2008年02月28日

ある兵士の支那事変5

保定城壁突入

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は保定城突入前の兵士の様子です。
写真は決死の突撃を前に名残の一服
seiya05.jpg

引用開始
 私たちは保定への泥濘を進んでいた。永定河から保定まではいたるところに野菜畑があったので、部隊がちょっと停るとすぐ野菜を採りに行った。この日も部隊が停って炊事がはじまる前の寸暇に、四人の戦友たちと付近の畑へ出かけて行った。銃があっては、野菜を十分両手に持てないので、みんな銃なしだった。高粱畑の向こうの方にどうも立派な野菜畑がありそうだというので、散歩でもするような気持でブラブラと出かけた。空は晴れ上がってなにか鳥の声さえ聞える。長閑な北支の田園風景だった。高粱畑を抜けると果して見込みどおり見事な野菜畑が広がって、その向こうには小さな部落さえ見えている。畑には円くて一尺くらいの長さの立派な大根がニョキニョキ生えていた。

「しめた!」と口々に叫んで大根を掘りはじめた。「まだあちらにもある、こちらに白菜がある」といって私たちは下ばかりみて這いずり廻る間に、部落に近づいていたのを気付かなかった。瞬間、ダ、ダ、ダ、と機銃が部落の端で鳴って同時にピューッピューッピューッと弾が耳元をかすめて飛んで行った。ハッと思って伏せる。反射的に銃を構えようとして銃代りに白い大根を持っていることに気がついた。「しまった!」と思った。弾は連続的に飛んで来てプスップスッと畑の土に喰いいる。じいっと伏せている、とやがて機銃がピッタリ止んだ。ヤレヤレと思ってこの間に退ろうとじりじり二、三歩動くと、とたんに再び機銃が鳴って弾が傍の大根に突刺さった。二進も三進もゆかなくなった。しきりと軽率さが悔まれてきた。武器も持たないで、大根を抱いてはなんとしても死なれない。他の三人を見るとみんな、しまった、という同じ思いの顔つきをしている。それでも目を見合った拍子にニヤニヤと笑ってみせた。ジリジリ這って、やがてうまく高粱畑の中へ入った。高粱畑を抜けて、もう大丈夫、と思うとまた四人が期せずして顔を見合った。そして、四人ともワッハッハッハと笑った。・・・・

 部隊へ帰って「ひどい目に会ったぞ」とこの失敗の巻を披露に及んでいると、表から石原上等兵がノソリノソリと入って来た。左手で一人の支那兵の腕をつかまえ、右手に鶏を二羽ぶら下げている。みんなが呆れ顔で目を瞠ると、石原上等兵はニヤリニヤリ笑って二羽の鶏を突き出した。「それはわかっているよ、左手の方はなんだい」というと、石原上等兵は支那兵を振り返って胸を張った。
「鶏と一緒に分捕って来た。敗残兵の癖に生意気にこの『兄さん』を撃ちやがる・・・」と悠然たるものである。一言もなかった。私たちは大根を抱えてホウホウの態で帰って来るし、石原上等兵は敗残兵を従えて帰って来る――これだけの違いが私と彼にはあるのだろうかと惚れ惚れとして『兄さん』を眺めるほかなかった。

 激しい行軍がつづいた。もう何を喋るものもない。黙って前を歩く戦友の靴をみて行く。行けども行けども沼地で、ひどい泥濘が膝まで喰い入って足の乾くことが絶対になかった。皮膚はふやけてみんな水虫になった。ビッコを引かないものはいなくなってしまった。それでもちょっと休止するとすぐ覚えた支那語で片言の冗談を云い合った。

山下曹長一番乗り
 やがて保定の大城壁が遥か彼方に見えて来た。「ああ」とみな目を瞠ってこれを眺めた。ぐんぐん進むと鉄道線路があった。「ここから大城壁へ一気に突撃」という命令だ。この土手下に伏せると野砲や迫撃砲が四、五間後にドーンドーンと落ちて来た。やがて鉄道線路を装甲車が走って来て鉄道隊の戦友達が手を振りながら煙草などを投げて行った。疲れ切った兵たちがこれを拾ってヤンヤと騒いだ。――突撃に移ったらもう生死のほどはわからない。これが今生の喫いおさめとあったら、煙は腸までしみょ――という思いだった。
 煙草に火をつけて二喫三喫ひすると装甲列車が通り過ぎてしまった。とたんに線路から飛出して城壁へと突進して行った。このドタン場になっても煙草は丁寧に火を消して短くなったのを内ポケットにしまう。

 第一線と第二線と○○メートルの間隔で進んで行った。どんどん進むと城壁二、三間前にクリークがあって、飛び込むと水は胸までひたした。それを這い上がったが、どうしても足場がなくて城壁に上れない。友軍の重砲が城壁目がけて撃つのが炸裂して、破片が四方に呻って飛んだ。砲兵は私たちがまだここまで取りついたとは知らないらしい。ラッパの音が聞えて来る。ラッパで部隊の居所を知らせようとしているらしい。石原上等兵が吹いているのだろうか、とチラッと思った。ラッパが吹き鳴らされてもまだ友軍の重砲はドーンと身近に飛んできた。

 城壁がどうしても上れないので私たちは広い道路を走って正門へと向った。この道路の上にも重砲が次々と落下している。城壁が三角になった隅のところへ来ると城壁に喰ッついて軍用自動車車庫があった。戦友同士でお互いに肩に乗ってこの車庫の屋根に登った。屋根の上から城壁の上までは何の足場もなかった。山下曹長が「丸太をもって来い」と叫んだ。車庫の向うに材木屋のような家があって大きな丸木が一杯積んであった。屋根から飛び降りてこの丸木を担いだ。山下曹長と有土上等兵がそれを屋根から城壁の上へ立てかけると、私たちは屋根に登って下から押えた。みんなが焦って、丸木を登って行こうとする。誰でもが一番乗りをしたかった。
「これじゃ駄目だ」誰か叫ぶと「そうだ、山下曹長殿一番乗りをして下さい」と期せずしてみんなが叫んだ。「オオ」といって山下曹長がこの丸木をよじ登った。つづいて有土上等兵がよじ登った。下から木を押えてこれを仰いでいると、なにか涙が流れて来る気持だった。
「アア、俺も登りたい」と思わずそれをつぶやく。城壁の上に登って山下曹長がしきりと旗を振った。これを見てとったか友軍の重砲は射撃をやめた。山下曹長と有土上等兵は城壁に旗を立てると二人きりで城壁の中へ降りて行った。やがて中から二人が正門を開いた。私たちは車庫の屋根を飛び降りて、正門に殺到した。空は澄み切っていた。足の痛みも体の疲労も全部忘れてしまった。小林伍長も駆け込んで来た。あのおとなしい小林伍長が私の肩を掴んで「男と生れた、男と生れた!」と絶叫して私の体を振り回した。
「『母さん』が男と生れたらこれなんじゃこれなんじゃ」といいながら石原上等兵が走って来た。三人は一緒に保定の街の中へ走って行った。もう石原上等兵と小林伍長の喧嘩は仲直りになっていた。
五回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
この記事へのコメント
人権擁護法案反対の署名をお願いします!!
http://08.mbsp.jp/houan18/
上記サイトにて署名が出来ますのでご協力お願いします。
Posted by じん at 2008年02月28日 12:38
じん様
御苦労様です。
早速署名して来ました、何等かの効果が
あることを期待しています。
ご活動に頭が下がる思いです。
有難うございました。
Posted by 小楠 at 2008年02月28日 13:06
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