2006年08月09日

東京裁判の正体5

 既にマッカーサーは「東京裁判は間違いであった」こと、そして「日本が戦争に踏み切ったのは自衛のためであった」と証言していますから、ここでは検事側の申し立ては省略して、正論である弁護側の申し立ての引用から、この裁判のデタラメさを曝してみたいと思います。
 特にこのブレークにー弁護人の申し立ては非常に筋の通ったものであると思いますので、少し詳しく引用します。
 菅原裕著「東京裁判の正体」の中から特に私がこの掲載の主旨に必要と考える部分だけを引用し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です
引用開始
【ブレイクニー弁護人の申し立て】
 まず最初に申し上げたいことは「戦争は犯罪ではない」ということである。そもそも戦争とは“力”を合法的に使用する権利を指示する観念であるが、現に戦争に関する国際法規の存在すること自体が戦争の合法性を説明するなによりの証拠である。・・・略・・・
 戦争は特殊な観点から眺めた場合でも、純然たる客観的様相から判断しても、決して正しいとか正しくないとか、合法とか非合法とか断定を下し得る性質のものでない。・・・・・
 また事実上戦争を計画したり開始したりすることが犯罪行為として裁かれた例は、文明史上未だかつてない。・・・略・・・
 しかるに首席検察官はつぎのように述べた。「これらの諸国家すなわち今度戦争犯罪人を裁く側にある諸国家が、世界的災害を醸した人たちを処罰する“力”がないという法があり得るであろうか」
 然り、連合国側はやろうとさえ思えばこの被告たちを絶海の孤島に流すことも裁判せずに投獄することも、即座に銃殺してしまうことも不可能ではなかった。事実それだけの“力”と“権力”を持っていた。しかるに連合国政府はその一致した意見に基づく幾多の理由により戦争犯罪人を処分するに、前掲の略式、野蛮な方法をえらばず、最も厳粛なる裁判を行うべきことを決議し、これを世界に表明したのである。その結果連合国は自発的にしかも良心的にその権利に一定の制限を付するにいたったのである。換言すれば連合国側は敗戦国およびその人民に対する専断的処罰権を放棄したのである。したがってたんに可能性があるというだけの理由で本件起訴状に現れているような法を無視した専権行使を認容、弁解することは全く言語道断である。いやしくも法に遵って行動すべきことを言明した以上、その行動が厳正なる法の規制を受けるのは当然のことであって、かかる方針の下に設けられた当裁判所の管轄権が、法に遵って決定され、その活動がこうして決定せられた管轄権の範囲内に限定されるべきこと当然である。
 つぎに「戦争の違法性」に関し論じたい。・・・略・・・
 本起訴状に犯罪事実として挙げられたるものには国際連盟規約にその根拠を置くものが非常に多いが、今回戦争犯罪人を裁く側にある国家群、ことに当法廷にその代表者を派遣している国家群の中には、本件起訴状の指示する期間内にアジアおよびヨーロッパで侵略戦争を始め、国際連盟もこれを違法と認めたが、たんに聯盟放逐だけでべつだん刑罰は科せられなかったものもいる。検察当局はこの事実を前にして果たして侵略戦争を犯罪視することは世界的公論だといいきることができるか。
・・・略・・・
 
 つぎに「戦争は国家の行為であって、個人の行為でない」ということについて論じたい。・・・略・・・
 本起訴状に指示されている新奇なる罪「平和に対する罪」の成立要件の基礎をなすものとして指摘されている、条約、協約等どれを調べてみても一国の首相や外相や参謀総長がそうした犯罪のためにその自由を奪われたり、その生命を失わなくてはならぬような刑罰を科せらるべきものであるということを規定した条文は見当たらない。この種の刑罰は国家間の都合では、一つの政治的取り決めとしてなら想定し得ないこともないが、自ら声明して法に基づく公正なる裁判を行うべき重大な任務を負う当法廷が、そうした新奇な犯罪を創設することは全然その管轄外のことである。
 本弁護人は戦争中に行われた殺傷は決して普通の殺人罪をもって論ずべきではないと信ずる。それは戦争が合法行為であるという主張の当然の帰結である。合法的に行われる殺人は、たとえ行為それ自体は排撃すべきものであり、嫌悪すべきものであっても、この種の行為に対しては刑事責任を問うべきものではないということが一般の認めるところである。
・・・略・・・
 もしそれ真珠湾攻撃においてキッド提督の死を招いた行為が殺人行為なりとするならば、われわれは広島に原子爆弾を投下した者の名を幾人でも挙げることができる。そしてこの攻撃計画を立てた参謀総長や、こうした事態を発生させた最高責任者の誰であるかも良く知っている。この場合の殺人に対して、この人たちは果たして刑事上の責任を感ずべきものであろうか。
kobori.jpg
 [管理者注:小堀桂一郎著「東京裁判日本の弁明」によれば、原子爆弾に関するこの発言がなされているとき、俄かに日本語の同時通訳が停止された。これは故障でも何でもなく、日本語の速記録にこれが記録され、日本国内に流布されることを連合国側が極度に恐れたからであるという主旨のことが書かれています。]

 もしこれをしも殺人罪に問わんとするならば、明らかに犯罪事実を示していただきたい。そしてその殺人が戦争法規ならびに慣例に違反して行われたのだという証拠を挙げてもらいたい。それからこの殺人罪を犯した者の名を挙げていただきたい。さらにかかる行為を計画し、命令し、許可し、あるいは黙認する態度をとった最高責任者を指名していただきたい。そしてはじめて正義の法廷における被告席に正真正銘の犯罪人を連行されたことになるのである。・・・略・・・
 われわれはアメリカ人を、アングロサクソンを、いなアングロアメリカンを、そして公正かつ公平なる民主主義的意見を代表するものである。
 われわれの弁論は遵法主義擁護のためになされたもので、法の根本原則を無視する行動は法に対する最悪なる侵犯であると信ずる。しかるに本件起訴状はまさにこの法に対する最悪なる侵犯行為をあえてするものである。この法廷およびそこでなんらかの任務を帯びているわれわれの歴史に対する責任は実に重大なものがあり、全く身震いを覚えるくらいである。この重責はこの被告席に列する二十八人の運命よりもはるかに重大なものである。
 コミンズ・カー検事は、合法的と非合法的とに戦争を区別されたが、検察官側の主張は、勝った方の殺人は合法的で敗けた方のは非合法的というのではないか。・・・略・・・
 当法廷の如き管轄権の不明な裁判所において行われる裁判は、徒らに勝者は敗者を権力をもって左右し得るものであるという印象を新たにするだけである。もしそんな結果に終わるような裁判が行われるのであったら、われわれはもはやわれわれが正義公正の愛護者として博して来た年来の名声に更に一層の光輝を添えんとする希望を捨てるよりほかにえらぶべき道はないのである。
引用終わり。

 勝者(連合国)側には戦争犯罪の最たる原子爆弾を投下して、無辜の日本国民を大量虐殺しても、その命令者、計画者、実行者誰一人として犯罪としないこの裁判所が、日本人の戦争責任者、実行者は敗戦したというだけで犯罪に問われている矛盾を鋭く衝く弁護人の正論が示されています。
 ここに、勝者が敗者に復讐したリンチであることを感じる方は多いでしょう。
posted by 小楠 at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判
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