2008年02月26日

ある兵士の支那事変3

初めて聞く敵弾の音

昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は事件で有名な廊坊からの行軍の様子です。
写真は敬虔な墓前の祈り
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引用開始
「畜生!」で一貫した気持 眼を射た新しい墓標
 汽車が停って「下車」の命令が出たときはじめて天津へ来た、とわかった。私たちのしなければならない一切の目的がこれではっきりとわかった。目的がはっきりわかると、こんどはまだ経験しないその目的に対する新しい好奇心が勃々と湧いて来た。
「実際の戦争とは一体どんなものだろうか」とただそれだけを思ってくる。それが直接自分の生命と関係のある問題だとはちょっとも考えない。ただ好奇心で一杯になる。早く知りたい、とみんなが思ってくるのだ。
 天津で少し警備について再び汽車に乗った。乗ったと思ったらすぐ降ろされた。
『廊坊』と書いた駅標が目につくと同時に真新しい墓標が目を射った。きのう建てられたばかりだというこの墓標を兵たちはみんな眺めた。私たちがこれから生まれて初めて経験しようとするもの、私たちの好奇心を胸一杯に揺さぶっているもの――それとこの墓標とが、なんの関係があるというのだろうか。――誰もそれをいうものはない。それをいう前に、この墓標が私たちと同じ兵の上に建てられたものだということだけを、焼きつくような熱さで考えてくる。
 
 『同じ兵』――それは『戦友』といわれる。私たちは一年有余の軍隊生活でなんでも個人を超えて『兵隊』という概念でしかものを考えないようになってきた。この墓標は兵隊の墓標だ。それだけだ。同じ兵隊の墓標だ。ここに戦友が倒れている。ただそれだけをハッキリと考える。そして口惜しさが、名状しがたい口惜しさが、頭の中の一切を占めてしまった。
 これから知ろうとする戦争がなんであるか、死がなんであるか、すでに問題ではない。まじまじとこの新しい墓標を眺めて、ただ「畜生!」と心の中一杯に思った。これが私の戦闘経験の発端だった。私の戦争への経験は「畜生!」の字ではじまった。そしてこの「畜生!」が限りなく続いて、最後まで「畜生!」で一貫したことをここで告白しなければならない。

 駅に下りて憩う間もなく行軍がはじまった。陽は落ちて星が空に降っている。何という広い空だろうとしみじみ大陸の空の大きさを考えた。道がほとんどなかった。なにが植わっているのかわからぬような畑を通ったり、或は小さな山を通ったりして歩きつづけた。
 五里も歩いたろうかと思うころ、突然前方遠くの暗闇にカンカンカンという機銃の音が起って、深々とした夜の空気にビリビリビリと反響した。同時にヒューンと呻って頭上をなにか飛んで行った。またヒューンと飛んで行く。しばらくは頭の上を飛んで行くものをなにか気がつかないような気持だったが、やがて「あ、弾だ弾だ」と思った。生まれてはじめて敵からの弾の音を聞いた。弾だ――と気がつくと、つぎからはヒューンという音を聞くと、ちょっと反射的に首を引っ込めた。

 弾はしきりに飛んできた。ブルーンというような音をたてて顔のすぐそばを飛んで行くのもあった。そんなときには周囲の四、五人が、思わず首を引っ込めて、しばらくして期せず顔を見合って笑い出したりした。この弾で死ぬ、ということはちょっとも考えない。ただ体のどこへ当るだろうか――などなど考えた。

夢破る迫撃砲の音
 再び部隊が動いた。だんだん弾に近付いて行った。ふと、いよいよ戦争をやるぞ、と考えて見たりする。やがて黒々と林に囲まれた部落の中に入った。すると戦争もしないでここで宿泊という命令が出た。土で作られた家の中へ入って私と石原上等兵とが列んで寝転がった。小林伍長がゴソゴソと入って来て、黙って私たち二人の上へ自分の上着を被せると、そのまま自分も私の横に喰ッついて転がった。
 「や、すまない」といってお礼をいうのがなにかテレ臭いようだったのでそのまま黙って寝ていると、家の外の空にヒュルヒュルヒュルという自動車のタイヤがアスファルト道路で軋むような音がした。つづいてダーン、ジャリーンという大きな炸裂音が聞えた。私は思わず首をもたげた。小林伍長もちょっとゴソゴソと動いた。つづけざまに二つ炸裂する音が響いた。思わず「大砲だな」というと、小林伍長が「迫撃砲という奴さ」と答えた。
 次の一弾はこの家のすぐ傍にでも落ちたのか、とてつもない大きな音と一緒に屋根や壁が礫でも投げつけられたようにバリバリバリという音をたてた。埃がバラバラっと空一杯に広がって鼻や咽喉がザラザラになってむせた。あちこちの家でゴソゴソいっている声も聞えた。

「オイ、射って来たぞ!」というと、石原上等兵が「放っとけよ」というようなことをムニャムニャといって寝返りを打った。
 私も小林伍長も呆れた気持で黙っていた。ふと、弾に当るかもしれないと思った。妙に気持が落ちつかなくなった。小林伍長は立ち上がって「忙しくなるぞ」といった。細心な注意で、もう衛生兵としての役目につこうとしているらしい。衛生兵――はじめて私は自分がどうした渦中に置かれているかを知った。この一弾一弾が私たちの生命を狙っていることを知った。
 私が起き上がると同時に隣との仕切りのところから「オイ、うちの嬶はいないか」と呼ばれる荒木准尉の声がした。私は隣へ走って行った。

 「間違いはないか。そうか、よしよし」と荒木准尉がいわれた。
 瞬間すでに生命ということを忘れてしまった。全弾この身に受けてもそれがなんだと思った。この室のまた隣の室から児玉少尉の声が聞えていた。児玉少尉は私の教官殿だった。五尺七寸五分もある大きな体で、その姿の立派さと豪快さは私たちの憧れの的だった。児玉少尉は「二百メートルばかりが砂地で、その先二百五十メートルほどが水流ですが、水深胸まで、大丈夫歩いて渡れます」と報告していられた。やがて次の室へ入って来られて「ポカポカして温かいぞ」と笑いながら荒木准尉にいわれた。「真裸になって泳いでやったよ。月がいいし、いい気持だぞ」そして大きな声で笑われた。
 この部落の先二百メートルほどで永定河が流れていて、将校斥候となって渡河地点の水深などを調査して来られた、とわかった。私自身が恥しい気持だった。私が砲弾の炸裂音を聞いて『生命』をちょっと考えていたとき、児玉少尉は真裸で対岸の敵を見ながら永定河を泳いでいられた――胸の底からなにかワクワクと湧き上って来る。戦友たちがギッシリすし詰めに寝ている。石原上等兵が大きな鼾をかいていた。
三回目引用終わり
posted by 小楠 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変
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