と書かれてあった。馬も積み、小さな砲も積み、自動車さえもがそのままそっくりこれに積み込まれた。・・・・
 この近代的大部隊の輸送船に真新しいワラジが一足積み込まれたことは、私たち三人以外には誰も知るまい。ワラジはしみじみとした祖国の真心を持ってギッシリならぶ近代兵器の中にただ一足混っていた。やがて離れるであろう大沽の街なみを眺めて、そして街の向うに煙っている大陸の風物を眺めて、戦い来し京漢線の戦線を遥かに思わないではいられなかった。廊坊の真新しい墓標にはじまったこの戦線の幾ケ月――いつかまた自らもあの墓標に終る日があろう。汽笛も鳴らないで、船は黙って港を出た。
七回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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