昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載します。支那事変に従軍した一兵士の手記から、当時の戦場の様子がよくわかる内容です。
写真は慰問品の製作に忙しい朝鮮女性

引用開始
嬉しいあだ名『兄さん』『お母さん』『嬶』
「オーイ、うちの嬶(カカア)はいないか」と荒木准尉が呼ばれた。すぐ私が飛んで行く。○○に上陸して、再び汽車に乗って私たちは何処とも知れず運ばれていた。
私は荒木准尉の将校当番だった。それで嬶なんである。汽車も幹部と一緒に二等車に乗って私は少々得意であった。石原上等兵も本部付のラッパ手でやはり二等車の嬶組だ。・・・・・
小林伍長は新編成以前からの私の友達だ。色が白くて、丸顔で、優しい男振りの兵隊さんだった。小林伍長の任務は衛生兵だったので、これもまた本部付き、すなわち二等車の嬶組であった。
小林伍長は顔が優しかったように性質も優しくて綿密だった。細かいところまで気がついて、私や石原上等兵の持っていないものは小林伍長のところへ行けば必ず持っているという風だった。だから私たちは小林伍長を『お母さん』と呼んだ。あまっちゃれた言葉で兵営内の言葉には似つかわしくないものだったが、それだけに『お母さん』というアダナを口にすることは、ホッと息を抜くような、なにか自慰的な気持で楽しかった。
『兄さん』とアダナされる石原上等兵は無遠慮で大まかで、そして『お母さん』は気が弱くて綿密で、この真ん中へ入って『嬶』と呼ばれる私は、温かい蒲団にでもくるまったように楽しかった。
汽車は歓声と旗の波に埋められた駅をいくつも通過して走っていた。とうとうある駅で汽車が停った。歓声と旗が窓々から流れ込むように溢れている。洋服を着たり、綺麗な着物を着た人たちに混って、朝鮮の白い着物をつけた人々が一生懸命になにかを叫んで旗を振っていた。私はオヤ、と思った。白い着物を付けた人々は汽車が再び動き出すとドッと、堰を破ったように汽車の窓々へ飛んで来て、なにか口々に叫びながら汽車の中へ旗やいろんなものを投げ込んだ。私のところへも一つ白い布切が投げ込まれてきた。同時に、アクセントの強い癖のある語調で
「兵隊しゃん、しっかりやって下しゃい」
という叫びが耳を打った。
汽車の窓を旗と人の波がさッさッと過ぎて行った。私は投げ込まれた白い布を拾った。立派に千の赤い糸で『尽忠報国』と縫いとった千人針だった。
素晴しい同胞の宿
私も石原上等兵も小林伍長も黙ってしばらくはこの布を眺めていた。朝鮮の同胞が丹精こめたこの千人針は、「兵隊しゃん、しっかりやって下しゃい」という絶叫と一緒に私たちのところへ投げ込まれた――大きなことをいう癖に石原上等兵がもう目を真っ赤にしている。お互に涙ぐんだ顔を見られるのが口惜しいのか、恥かしいのか、しばらくは目をそらして三人とも顔を見合せないでいた。
「しっかりやらにゃ!」と、なにか胸の底からこみ上げて来るものがあった。
列車は○○に停って、ここで一泊することとなった。私たちは部隊の幹部と一緒に泊ったので○○府の府長宅に寝た。一夜を立派なこの邸宅で明かして再び出発という朝、連絡にやって来た他の部隊の兵をつかまえて石原上等兵が
「昨夜の宿はどうじゃったい」と得意そうに聞いていた。府長の豪奢な邸宅に寝た私たちは、秘かにそれが自慢だったのだ。するとその兵が
「ウム、それが素敵なんだ。まあ聞いてくれ」
といって語り出した。
この兵たちは朝鮮の同胞の家に泊めてもらった。家には老人夫婦と十七歳ぐらいの娘さんとの三人が住んでいるきりだった。
老人夫婦は全然日本語が話せなかったが、娘さんは上手に日本語を話した。老人夫婦と娘さんは持ち物全部を総動員してこの兵たちを歓迎した。喰っても喰ってもまだまだといって馳走をくれる。純朴そのものの老人夫婦は終始ニコニコ笑って惚々とするように兵たちの姿を眺めてばかりいる。
やがて一夜が明けてこの宿舎を出るというとき老人夫婦がなにかボソボソいって泣き出した。娘さんがそれを通訳してくれるには
「わしは日本語が話せなくて、それが悲しい・・・」
娘さんは小さな日の丸の旗に立派な日本文字で
「天皇陛下の御為めに、草むす屍・・・」
と書いてその兵たちに持たせた。そして別れるときには老人夫婦も娘さんも三人ともオイオイと泣いた。なかでも娘さんはいつまでも
「兵隊さん万歳!兵隊さん万歳!」と叫び続けていたという。これを語りながらその兵は
「わしも泣けてなァ。一緒にいた奴等ァみんなやっぱり泣きやがってなァ」
といった。またもや石原上等兵を真っ先に私たち三人ともが感激した。私たち一人一人はこうまで全国民の熱狂と支援に価するほどの人間なのだろうか・・・なにかわからぬ気持になってくる。そのわからぬ気持の中をただなにかやらねばならない気持がこみ上げてくる。どんなことがあっても私たちは再びこの地へ帰っては来まいと思って来た。
この小さな家に住む三人の朝鮮の同胞の気持だけに対してでも、オメオメ帰っては来られまいと思って来るのだ。
「ようし、きた!」そう叫んで石原上等兵が一人歩いて行った。やがてこの優秀なラッパ手が出発合図のラッパを部隊命令で高々と吹き鳴らすだろう。
二回目引用終わり