2008年02月09日

英国の岩倉使節団報道

欧米が見た岩倉使節団4

 ご存知のように明治新政府は維新直後の1872年に、高位の人物多数による使節団を欧米に派遣していますが、本書イアン・ニッシュ編「欧米から見た岩倉使節団」は岩倉の提案でつれていった、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、山口尚芳らの四人の副使を中心に、欧米の人々の残した記録が内容となっています。
写真は久米美術館蔵ウェストミンスター橋と国会議事堂
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引用開始
1872年8月17日〜12月16日 アンドルー・コビン
 一行がダービーシャーのチャッツワース・ハウスを訪ねたとき、そこで古伊万里焼の標本が復元保存されているのを見て、久米はヨーロッパの名家が優れたコレクションを何百年も保存している事実に注目し、このような良質の伊万里焼はもう日本でみつけるのは困難であるかも知れないと述べている。西洋のあらゆる習慣の中で、久米が無条件に称賛の気持ちを誘発させられたのが、この歴史的な古物保存の伝統であった。たとえば、ウォーリック州知事邸での晩餐会が終った時、その家の子供たちが、日本人の賓客の手をとって私的に募集された貴重品を見るよう案内した。これらのコレクションは値打ちのない唯の珍奇な品物であった。しかし、久米が感心したのは、西洋人の精神や態度のあり方であり、それは、彼がイギリス滞在中にこれまで見てきた、多くのさまざまな博物館や展示物などによって、育成された気風であると考えられた。

 久米の考えでは、イギリス人が、フランスの流行を模倣する悪しき習慣を放棄する必要をようやく自覚したのは、最近の万国博覧会の開催を通じてである。彼は『回覧実記』でこのテーマを用いて、時々、日本の西洋心酔ぶりを攻撃し、「読者は日本の教訓として何を学ぶべきか考えて欲しい」と公言した。
「現在の日本はヨーロッパの歴史において、ルイ14世時代のフランスの輝きに万人が魅了された状況に似ている。もし我々日本人が伝統を忘れ、ヨーロッパを発展モデルにして性急に突進するならば、ちょうど1851年のロンドン万国博覧会以前の欧州各国と同様の迷霧に陥ってしまうのではないか」。
 イギリスの国内旅行で、岩倉使節団は多くの人々と出会い、彼らの生活習慣を観察することができた。それは旅の途中で見た群衆の姿であったり、公式歓迎会の場であったり、あるいはまた、静かな環境に恵まれた田園の邸宅であったり、いろいろの機会を通じて経験することができた。

 一行は、イギリス人は遠くかつ広範囲に旅行し、外国旅行にも慣れているという臆説に反して、田舎の人たちの多くは見慣れない日本の使節を見て明らかにびっくりした様子をしているのを知って驚いた。たとえば、使節がヨークシャーのボールトンアベイに着いた時、「周りに集った村人の群衆が我々一行をまるで別世界の住人のような眼で見た。実際はほんの少数のイギリス人だけが外国人を見慣れていたのであり、普通一般の地方の民衆は、どこの国の人々でもそうするように、好奇心の眼で外国人をじろじろと見るのが常であった」と久米は述べている。
 久米は英米両国の婦人の比較に言及して次のように述べている。イギリス婦人は一般に米国人女性にくらべて慎み深く慇懃である。そして彼の意見によれば、彼女らは粗暴な個人本位の態度もみられず、家族的な美風に強い愛着を示している。特に貴族階級の婦人の態度が非常に洗練されていると彼は思った。・・・・・

資料
1872年8月19日 『ロンドンタイムス』
日本の外交使節団

 日本の使節団は単に我国よりも古い歴史をもつ君主国の偉大な官吏たち、貴族たちであるばかりではない。彼らはその手に自国の運命を荷った人々であり、彼らの祖国に大規模で有益な革命を実現した政治指導者でもある。そして、彼らが行使できる権力は、それが良かれ悪しかれ、我々が実現しうるよりはるかに強大である。
 我々にとっては奇妙な印象を受けるのであるが、先般、日本政府によって発表された新しい宗教に関する布告は、彼らリーダーたちの影響力を示す顕著な実例といえるであろう。イギリス人の日本における将来の事業の展開と日本文明の今後の発展は、この志あり、知性豊かなそして政治的実力を備えた人々との親交を深めることに大きくかかわっている。
 要するに、今回のこの重要な機会において、使節一行の接待の任にあたる我国のすべての関係者が最善の注意を払う必要があろう。来英した日本使節は少なくともヨーロッパの多くの王国から派遣された代表たちと同様の敬意を受けるに価する人たちであるので、彼らの習慣が、彼らによりいっそう多くの期待感を誘発することを記憶されるべきであろう。
 最近エジンバラ公が日本を訪問したとき最大級の敬意が払われた。そして、今、我々は訪英した日本の使節に対して、礼にかなった適切な待遇をお返しする番である。・・・・

1872年10月12日 『ザ・ジャパン・ウィークリー・メール』日本の外交使節団 岩倉具視を団長とする日本の外交使節団が8月17日、キュナード社の蒸気船オリンパス号でリヴァプールに到着した。そして、政府を代表してアレクサンダー陸軍少将とリヴァプール市長そして商業会議所会頭らが出迎え岩倉全権使節に歓迎の言葉を述べた。使節は直ちにロンドンに向かい、19日にはグランヴィル卿夫妻が主宰する歓迎晩餐会が開かれた。そして、その後、一行は煌々と照明された万国博覧会場を訪ねた。翌日、彼らはブライトンに行き、そこでモスマン氏が率いるイギリス地理学協会で論文発表の場に出席、引続いてブライトン市長のバロー氏がホスト役の昼食会が催された。そこではスピーチはなかった。しかし、市長は短い表現であるが、使節代表としての岩倉をブライトン市は心から歓迎すると述べた。
 それに対して、岩倉は日本語で市長夫妻に答礼し、彼自身と同僚の使節一行に代わって彼らが受けた暖かいレセプションに対する深い感謝の気持ちを述べた。・・・・
引用終わり
posted by 小楠 at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
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