2008年02月29日

ある兵士の支那事変6

陣中の身嗜み

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は行軍途中のひとときと第一線から送られてくる負傷兵を見ての感情。
写真は傷つける戦友を担架にのせ山路を下る勇士
seiya06.jpg

引用開始
保定城外の民家だった。少し萎れてはいたが、支那兵のちぎり残した葡萄が沢山蔓に残っていた。永定河を渡ってから十日間、来る日も来る日も野菜をかじっては泥と弾の中を進み続けて来た私たちには、萎れていてもその小さな青い円味の果物が、世にも珍しい貴いもののようにさえ思われるのだった。
 半透明な粒を歯に噛むとプツ、とつぶれて、そのしみ渡る甘味は皮も種も吐き捨てるのが惜しかった。城内の住民たちは湯を持って来たり、粟粥を御馳走したりして盛んに私たちを歓迎する。石原上等兵が何処かから大きなカメを探して来た。これに湯を沸かして初めての陣中風呂に、まずまずと児玉少尉や荒木准尉をお入れ申した。・・・・

 児玉少尉や荒木准尉たちが「おい、あんまり汚くしていては、日本軍の不面目だぞ、少しは綺麗にしろよ。」と注意して廻られた。戦線に来て日が浅かったので、そんな余裕があるのだった。・・・
 晩は豚の御馳走に、舌鼓をうった。寝ようとすると部隊全部にはじめて千人力飴が配布された。小さな袋に入っていて朝鮮飴のように柔らかくて甘い。これを噛んで小林伍長と石原上等兵と三人で抱き合って寝ていると、久し振りで湯を浴びた快さも手伝って何か楽しさがゾクゾクと身内にこみあげて来た。
 昨日までやっていたあの激しい戦争なぞはすっかり忘れてしまっている。いや、たったいま、ヒュルヒュルヒュルと空気を裂く弾の音がすれば、それと同時に何が起らないとも知れない。しかしそんなことは一切忘れてしまっていた。戦場というものは飛びだすことも早いが忘れることも早い。一貫した想念というものが全部無くなって、ただ瞬間瞬間の想念の外にはなにも考えない――これが戦場だった。
 従って兵隊はみんな子供のように、その場その場の感情で動いている。十日間の洗礼で明日の命を考える馬鹿ものなどは一人もいなくなってしまった。この瞬間瞬間の行動が連続して、東洋の一転期を画するような大きな仕事が出来て行くのだろうか――と不思議な気もするが、そんな考えも一寸目の前を閃いて行ったかと思うと、次の瞬間には、もう別の途方もないことを思ったりしている。


こみ上げて来る怒り
 楽しいおめかしの五日間が過ぎた。朝九時十四分、正定へ向って一線部隊を追っての再び埃と泥の行軍が開始された。轍の一杯ついた広い軍用道路を前進していると、担架をかついで友軍が三々五々とやって来る。担架の上には白い仮包帯をした戦友が煙草をプカプカふかしたりして乗っていた。「ア、負傷だ・・・」と心を刺されるように思ったが、誰もそれを口に出していうものはなかった。黙って行き過ぎてゆく戦友を眺める。眺め送っても隣の戦友と顔を見合わす気にはなれなかった。自分自身が負傷することは考えない。自分の身をふと振り返って思い沈むわけではもちろんない。ただ第三者の――そして『同じ兵隊』の痛々しい姿を見るのがなにか堪えられなかった。十日間も戦闘に従事していたのに、そして、負傷! 戦死! と朝から晩まですぐそばで聞いていたのに、いや隣で倒れる戦友も見たのに、『負傷兵』を見たのはこれが初めてだと思った。第一線を退ってはじめて負傷兵を見た。そして初めて戦友の負傷に心を痛めた――戦争というものは全く不思議なものだ。

 馬上姿の将校が、通る負傷兵一人一人に挙手の礼をしていられた。何気なくその肩章に目をやった私はハッと胸を突かれて思わず歩みを止めた。○○部隊長だった。じーっと瞳を凝らして負傷兵を見送られる、担架の上の戦友はそれを知って上らぬ手を挙げようとしたり、担架の上に身を起そうとする。やがて、それもなし得ずただ担架の上へ顔を伏せてしまった。どの戦友も、どの戦友もおそらく泣いているのだろう。担架に顔を伏せて洩れ出ようとする嗚咽を必死に抑えているに違いない。ムラムラと私の胸に込み上げて来るものがあった。出よう、早く一線に出よう。すでに戦争への回顧の気持はすっとんだ。ただ「畜生!」と口にして一線へ一線へと歩いて行った。昼夜ぶっつづけの行軍だった。正定に近づくと友軍の観測気球がポッカリと空に上っていた。この下で大休止になったので、私たちはゴロリゴロリと畑に寝転がった。仰向けに転がるとすぐまたお喋りがはじまる。・・・・

 その時パンパンパンと地上で銃が鳴った。
「ホー、なにをやりよる」とのん気な顔でみんなが音の方を見る。ほとんど弾の音は刺戟がなくなっていた。
すると「敵機だ!」と誰かが叫んだ。パンパンパンと対地射撃の音が激しくなって来る。複葉の飛行機がズンズン気球の方へ飛んで来た。気球が慌てたようにグングン下りはじめた。しかし飛行機が飛んで来る方が早かった。半分ほど下がった気球の真上に来てグルーッと旋回しながらダダダダと機銃の音をたてた。グーッと廻ってはまた帰って来てザーッと気球を射つ。地上からは一斉に銃をとってこの飛行機を射った。いまに気球が落ちるかと思ったが、気球はちょっとも落ちなかった。飛行機はあきらめたようにグルーッと廻って、遥か彼方へ帰って行ってしまった。気がついてみると、石原上等兵が仰向けにヒックリ返ったまま空を見て煙草を吹かしている。
「オイ、兄さん、見たかい、銃の一つぐらい射てよ」と私がいうと、石原上等兵は空を眺めたまま「よせよせ、相手が飛行機じゃこちらは突撃は出来めェ、口惜しくなるだけ損だ」といった。なるほど、こうした考え方もあると感心した。戦場での口惜しさは何か相手に体ごと叩きつけねばすまない気持になる。それが出来ないほど石原上等兵にとって辛いことはない。
『兄さん』はみんなの気持の何処かの部分をいつでも代表している。
六回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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