2008年02月27日

ある兵士の支那事変4

捕虜を殺さぬ皇軍の情

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は永定河渡河の苦労の模様と、敵兵に対する処置の様子。
写真はベソかいて命乞い、敵110師の捕虜
seiya04.jpg

引用開始
演習と違わぬ感じ 
 一面の野菜畑だった。白菜や人参などが水々しい青さで炎熱の直射に照り映えていた。野菜畑を進むと永定河の長い土手がある。土手には野いばらが一杯生えていてゲートルに虫のように喰いついた。
 土手にたどりついてここで携帯してきた飯盒をおろして飯を喰った。野砲が盛んに対岸の敵陣地に射ち込んでいたし、友軍の飛行機がひっきりなしに飛んできて対岸を爆撃していた。にもかかわらず土手からちょっと頭を出すと対岸からダダ―ンと飛んで来る。この中へ飛び出すのか、とチラと考えてみないではいられなかった。

 石原上等兵が元気な声を出して伝令に飛び廻っている。午後三時三十分! 部隊は一斉に土手から永定河の中へ飛び出して行った。
 土手を下りると、広い砂地が海岸のように広がって、そこを演習どおりに散開して進むと、対岸の土手から機銃弾が薙ぐように飛んで来た。その弾幕の中に飛び込んでいった瞬間、もう弾というものを考えなくなってしまった。「こりァ演習とちょっとも違わんじゃないか」と思ったりする。
 砂地を走り抜けると水が激しい勢いで流れていてズボズボと腰から胸までつかった。河底は泥になっていてちょっとも足に力が入らない。左足を踏み出すと右足がズボズボと泥の中へ入る。慌てて手をつこうとすると顔まで水の中へつかってしまった。一人流れそうになるのを助けるとこんどはその重みで自分が流れそうになる。すると助けられた戦友が、慌てて自分を助けてくれる。一つにかたまっては敵に射たれると焦るが、どうしても散開することができない。助け、助け合って四、五人が転がるようにしながら水を渡った。・・・・

「衛生兵!」と喘ぐように呼ぶ。「通訳だ、通訳がやられた」「なにッ通訳が?」と石原上等兵が憤って叫んだ。「隣の○隊の通訳だ!」と、叫び返してくる。ムカムカと腹の底から憤りが湧き上がって来た。「畜生! ここで目茶苦茶に敵をやっつけて死んでやろう」と思ってくる。
 焦ると足はますます泥にとられて進めない。喘ぎ喘いで高粱と泥の中を転げるようにして漸く土手にとりつくと、上から手榴弾が飛び、この下をかいくぐって土手に上ると、支那兵の死体につまづいてゴロゴロと土手の下へ転がり落ちた。もうなにも考えなかった。ただ訳もなくじいっとしていられなかった。もっとなにかしたかった。突き殺すとか、射つとか、走り廻るとか――すでに、とっくの昔に、あれほど考えていた「弾は私の体の何処へ当るだろうか」はすっかり忘れていた。

起上った偽装死体
 捨てて来た背嚢を取り返して再び前進すると、ここもまた何処まで行っても膝までつかる泥沼に高粱が生えていた。陽が落ちて暗くなって来た。私たちの右側で他の○隊が敵と遭遇しているらしくひっきりない銃声と突撃の喚声が聞えていた。私たちは泥の中に伏せて隣の○○隊の戦闘が終るのを二時間近く待った。
 じいっと伏せて動かないでいると泥水が足といわず腰といわず身体全部に浸み透って来る。「前進!」という声とともに少し進んでこんどは粟畑に伏せると、前方の部落から粟畑を盲射ちして来た。擲弾筒が盛んにこの部落を叩いている。部落の近くで家が一軒燃え、煙と焔が赤く夜空を照していた。この赤く照らされた夜空をみていると、フと故郷のことを思ったりした。

 私の故郷には火山がある。夜はこの山の空が赤かった。この山を眺めて「火を吐く阿蘇の峰・・・」と軍歌を唱う。すると広々とした希望と、沁々とした夜気を感じたものだった。惻々たる郷愁だった――ふと、肩を叩かれて気づくと伏せたまま眠っていた。
 夜が明けて再び沼地を進むと梨畑に出てきた。小粒な梨が一杯なっていた。私たちは叉銃して梨の木に駆けより次々とチギッて夢中で喰った。西洋梨のような味で溢れる汁が歯にしみ腹にしみ、いくつ喰っても何処へはいってゆくのかわからない。部隊は歓声で溢れた。松永軍曹が「うまいうまい」と呻く様にいう。
 とたん、梨を入れた口を噛み終らないで、アングリ口を開いて目を瞠ったが「敵だ!」と叫んだ。叫ぶと一緒に叉銃線へ駆けて行った。みんながどっと駆けた。同時にダンダンダン、チェコ機銃が鳴った。「松平軍曹殿!」と叫ぶ。胸から血が流れて松永軍曹が倒れている。銃を片手にして松永軍曹は「不覚だ、しまった」と一言いった。これが最後だった。噛んだ梨が口からこぼれている。口惜しさがこみ上げて来た。

 一小隊が突撃に移ると、敵は秩序もなく逃げ散った。二百メートルも進むと一軒家があって、家の中には一杯敵の負傷兵が逃げ場を失って寝ていた。一人一人調べると軍曹で何処にも傷のないのが死んでいる。石原上等兵が「コラッ!」と怒鳴って頭を叩いた。偽装死体の敵軍曹はムクムクと起き上がって来た。石原上等兵はこれを引っ張って家の外へ出した。「立てッ」と叫んで石原上等兵が銃を向けた。みんなハッとした。すると小林伍長が飛んで来て「いかんいかん!」と叫んだ。
「何がいかん!」「いかん、殺すのはいかん、そりァよせ」
「『母さん』はいつでもそれだ。松永軍曹殿が戦死したのをあんたは見たか、『母さん』は口惜しいと思わんかッ」
『母さん』と呼ばれる小林伍長は黙っていた。石原上等兵は「貴様、戦友を殺しやがった」と泣声で敵の軍曹を睨みつけた。「『兄さん』いかんいかん」と再び云って小林伍長がこの軍曹を引っ張って行った。
『兄さん』と呼ばれる石原上等兵はその後姿を睨みつけていたが「畜生め!」といって銃を片手に一人立ちつくし、手で目を幾度もこすった。――その晩も私を真中に、石原上等兵と小林伍長と三人で抱き合って寝た。しかし石原上等兵は小林伍長と口を利かなかった。戦地へ来てこの『母さん』とこの『兄さん』の二つの性格ははじめて喧嘩をした。
四回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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